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原発爆発への備え(技術編)
http://takedanet.com/2012/11/post_5e53.html
平成24年11月12日 武田邦彦(中部大学)
どんなに万全を尽くしていても、人間のやることは間違いがある。特に原発や航空機、船舶などの高度な技術を要するものは、危険で一杯である。だから、「万全の安全性と万が一の備え」の二つがなければ到底、使うことはできない。
ところが、原発については「事故は起こるはずがない」という日本の悪しき文科系(官僚と電力の事務系)の力で、これまで事故に対する備えを禁止されていた。
たとえば、北海道の横路元知事は「原発反対」の社会党でありながら、自衛隊の「泊原発の事故時の訓練」をかたくなに拒否、「事故は起こるはずがない」という態度を取っていた。まさに「虚構の政治家」だった。私は北海道の人がなぜ彼の虚像に気がつかなかったのか、不思議に思う。北海道の人は比較的冷静沈着なのになぜこのような人が知事や議員として活動しているのだろうか?
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原発を運転するに当たっては確率の高い事故から順番に想定し、それが起こったときの予測手段、通報、避難、拡大防止、沈静化、生活の維持、治療などを防災計画として研究し、検討しておかなければならないのは当然である。
原発の重大事故には「被曝する側の危険性」として次のように分類される。
1)原子炉の科学的な爆発事故、
2)原子炉のテロによる攻撃、
3)爆発に至らない短期の漏洩事故、
4)長期にわたる漏洩。
2011年の福島第一の爆発事故は1)に相当する。テロによる攻撃は原子炉ばかりではなく、運転管理室(パネル)への攻撃の可能性が強いので、事故のあとの防御が難しくなると考えられ、3)では2007年の中越沖地震時の柏崎刈羽原子力発電所の事故がこれに相当する。この場合は漏洩した放射性物質の量が周辺に警報を発するべきかどうかの判断がもっとも重要になる。
まず第一の点だが、初期段階で重要なのは「爆発の兆候」を見いだすことと、「どの程度の兆候があったら地元消防に連絡するのか」という判断基準である。2011年の爆発事故の時の公開記録を見ると、3月11日の地震のあと数時間後の午後6時頃には「制御棒が入って核反応は止めることができたが、冷却が不能になり爆発が予想される」という状態になった。
仮に通常の工学的常識が原子力にも適応されていれば、この時点で発電所長は地元消防に「1日程度の後に原発が爆発する可能性がある」と通報しなければならなかった。このことだけでも工学的にはサボタージュによって事故の影響を拡大した責任がある。このような手順はすでに鉄鋼業、化学工業などで「一定の技術」になっていて、それこそ科学技術なので「気がつかない、気がつく」の問題ではない。
科学技術は学問だから「気がつく、思いつく」などはあり得ず、原発を動かすに当たって、1)予想されるアタック、2)それによって起こる現象、3)それが周辺に及ぼす影響、などは決まり切った科学的手順で検討される。2011年の福島爆発事故では「想定外」という言葉が使われたが、これは責任逃れで使う「文科系的な用語」であって、科学技術の世界ではあり得ない。
すべてのアタックは「想定内」であり、その中で「あまりにも起こる確率の低いものは除く」とするが、その時に定めた確率は数字で明記される。原発の場合は、第一段の事故確率は数1000年に一回で1万年以内の事象とされているので、今回の津波がたとえ1000年に一度でも、「想定内」であり、「確率内」ということになる。
爆発する可能性が出てきたときに、それが明々白々なら現場の技術者から直接、地元消防(住民の救護を担当する役所で、消防でなくても良いが、定めておかなければならない。福島原発の場合、救護を担当する役所が決まっておらず、大飯原発が再開された今でも救護担当が地方自治体なのか、政府の機関が急行するのか、自衛隊なのか決まっていない)に連絡することが工業界では決まっている。
仮に複雑な事象で爆発するかどうかの確率が10%程度以上なら、発電所所長が消防(救護担当役所)に連絡する。プラントの危機は所長より上の人の判断は不要であり、介在させてはいけないことが多くの経験からわかっている。現場の危機は技術的なことであり、人の健康や命に関することに経営的、政治的な判断を入れてはいけないからだ。
2011年3月の爆発事故は、3月11日に爆発の判断が容易だったか(私は容易と考えている)、困難だったかによるが、通報は運転主任か発電所長から地元に連絡し、地元は防災計画に従って住民の避難をさせるのが当然であった。これは「技術上の基準」であり、経営や政治とは全く無縁であることを今回の事故でも確認しておく必要がある。
化学工業、鉄鋼業、エネルギー産業、薬品、ガスなどを扱う工業はその社会的責任から、「経営判断を入れずに非常時の通報を行う」という倫理は日本社会に定着していたので、2011年の原発事故はきわめて異例であり、周辺の住民に多大の損害を与えた点で何らかの法的な措置も必要であるし、また今後の原発の再開に当たっては、通報と防災の完備が前提となろう。
爆発の予想が発電所から発せられた場合、住民に対しては避難を開始し、電力会社および国では被害を抑える緊急出動が必要となる。住民の避難については別途検討が必要だが、それは別の機会にして、まず電力と国の緊急出動を定めておく必要がある。
今回のような電源喪失の場合は、緊急電源車を急行させること、テロの場合には自衛隊か警察隊の派遣が必要であり、場合によっては重火器を用いた戦闘もありうる。テロの可能性のある世界の原発では自動小銃などをもった兵士が警備しているのをよく見かけるが、日本の場合、ほとんど無防備であることと、仮にテロのあった場合、付近の自衛隊からどの程度の時間で戦闘が開始できるのかも明らかではない。
再録になるが、北海道自衛隊の司令官が泊原発の非常時の際の訓練をやりたいと当時の横路知事に申し入れたところ、もともと原発は危険だから反対という立場を取っていた横路知事がこともあろうに「原発は安全で事故が起こらないから訓練は認められない」と言った。いったい、社会党はどういう見識で原発に反対していたのか、横路という議員は今でも議員をやっているが、北海道の人はなぜ選出するのか、理解に苦しむ。このような一つ一つの指導層の曖昧さが事故につながっているので、つみは深い。
(事故の際の科学技術としての考え方については別途追加したい)
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