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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121210-00000307-jisin-soci
女性自身 12月10日(月)7時9分配信
「僕は、玉野地区が避難しなかったことは、選択肢としてはよかったと思います」
そう話すのは東京農業大学国際食料情報学部の門間敏幸教授(63)。門間教授が、福島県相馬市玉野地区で放射能測定を始めたのは今年6月のこと。田畑から検出された放射能レベルは、高い所では1万ベクレルを超す地点もあった。しかし。
「結果を恐れて農作物を作らないのは、いちばんいけない選択肢。農地というのは作らないでいると荒れるスピードが速いんですね。何より大事なのは、玉野の人にとって畑を守ることは生きがいなんだということ。何も作らないで補償されるよりも、作って基準値を超えた作物の損害を補償されるほうがいい」
『最も放射線量の高い居住地』であることで、全国的に注目されている玉野地区。キノコ農家の工藤義行さん(67)、菊子さん(60)宅では、震災後1年を経て前向きな変化が起きていた。
「原発事故直後、うちのシイタケの値段が3分の1近くも下がったけども、半年出荷を休んで、今年5月ごろからは値が戻ってきています。事故前より高い値がついた月もありました。『工藤さんのキノコが食べたい』なんて声聞くと、うれしいっぺ」
豪快に笑うが、キノコは放射能の影響を受けやすく、現在出荷できているのはハウス栽培のみ。山は壊滅状態だ。キノコ農家として15年のキャリアがあるが、実は工藤さんは玉野地区の出身ではない。青森県の生まれで、農業振興に関わる職に就くと転勤続きで、愛媛や山梨などを転々とした。
「趣味が登山とキノコ狩り。そのうち山で暮らしたいと思うようになり、入念なリサーチの末、この玉野こそキノコ作りには最高の場所だと移り住んだわけです」
肉厚のキノコは”妖精のシイタケ”としてブランド化にも成功。夫婦2人での生産も軌道に乗り、年間の売り上げは多いときで1千500万円にもなった。そんななか起こった原発事故だった。工藤さんは「70歳を前に、また別の土地に移り住もうという気持ちもあったんです」と打ち明ける。なのに、工藤さんは大好きな山が放射能に汚染された後もこの地にとどまった。
「福島産でも、よい物を作れば必ず売れると信じていました。でも、おいしいだけではダメ。山形県からおがくずを入荷し、ビニールを張り替えたハウスで栽培して、検査では基準値の20分の1の5ベクレル以下。データをちゃんと測定して、今年8月から出荷しました。安全で、信用がある商品を作るんです」
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