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インドで燃え上がる反原発運動
2012/10/27(土) 午後 6:41
活動報告
アジア情勢
「インドで燃え上がる反原発運動」と題して、広島中区の国際会議場で岐阜女子大学の福永正明さんが講演しました。グローバリゼーションを問う広島ネットワークの主催。
福島原発事故から1年半が過ぎましたが、日本政府は事故から真摯に学ぶことなく「原発輸出」の方針を変更していません。
日本企業は、これまで同様にアジアの人々に危険な原発を売り込もうとしています。インド国内にはウラン鉱山や高速増殖炉などの核関連施設があり、核保有国でもあります。その意味でインドへの原発輸出は複雑な問題をかかえていますが、日本はインドと原子力協定を締結し、金儲けをしようとしています。
一方、住民の原発反対運動は福島事故後に大きく盛り上がっています。インド南端に位置するクダンクラム原発建設予定地では住民が非暴力抵抗運動を25年間続けており、最近も女性を中心とした住民が抗議のハンストなどを続けてきました。しかし、去る9月10日には州政府警察および特別治安部隊が警棒での殴打、催涙ガス噴射などで弾圧、さらには実弾銃撃により死者が出る状況に至り、インド内外から大きな批判の声が上がっています。
福永正明さんは、3月にクダンクラム原発施設に近い反対運動拠点を訪問され、雑誌『世界』2012年5月号、11月号などに現地報告と日本の責務について書かれています。
福永さんは
「日本の民主党政権のもとで原発輸出へかじを切り状況が悪化している。」と告発したうえで、しかし、「では、民主党政権が倒れ別の政権になったからといって、状況がよくなるわけではない。民主党は(原発輸出という)パンドラの箱を開けただけだ。」とも指摘しました。
以下は、福永さんのお話の概要です。
今、問題となっているクダンクラム原発をインド政府は本気で動かさないといけない、と思っています。
■知っているようで知らない国・インド
インドは、日本人からは、知っているようであまり知らない国です。日本人は、カレーやお釈迦さま、非暴力(ガンディー)、自然、大地、人口が多い、経済成長、新興大国、核実験などのイメージをなんとなく持っています。
日本とインドは、お互い、悪意なく、良い様に誤解しています。
インドは1952年、対日単独講和しています。インドはアメリカの日本駐留に反対していました。
ただ、インドはその後ソ連よりの路線を取りました。アメリカとの関係は疎遠になり、日本とも疎遠になりました。
■冷戦崩壊後、手を差し伸べた日本
インドは1991年、ソ連崩壊により、経済危機になり、日本は手を差し伸べました。
いま、我々が直面している諸問題があるという意味での日印関係は1991年が起点です。
さて、インドは核開発を独自で進めています。
独立前から原子力研究、核兵器開発に進みました。ただ、ウラン埋蔵量が少ないのでトリウムに着目しました。
そして、1968年のNPT(同条約は核保有国の独占を認める)には加入しませんでした。中国に対する核抑止力を狙いました。
1974年、インディラ・ガンディーの時代に初めての核実験をアメリカが売った原子力発電所を活用し、実施しました。アメリカは激怒し、原子力供給国グループを結成し、対印原子力協力や貿易を取り締まりました。
インドは独自の立場で原子力の開発を続けるも施設は老朽化しました。
インドは、五大国の核独占を批判。NPTは、非核保有国への査察を義務付ける一方、五大国にはないという不平等条約を批判しています。
本音はアメリカに振り向いて欲しかったのです。そこで、1998年に核実験を行いました。パキスタンも対抗して実施。南アジアは世界で一番核戦争が起きやすい地域になりました。
インドは日本の後ろ盾で、新興経済大国になりました。特にIT産業を中心に成長しました。巨大な人口(13億人)、平均年齢が27歳。中流層の購買意欲は凄まじいものがあります。一方で、医療の発達で、男女のうみ分けとくに、男の子ばかりを産む傾向が強まるという問題も起きています。
さらに、道路や鉄道、電力などのインフラが不足していました。
日本が1998年の核実験を契機に援助を止めたことがあります。
2001年、9.11テロ後、パキスタンへの経済制裁を解除し、インドへの制裁も解除しました。
しかし、2011年後半から経済成長率が低迷し、インフレ、輸入増大、投資減少という悪循環になりました。
■ブッシュによる「インドの発見」
一方、アメリカはブッシュ政権がインドとの協力に転換(インドの発見)。
そして、NSGのインドへの厳しい規制を解除しました。
一方で、世界的に原子力産業が不況でした。そうしたタイミングが重なり、原子力協定をアメリカやイギリス、フランス、ロシア、カナダ、韓国と連携。
日本企業も米仏と一緒になって、間接的にインドに進出しました。
欧米は日本の格納容器が欲しかった。
311に、アレバの社長とサルコジが訪日。日本の原子力産業が必要、というメッセージを残したのです。
■民主党政権による対インド方針転換
これより前、民主党政権の成長戦略として、原発や新幹線輸出に乗り出しました。
地震国で、これだけの原発があるのは日本だけです。
自民党政権でさえもNPTなどを理由にインドへの原発輸出に消極的でした。
しかし、民主党政権で「金儲け優先」になりました。前原さん、仙谷さんら閣僚と、電力関係の労組などの後押しで2010年6月末に交渉を開始しました。
日本もインド巨大市場に乗り遅れるな!とばかりに、岡田外相が訪問。
岡田さんは、「核実験を行ったなら協力は停止」と述べ、インドにこれが反発しました。原子力協定の交渉は棚ざらしのままです。
インドは311にも関わらず、原発を推進。
野田総理はこうした中、国内では「脱原発依存」といいながら、国外では「より安全な原発を国際社会に提供」と宣言。そして、2011年末に野田総理が訪問しています。
■切迫するクダンクラム原発
クダンクラム原発(計画)は、ロシア型原発です。1988年にベンガル湾の海沿いです。2004年のインド洋大津波で被害を受けています。500世帯が避難しています。
ですから、現地の人は、311を自分の問題として考えました。
事故が起きたらスリランカにも影響があります。去年の7月に完成し、12月に商業稼動を予定しました。
■フクシマを自分たちの問題として捉える現地の人
試運転の白い煙を見た人たちは、フクシマが二重写しになり、反対運動が盛り上がり、原発入り口でハンストなどをして抵抗しています。
州政府も住民合意が必要、とし、中央政府との交渉に原発問題を利用。
運動の主体は女性や子どもを抱える母親たち。
しかし、2012年3月に州政府が弾圧。反対運動のリーダーは、内乱罪で指名手配されました。住民が必死でかくまっています。
福永さんは、現地を訪ねた際、聞かれたのはフクシマのことです。
福永さんは「フクシマの事故は日本の事故ではない、自分たちの問題だ」と現地の人は思っている。しかし、現地のメディアは一切報じません。
反対運動の人たちは、投票券も返却。政府も州政府も信じない、という訳です。
現在、本格稼動を認めない戦いには、内外から支援が起きました。
当局は弾圧を強め、9月10日には一人が亡くなりました。
なお、原発は動かしたくても動かせない状況ということです。
そんなものを動かしていいのか、という状況です。
■日本の責務
福永さんは以下の様に、まとめました。
日本は非核政策を継続してきたことは一応尊敬を得てきた。非核政策は継続しなければならない。
そして、核廃絶をしなければならない。
パキスタンは中国やバングラデシュはロシアから原発を購入します。
あらゆる原発は、核兵器につながります。
インドでも311後原発への危機感は高まっています。
印パの核開発競争に日本が助力していいのか?
国内だけでなく、海外への原発輸出にも反対しなければならない。
参加者からも活発な質疑や意見がでました。
「でかい原発に頼らずに地域にあったエネルギー生産をしたらいいのではないか?」などの質問に対し、「インドでは、長距離の送電網が不十分。逆にだからこそ、地域分散型のエネルギーにすればいいと思う」などと答えました。
「インド国内の世論」についての質問の対しては、「先進国人はインドに電気を使うなとはいえない。しかし、電気の使い方、作り方についてはきちんとアドバイスすべき」などと、答えておられました。
■インド当局、日本人三人の入国を拒否!
さて、今日の主催団体のグローバリゼーションを問う広島ネットワークの渡田正弘さんら3人は、インド入国を拒否されました。
その顛末について報告がありました。
いかに、インド政府が神経質になっているかわかりました。
チェンナイ空港で、入国管理局にビザを申請するために行くと、別室に呼ばれました。
クダンクラム近くへの飛行機の予約を取ったリストが入国管理局に届いていたらしいそうです。
向こうはそれをチェックしていました。そのことを問いただされました。
渡田さんは、クダンクラム原発反対への国際署名をしていたことも向こうは知っていました。
また、グローバリゼーションを問う広島の代表だろう、とも言われました。
上関原発反対運動家だろう、ということもインド当局も収集していました。
もらった書類には、すぐに追い返すということが書いてありました。
そして、パスポートも客室乗務員に取り上げられ、先ほど乗ってきたエアーアジアの飛行機でクアラルンプールに帰った段階で、やっと返してもらいました。
これほど厳しいとは思わなかったと渡田さんは振り返りました。
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