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沖縄避難者の悲鳴 福島事故 ようやく東電が相談会
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2012102802000158.html
2012年10月28日 東京新聞[こちら特報部]
福島第一原発事故後、安全な環境を求めて首都圏などから大勢の人が原発の無い沖縄県に避難した。
今も福島県の避難者だけで約六百九十人が暮らしている。東京電力の動きは鈍く、二十六、二十七日になって、
ようやく損害賠償の相談会を開いた。避難生活が長引くにつれて、悲鳴にも近い声が上がっている。 (上田千秋)
「もっと早く動けたはずだ。1年7カ月以上もの間、何の説明もないのはどういうことなのか」。26日午後、那覇市の県青年会館で開かれた相談会に出席し東電の社員と初めて対面した村上美智夫さん(53)は憤った。
福島県双葉町に住んでいた。原発事故後の昨年3月下旬、母(78)と二人で、親戚がいた那覇市に避難してきた。「損害賠償を請求するための書類におわびは載っていたけど、印刷物の謝罪だけで済ませるつもりだったのか。われわれはたまたま避難先が沖縄になっただけで、福島県内などにいる人と何ら変わりない。こんなところまで逃げなければいけなくなった原因は誰にあるのか考えてほしい」と訴えた。
福島県白河市から那覇市に自主的に避難している伊藤路子さん(64)もあきれ返った。「沖縄にいるとなかなか情報が入らないから、皆不安を抱えていた。聞きたいこと、言いたいことは山ほどあったのにいくら何でも遅すぎる。東電という会社の体質なのか、『言われたから仕方なく来た』という感じがする」
福島県によると、原発事故などで避難生活を送る県民は約15万8千人。うち県外は約5万9千人に上る。沖縄県には今月4日現在で、693人が避難している。うち約8割は自主的に避難した人たちだ。関西以西では大阪府(759人)や京都府(705人)と並ぶ。
それにもかかわらず、東電の対応は後手に回った。北海道や関西、九州などの計9カ所では既に相談会を開いたのに、沖縄は事故発生から1年7カ月後にまでずれこんだ。
避難者の中でも、警戒区域などの避難区域外から自主的に避難して来た人たちは特に苦しい状況に置かれている。避難費用のほか、精神的損害に伴う賠償が毎月支払われる避難区域の人と違って、自主避難者には賠償はほとんどない。福島県内の限定された地域に住んでいた人で一律8万円。妊婦や18歳以下の子どもは60万円だ。
今回の相談会も、原則として避難地域に住んでいた人を対象としていた。
「東電原発事故の説明を求める会」の金成晴美代表(41)は「避難区域だけが汚染されたわけではなく、加害者である東電が勝手に線を引くのはおかしい。同じように避難の費用はかかっている」と主張する。
金成代表の自宅は福島県いわき市にあり、自身も自主避難者。会の代表として再三、説明の場を設けるよう東電に求めてきた。その結果、今回の相談会だけでなく、誰でも出席できる説明会が12月に開かれることが決まった。ただ、説明会を開くからといって自主避難者の扱いが変わるわけではない。「単に開くだけでは何の意味もない。きちんとした対応を求めていく」
沖縄への避難は、子どもの安全を最優先に考えて原発から最も遠いところ、原発が無い場所を求めてたどり着いたケースが多い。正確なデータはないものの、福島県だけでなく首都圏からも相当数の人が避難しているとみられる。
自主避難者の中には、地元に残る夫ら家族・親族の理解が得られずに仕送りが十分でなかったり、往復の交通費がかさむなどして生活が困窮している避難者は少なくない。
住宅ローンを抱えて自己破産ぎりぎりだったり、二重生活で生活費が続かずに福島へ戻った人もいる。金成代表は「事故から時間がたつにつれて、精神的疲労感が増している。せめて経済的な負担は解消してあげないと、本当に参ってしまう」と懸念する。
福島県郡山市に住んでいたフリーカメラマン桜井哲也さん(42)も生活費に頭を悩ませている。昨年6月、妻(40)と中学1年の長男(12)、小学5年の長女(10)の一家4人で那覇市に移住した。「家族ばらばらにはなりたくないので全員で移った」と話す。
生活は一気に不安定になった。知り合いがいない沖縄では仕事の依頼がほとんどなく、収入は5分の1ほどに激減した。災害救助法の規定で最低2年間は避難先の家賃はかからないものの、妻のアルバイト収入を含めてようやくぎりぎりの生活ができているという。
水戸市に自宅がある久保田美奈穂さん(33)は栃木県や東京都の知人宅などを転々とした後、昨年6月から母親(64)と小学2年の長男(8つ)、次男(2つ)の4人で那覇市に住んでいる。
「最初は、1カ月ぐらい避難してみようという軽い気持ちだった。でも、専門家の話を聞いたり、チェルノブイリ原発事故のことなどを勉強していくうちに、汚染は福島だけにとどまらない、こちらにいた方がよいと思うようになった」と振り返る。
ところが、そんな気持ちを周囲は理解してくれない。地元に残った夫(40)は最初から避難には反対で、仕送りは生活できるぎりぎりの額。地元の友人に電話をしても「もう大丈夫だから戻ってきたら?」と返ってくる。
久保田さんは「『沖縄まで逃げる必要はないだろう』とか、いろいろな意見があることは分かっている。だけど考え方は人それぞれで、私は沖縄にいるのが一番いいと思ったからここにいるだけ。その気持ちは理解してほしい」と話す。
避難者がさまざまな思いを抱える中で、それを支える動きも続いている。「生業を返せ、地域を返せ!福島原発事故被害弁護団」は27日、那覇市で集会を開催。国と東電を相手にした集団訴訟を準備中で、沖縄の避難者にも参加を呼び掛けた。
馬奈木巌太郎弁護士は「沖縄は地縁、血縁がないのに来ている人が多く、その分生活費がかさんでいる。国が勝手に決めた賠償基準に従って黙っている必要はない」と主張する。
地元住民らでつくる「つなごう命 沖縄と被災地をむすぶ会」は昨冬以降、定期的にイベントを開き、避難者同士が交流できる場をつくってきた。「おむすび市」と名付け、バザーなどの他、内部被ばくに詳しい矢ケ崎克馬・琉球大名誉教授の講演、医師や弁護士による健康・法律相談なども実施している。
同会共同代表の沖本八重美さん(66)はこう訴える。「子どものことを大切に思って、精神的・経済的負担が大きくても、原発から一番遠い場所に行こうと考えた親の気持ちはよく分かる。東電はそうした避難者の思いに耳を傾けてほしい」
[デスクメモ]
沖縄の人々は温かい。本州からの避難者を「なんくるないさー」と受け入れてくれている。「仕事はないけど」と心配までしてくれる。基地問題では、差別に遭っているというのに。経済的に困窮していても、何とか暮らしていけるのは、沖縄の人々の情けがあるからだ。都会ならこうはいかない。(国)
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