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特集ワイド 原発の呪縛・日本よ! 宗教学者・島薗進さん(毎日新聞、夕刊)
毎日新聞 2012年10月19日 東京夕刊
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宗教学者の島薗進さん=梅村直承撮影
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<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇倫理の目で「陰」を見よ−−宗教学者・島薗進さん(63)
「言われてみると、そういう感じがありますね」
東日本大震災後、社会のとげとげしさが緩んだ感じがしませんかと問うと、「そういう話はあまり聞いたことがないのですが」と前置きし、宗教学者、島薗進さんはこう続けた。「生活は悪くなり、若者の就職はますます難しく、生活保護が増え、自殺者は減らない。そこに震災、原発事故の被害者がいる。明るいニュースがないけれど、確かに、そんな感じがする」
根にあるものを考えているのか、ゆっくりと言葉をしぼり出す。「原発について言うと、政府も霞が関も経済界もマスメディアも信用できない。そういう人がデモに行ったり、ソーシャルメディアで交流する『新しい民主化』の勢いが増している。逆に言うと、不信感を取り払う力がもはや体制側にないということ。だから散発的に創意ある反応が生まれる。日本社会のあり方を変えていくことになるかなという気がしますね」
昨年6月、東大柏キャンパスの空間線量が毎時0・36〜0・50マイクロシーベルトで低い数値とは言い切れないのに、本部が大学の掲示サイトで「健康になんら問題ない」と発表したことに反発。同僚3人と声明を出し、約70人の教員を動かし、本部に発表を取り下げさせた。この人の思想の底流にあるものは何か。
震災前からスピリチュアリティー(霊性)を切り口に、日本人の近代化や世界観、人間観を問い直してきた。07年の著書「スピリチュアリティの興隆−−新霊性文化とその周辺」では、70年代から00年代にかけて「精神世界」に傾倒していく社会を丹念に追った。合理主義的な官僚らエリートが支配する近代が終わり、20世紀後半、環境破壊や都市の貧困が目立つようになった。その時、カルト的な宗教や精神世界へ人びとが向かったのは「近代合理主義こそが善であるという信念が、広い層の人びとによって疑われるようになったから」だと。
原発事故後の社会の変化がそこにぴたっと重なる。「いろいろな枠組みが崩れてきているのは確かです。自民党の支持基盤だったJAグループや宗教界が脱原発を打ち出し、かつての左右、体制・反体制と違うところで行動する組織、個人が増えている」
今年7月、大飯原発の再稼働反対の新宿デモに右翼の街宣車が横づけし「右翼だけど脱原発」と書いたプラカードを見せ走り去った。その話を紹介すると、島薗さんは笑いながら「原発問題は左右で区別できなくなった。昔、保守的で教育勅語(ちょくご)を肯定する宗教団体がもっと平和的な憲法を編めと主張するのに驚いたことがありましたが、伝統を尊ぶがゆえに、科学技術で金もうけする社会に疑問を呈している保守的心情の人もいる。生活基盤が壊されることへの反発、『いのち対カネ』、どちらを取るかみたいな発想が行き渡っていますね」。
それでも個々の日本人にはかなり温度差がある。「原発の被害を肌で感じる地域とそうでない地域。大組織に属し経済発展で幸せを築いてきた勢力と、自然破壊にあらがう宗教や農水産業的な基盤を持つ人たち。男女では女性に脱原発派が多い。54年のビキニ(環礁での米国の核実験)の時も反対者に女性が多かった。自然を力でねじ伏せ富をもぎとる側と、自然からの恵み、いのちの循環を尊ぶ側との価値観の違い。社会のとげとげしさが薄まったとすれば、女性的な柔らかさが目立ってきた面があるのかもしれません」
当然、反動もある。
「社会秩序の揺らぎに対し、尖閣問題などで愛国心、ナショナリズムをもり立てる、きな臭い動きがある。自民党の支持率が上がっているのを見ると、脱原発に対する巻き返しは無視できない」
日本の原発事故に欧州諸国は即座に反応し、幾つかの国は脱原発を決めた。震災の時、たまたまイタリアにいた島薗さんは、敏感に反応したイタリア人が「大好きになった」という。「イタリア、スイス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、スウェーデンなどキリスト教会の精神的影響力が強い国が脱原発の道を選んでいる。こうした国々はある種の精神性や価値観を尊んでいる点で共通性があり、もともとエコロジー感覚が強い。植民地主義で自然を支配し領土を広げてきた英米仏やロシアなどの核を持つ安保理常任理事国と、対する北中南欧の国々が違う方を向いている印象がある」
また、欧州は86年のチェルノブイリ原発事故を身近で経験したのが大きい。「子供の甲状腺がんの軽視など、科学者の情報隠蔽(いんぺい)や政治のうそを目の当たりにしてきたからこそ、自分たちの倫理観で決める道を選んだ。日本の場合、健康被害が決定的な形でまだ明らかになっていないのが、国全体の反応の鈍さにつながっている」
科学の権威への不信感は大学1年、18歳の時にさかのぼる。祖父、父とも医学博士の家に生まれた島薗さんは医師になるため猛勉強し、現役で東大に受かった。「金沢大付属高校時代、自分の道を考える前に競争に乗った。現在の経済にも似て、目的を定める前に競争に勝たねばならない。そこに疑問を感じていた」
大学に入った67年、医学部闘争が始まる。「先輩たちの闘争を見ていて、医学者の権威主義、ごまかしを知った。東大医学部長を務めた祖父は水俣病の病因隠蔽に関わったし、いのちを守る学問という姿勢が欠けているように見えた。もっと科学技術の陰を直視せよと学生だった自分は感じていた。その経験が今、原発問題を考える原点になっています」
紛争後、医学に戻る気がせず、収容所文学など人間の苦悩に向き合う思想にひかれ、「人間を学ぶ場として宗教学に進路を変えた」。
科学と人間の関係を直視するようになったのは、28歳の時の闘病も影響している。「胃腸を悪くし、病院で薬を飲み続けたがまったく治らず、最後はおきゅうで治したんです。病気をねじ伏せる西洋医学と違う方法、価値があるという考えがその時はっきり出てきました」
原発をどう見るかは「倫理の問題が関わる」と島薗さん。「人のいのちを脅かす可能性がある技術を経済的利益があるからと肯定したり、被害を軽く見ざるを得なくなるからです。現に、真実を隠しゆがめることに科学は関わってきた。どういう社会を望むかも倫理の問題と言えます。経済優先か、自然をむさぼらない暮らし方を求めるか。より幸せな生活のあり方は何かという価値観を問うのも広い意味で倫理的な問いですね」
今は脱原発の姿勢を明確にし、放射線被ばくや生命倫理の問題をツイッターで積極的に発信する。そこには、受験地獄を抜け出した時に始まった真っすぐな道筋が見える。【藤原章生】
t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
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■人物略歴
◇しまぞの・すすむ
東大文学部宗教学・宗教史学教授。政府の生命倫理に関する会議に参加したことから宗教と医療の関わりに関心を持ち、戦時中の人体実験などを扱った「悪夢の医療史」(08年)を編集。近著に「日本人の死生観を読む」。
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