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2012/11/2 晴耕雨読
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ただいまっ(^O^)今日も無事終了。
今日は10月最終日、今日で現場を離れて行く作業員も沢山いるでし。
様々な想いを胸に刻み込んだ作業員が1Fを去って行くでし。
ここ最近はやる事はいっぱいあるはずなのに作業量も減ってきてる感じがするでし。
退域された作業員さんありがとう、お疲れ様でした。
ただいまっ(^O^)今日も1日無事終了!現場は至る所、土木中心で作業が進んでるでし。
昨日はオイラの仲間で3.11以降からずっと一緒に作業してきた奴が退域した。
今日は彼と当時の事を振り返り話が弾んだ。
オイラ達は3.11からの一週間まともに寝ず、飲まず、食わずで毎日頭フラフラしながら必死に体を動かした。
なんで現場に残ったのか今になるとはっきりとした答えがない。
二人共3.11の夜、渋滞が収まった頃に一度富岡の家に戻ったが家の中は滅茶苦茶でとても寝れる状況じゃなかった。
真っ暗闇の街の中で行くあても場所もないので二人して何故か現場に戻ってしまったんだよなぁ…。
現場の車中でウトウトと一夜を過ごし、翌日の朝に全面マスク被った上司から起こされ異様な雰囲気に呑み込まれながら免震棟に連れて行かれたのが最初だったんだ。
それから二人して1号機爆発の後も頑張ったけど、さすがに3号機爆発した後には上司に今は避難しろって云われたんだ。
それまでは必死に二人共フラフラになるまで頑張ったなぁ…。
あの時は線量とか汚染とか内部被曝とか全然気にしてなかった。
ただただ何とかしなきゃの思いのみだった。
爆発前はまるで時限爆弾の導火線がだんだん短くなる感じはあったけど恐怖はなかった。
ただただ必死だった。
あの時、建屋の海側はまるで海岸の砂浜みたいな状況で、長靴で走って二人共よく転んでたなぁ…。
長靴で砂浜は走るもんじゃないね。
って感じの話で今日は色々盛り上がったでし。
彼が最後に言った言葉は
「俺達、完全に国に騙されたよね。最初250mSvまで被曝しても、それは除外で5年100mSvとは別だって…、別枠になるからって云われ信用したのに…。結局、国は俺達に何にもしてくれないよね」
って彼は話したんだ。
そんな思いで現場を離れて行く人は沢山いる。
彼はしばらく原発従事出来なくなり畑違いの部署に来週から行く事になった。
でも畑違いでも彼ならきっと大丈夫でし。
強い奴だからね。
1Fは未だに現場検証もされないまま当時の現物証拠はどんどん解体され、土に埋もれ、コンクリートに固められ日々無くなっている。
作業員も事故現場も全て有耶無耶になりそうな気がしてならない。
1Fの現場検証もないまま事故を無理やり収束させ、再稼動や新たな原発建設、海外への輸出。
このままで…。
オイラこのまま日本丸は進むべきじゃないと思うんだけど。
1日でも早くしっかりとした舵取りやクルーを選ばないと…。
> お仕事お疲れ様です。311からの事読んで自分のあの日を思い出しました。あの日から一年以上、私の思考は停止状態。あの日のヘリコプターの音と車中で過ごした夜を今でも忘れられません。あの中一生懸命頑張っていた人を知る事ができ私は進めそうです。ありがとう。
少しずつ無理せず前に前にでし(*^o^*)
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