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フクシマ、あらゆる立場の人々が、大きな苦しみを背負うことになってしまった…
2012年11月25日 星の金貨プロジェクト
福島第一原発、事故現場で働く人々の後悔、そして罪悪感
【原子力大災害の第一線で戦う男たち、「福島の50人」のその後】
故郷の町や村を守りたい、その一念で現場に踏みとどまった人々
エコノミスト 2012年10月27日
大事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の所長だった吉田正夫氏はかつて、友人にこう漏らしたと言います。
「まるで硫黄島にいるような気分だった。」
第二次世界大戦中の1945年、北太平洋上のこの島を守っていた日本軍は、アメリカ軍を相手に英雄的な、しかし絶望的な戦いを繰り広げた後、降伏すべく運命づけられていました。
しかし吉田所長の下で働いていた吉沢敦文さんと福良正敏さんは、その時のことをそのようなドラマとしては語りませんでした。
災害発生後、海外のメディアによる初めてのインタビューで、彼らは『福島の50人』と呼ばれた人々の使命感について語ってくれました。
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波がきっかけとなり、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを引き起こして以来、日ごとに、そして一時間ごとに放射線量が上がり続ける中、彼らは文字通り命を懸けて事故の収束作業に取り組んできました。
彼らを突き動かしたものは、自分たちの家族も暮らしている周辺の町や村を守りたい、その一念だったのです。
それ程の思いで取り組んだ『福島の50人』の戦いでしたが、もとより勝てるはずもありませんでした。
そして自分たちの戦場から戻った時、彼らは言いようのない、整理できない感情に苦しめられることになったのです。
恥ずかしいと思う気持ち、そして罪悪感。
10月初旬、野田首相が福島第一原発を訪れ、謝意を表するため彼らと一堂に会した時、その感情ははっきりと形を表しました。
すでに事故発生から18カ月が経過し、野田首相は彼らの勇気ある行動を称える機会が来るのを長い間待ち望んでいました。
ひとりの男性が3月11日以降の、極度の混乱状態の中で撮影した数枚の写真を首相に渡しました。
作業員の命すら奪いかねなかった原子炉建屋の爆発。
真の闇の中、凍えながら、そして感電の危険を冒しながらの電源の復旧作業。
辺り一面散乱する放射能にまみれたがれきや残骸。
口に入るものと言えば水とビスケットだけの日々…
しかし、次の瞬間、信じられないような光景が繰り広げられました。
同行したメディアのスタッフが写真を撮ろうとした瞬間、8人の内6人までもが顔を隠したのです。
そして、自らの姓名を決して明かそうとはしませんでした。
東京電力は長い間、内外のメディアの緊急作業員の人々に対する、インタビューの申し入れを断り続けて来ました。
しかし破壊された福島第一原発が政府の管理下に入った現在、この『エコノミスト』が初めて、2人のさぎょういん職員に、直接話を聴くことを許されたのです。
ヒロイズム – 個人的勇気に関する話題は、団体行動に徹しようとする習慣が支配する日本社会では、きわめて扱いにくい性質のものです。
ましてありとあらゆる立場から批判されている東京電力に雇われている身とあっては、なおさらのことです。
福島第一原発の周囲の市町村からは100,000の人々が避難を強いられ、戻ることができなくなりました、多分もう二度と…。
吉沢氏は当時、福島第一原発で事故に取り組んでいた東京電力の幹部社員の一人です。
彼は数多くの危機が同時に進行していたと語りました。
巨大地震、繰り返される余震、津波、3度にわたる爆発、上昇を続ける放射線量…
振り返れば、身の毛もよだつ危険が幾重にも重なりあっていました。
「状況は何もかも悪いものでした。」
福良氏がこう言って、福島第一原発がきわめて危険な状況にあったことを認めました。
しかし私は死ぬつもりもありませんでした。それぞれが全力で取り組んでいました。死ぬことはすなわち、敗北することだったからです。」
しかしこうした義務感は、危機が進行しているような場合、時に人間としての一面を隠してしまう場合があります。
当時福島第一原発内にいたのは、5人の内4人までが地元の人々でした。
彼らは自分たちの家族が、津波にさらわれてしまったかもしれないという恐怖に苛まれ続けていました。
さらには上昇を続ける放射線量が、自分たちが暮らす町や村を危険に追い込んでいることも理解しており、何とか食い止めたいという思いで一杯でした。
彼らはもう何年も一緒に仕事をしており、そのことが彼らをここ福島第一原発に踏みとどまらせたのでした。
「巨大地震と巨大津波が襲った直後の最初の、そして最大の懸念は原発内の6,000人に上る労働者、とりわけ原子炉付近で働いていた2,000人の労働者の安全確保の問題でした。」
吉沢さんがこう語りました。
後でそれが誤りだったことを思い知らされることになりましたが、災害直後の最初の夜、すなわち3月11日夜、福島第一原発の施設内の人々は、すべての原子炉は停止した後、冷却され続けていると考えていたのです。
この考えが、時間を失うことにつながってしまいました。
夜が明けると最初の水素爆発が起き、その甘い観測を吹き飛ばしました。
そして、次々と恐ろしい光景が眼前で繰り広げられたのです。
その結果あらゆる局面で、施設の職員が原子炉を冷却するために水を注入する作業を、不可能になってしまいました。
さらに3月14日、15日と立て続けに爆発が起き、施設内の職員のほとんどを避難させるべきではないかという圧力が、一層強いものになりました。
こうした状況下、当時の福島第一原子力発電所所長であった吉田氏(現在、ガンとは異なる疾病のため入院中であると公表されています)は、難しい決断を迫られることになったと、吉沢氏が語ります。
最低限必要な事故対応を行うための人数だけを残し、残りの大半の職員を避難させるべきかどうか。
吉沢氏も、福良氏もインタビューを受けた際、吉田所長が事故現場を放棄するつもりなど、全くなかったと語りました。
吉沢氏は福島第一原発の危機が頂点に立った時点で、現場から少し離れた場所にあった臨時の事務所から、事故現場に戻りました。
「その時私は、自分はこの場所で死ぬことになるのだな、と思いました。日本で言うところの『骨をうずめる』覚悟でした。」
吉沢氏は今も続く複雑な感情について、言葉ではなく、態度に現れた瞬間がありました。
施設内に残った人々が自分たちの街や村を守るために、どれ程必死に絶望的な戦いを続けたか、そのことを説明しているうちに、感情が激してきた吉沢氏は言葉を続けることが出来なくなったのです。
ようやく次の言葉が出て来た時、彼はこう語りました。
「しかし世の中を見ると、私たちに対する痛烈な批判を感じるのです。」
こうした批判は、故郷を追われ、避難を強いられた人々の中でとりわけ強いものです。
そして日本社会に大きく広がっている見方でもあります。
1945年、第二次世界大戦に敗北した後、各地から帰還して来る中、これと似た罪悪感を抱いた兵士たちが数多くいました。
しかし英雄扱いされるための、罪悪感に苛まれ続けるための、どちらの時間も福良氏にはありません。
福島第一原発で働いている作業員のほとんどが東京電力の関係者である以上、事故に対する責任感を感じないわけにはいかないのだと、彼が語りました。
こうした感覚は、責任を潔く認める日本人の美徳に通じるものがあります。
しかし東京電力の経営陣は、全員がこうした感覚を共有していた訳ではありませんでした。
日本政府にまで責められた東京電力は、10月になってやっと、福島第一原発の事故発生の危険性を過小評価していたことを認めたのです。
http://www.economist.com/news/asia/21565269-meet-%E2%80%9Cfukushima-50%E2%80%9D-men-front-line-nuclear-disaster-heroism-and-humility
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NHKや共同通信社の『世論調査』の結果を見て、首をかしげざるを得ませんでした。
今回の選挙で原発問題を判断材料にする人は、全体の9%に過ぎない?
次の政権は自民単独と自民・民主の連合を合わせると5割、つまり原発推進の立場を(おそらくは)崩していない自民党が政権の座に座るべきだと考えている国民が5割?
今年の夏の時点で、日本は脱原発を推進すべきだと考えていた国民は8割に達していたのでは?
私の脱原発への思いは、3.11に関する世界中の記事を翻訳し続けるうち、自然と自分の中に出来上がって来たものです。
中でも、この記事が掲載されたエコノミストが2012年1月31日号に掲載した記事において展開された以下の主張が、その思いを不動のものにしたかもしれません。
いったん事故を起こしたら、その影響が一体どこまで及ぶか計り知れないのが原子力発電であり、地震など一切発生しない、丸一日車で走っても誰とも出会わないような荒野ならともかく、人間が暮らす場所近くで原子力発電など行うべきではない。
( http://kobajun.chips.jp/?p=1760 )
日本の政治や報道においては、「単なる発電手段」として、原子力発電を水力、火力と並べて比較するケースがまま見られます。
それが大いなる誤りであることを、この記事もまた教えてくれていると思います。
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