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http://mainichi.jp/select/news/20121223ddm041040125000c.html
毎日新聞 2012年12月23日 東京朝刊
福島第1原発事故で警戒区域に指定され立ち入ることができなくなった福島県富岡町の自宅から約120キロ。主婦、木田節子さん(58)が夫(56)と長女(26)と避難生活を送る水戸市の団地のふすまには、勝俣恒久、清水正孝、班目春樹……と、東電や原子力安全委員会幹部の名前が並ぶ。その最後に「過失責任を負うべき人たち」の文字。原発作業員の母でもある木田さんが書き込んだものだ。
新婚時代を過ごした福島県南相馬市で親友ができた。1992年に富岡町の友人宅の隣に約2300万円で家を新築した。「北に第1原発、南に第2原発。よく家なんて建てる気になったよね」。新築中の我が家に向かうタクシーの中で、運転手に言われた。「ひがんでいるのかな」。当時は原発が危険なものだとは思ってもいなかった。
富岡に来た翌年、同県三春町の三春滝桜を見に行き、桜の苗を買った。成長した庭の桜は毎春、ピンクの花をつけ、入学式や成人式の記念撮影の定位置に。そんなふるさとが原発事故に奪われた。
長男(31)は01年に原発関連の仕事に就いた。最初は福島第1原発の海水配管についた貝を削り取る作業だった。福島第2原発で働いていた時には、「トラブル発生。遅くなります」とメールが入ったこともあった。だが、深刻には考えなかった。
原発事故後は10カ月近く引きこもり状態になり、原発関係の本を読みあさった。今年2月、脱原発を明言する茨城県東海村の村上達也村長の講演を聴きに行き、脱原発を訴える主婦と出会った。「息子を取り戻そう」。首相官邸前、福井県おおい町などの反原発集会に足を運んだ。「原発作業員の母」としてインターネットで取り上げられたこともあった。
だが長男は、事故後も関西電力大飯原発、日本原子力発電敦賀原発などで仕事をし、今年6月からは富岡町の除染作業に従事していた。抗議する母の姿をネットで見た長男から「これ以上東電の悪口言ったら俺にも考えがある」と、今年8月には抗議のメールが届いた。「最後は福島第1原発に行ってしまうのかな」。そんな長男の姿が脳裏に浮かんだ。
10月16日、一通のメールが長男から届いた。「カエルの子はカエル? あなたの息子でした」。内容は東電批判。長男は福島県民をないがしろにするような発言をする東電社員に我慢できなくなったのだ。現在は除染作業からも離れ、原発関係の仕事はしていない。
長男は取り戻せた。だが、だまるつもりはないという。「長男の友達、長女の友達や夫が今も働く。この人たちの親が声を上げないのなら、私が声を上げないといけない」
事故から21カ月後の衆院選。「脱原発を言わない人たちがたくさん議員になった。原発事故は過去のことになっているんだとショックだった」
「原発作業員は被ばくの危険にさらされ、下請けゆえの安い賃金で働かされ、十分な健康管理もされていません。原発が必要と言うなら、将来にわたる健康管理などに国が責任を持つことが先でしょ」【杣谷健太】
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