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「原発の町を背負いながら」 2012.10.18 投稿者 Nrev2
福島第一原発がある大熊町から札幌に避難した家族。平静を取り戻した矢先、祖父母は孫たちを残し福島に戻る悲しい決断を下した。原発に翻弄される一家の、苦渋の400日。
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http://tvtopic.goo.ne.jp/program/info/597572/index.html
「北海道クローズアップ」
- ヒューマンストーリー「原発の町を背負いながら」 -
原発事故を機に住み慣れた福島県大熊町を離れた三世代一家は、長男を除く一家が札幌に避難し、東京電力で働く長男は福島に残り火力発電所の復旧作業を行っている。長男が子供たちに会えるのは2ヶ月に1度となったが、札幌に暮らす息子が生活に馴染んでいるのをみてホッとしていた。
右半身が不自由の一家の夫は団地にこもるようになっていた。福島に戻りたい気持ちはあるかとの問いには、それだけを信じて生きていると答えた。一方妻は札幌で働きながら、福島へ帰りたいと泣きながら話した。その後、長男の妻と孫は札幌に残り、夫婦は福島に戻ることになった。
札幌から福島に戻った夫婦は、いわき市で新たな生活を始めた。団地の頃には家に引きこもっていた夫はリハビリを兼ねてジムに通うようになり、妻は再び働くようになった。妻は、大熊に戻れないから、いわき市を大熊町に置き換えただけの話だと話した。2人は今も防護服を着て大熊町の自宅に戻っている。夫婦が育てたなし農園は、枝が伸び放題になっていた。
いわき市の夫婦の家には正月には次男だけが戻ってきた。妻は、数年後に落ち着いて家族が暮らせるようになったら「明けましておめでとう」といえると話した。
札幌にいる長男の妻は、子供たちと一緒にいるために仕事を辞めていた。妻は、子供たちを二度と原発事故に合わせたくないという思いから、札幌での生活を続ける決意をしていた。
夫が、北海道に住む孫に会うために久しぶりに札幌に戻ってきた。夫は何度も孫たちに話しかけようとするが、孫たちは祖父のそばに近づこうとしなった。夫は、人見知りするようになったんじゃないかと話した。
原発事故から1年がたった。いわき市にある臨時の町役場に補償の相談にやってきた妻は、東京電力に対して、原発にはいっぱいお世話になっていたのでそれを考えると賠償を請求するのはつかれると話した。夫は原発作業員を送迎するバスの運転手として定年まで働いており、妻も東京電力のイベントによく参加していたという。夫は東電には恩恵を受けたら悪くは言えないと話した。
国は、大熊町の一部地域で10年たっても帰還できないという見通しを示しているが、夫婦はそれでも住み慣れた街の行く末を見つめ続けていきたいと考えている。また、大熊町の仲間とこれ以上ばらばらにならないように声をかけ集まるようになった。また福島の火力発電所の復旧作業をしている長男は、福島県人が作業をやらないとダメだというのが自分の中であると話した。4歳になった孫娘は札幌の幼稚園に入園した。妻は、最後にどこにいようと関係なく、大熊町民であることには変わりないと話した。
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