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日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?筆者 金平茂紀 (朝日新聞) ジャーナリストがジャーナリズムを評価
http://www.asyura2.com/12/genpatu28/msg/190.html
投稿者 ナルト大橋 日時 2012 年 10 月 18 日 11:47:42: YeIY2bStqQR0.
 

http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201209070270.html

2012年9月10日10時52分
「ジャーナリズム」12年9月号掲載

 日本のほとんどのメディアがロンドン五輪漬けになっているなかで、このような文章を書くのは心が重たくなる。だが、きちんとこの問題を論じることが大事だ。とかく一色に染まりがちと言われている日本のマスメディアにおいて、首相官邸前や各所で展開されている脱原発、原発再稼働反対を訴えるデモ・集会をめぐっては、メディア間にはっきりとした扱いの違いがみられるからだ。この違いはどのような理由によるものなのかを把握しておくと、そこに自ずと見えてくるものがあるのではないか。

 違いは新聞において明白だ。読売・日経・産経といった新聞は明らかに、脱原発集会、デモの報道に対して抑制的、あるいは露骨な嫌悪さえ滲ませている。逆に、東京・毎日・朝日の各紙は今回の事態に一定のニュース性を見出して、比較的大きく報じていた。とりわけ東京新聞は、紙面を大きく割いて集会・デモの様子を詳報している。

 テレビ各局の報道の仕方にも違いがみられた。僕は在京の民間放送局に勤務している。もちろんすべての報道をチェックしていたわけではないが、体感として伝わってくる温度差が各局のあいだには確かにあった。さらには、同じ局のなかでも番組によって、さらには曜日によって違っていたこともわかった。

 違っていること自体はよくも悪くもない、と言いたいところだが、あれほどまでの数の市民が「非暴力直接行動」という形で街頭に繰り出したという事実が、有力新聞において全く無視されている事態に異様なものを感じるのは僕だけではあるまい。海外メディアの特派員たちは、日本の一部のメディアのあまりの過小報道ぶりに、現場で驚きを隠していなかった。

●異議申し立てを報じないテレビ

 これまで日本のテレビは、ごく概括的に言えば、原発について異議申し立てをする集会やデモに対して実に冷淡だった。ほとんど取材さえしていなかった局もあるのが現実だった。スリーマイル島原発事故(1979年3月)やチェルノブイリ原発事故(86年4月)の直後には、日本でも市民らが活発に反原発運動を展開したが、バブル経済の絶頂期を経て、それらの「警鐘」は忘れ去られていった。99年9月の東海村JCO臨界事故直後にもそれなりの市民らの動きはあったのだ。だが日本経済の景気後退から「失われた10年」といわれる局面に入って、原発に対する市民からの異議申し立て報道は、徐々に消えていった。とりわけ〈3・11〉以前の10年余りの時期、反原発・脱原発運動はマスメディアから、とりわけテレビからはほぼ完全に消え去っていた。

 例外的な番組として記憶に残っているのは、大阪・毎日放送の『映像08 なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・“異端”の研究者たち』(2008年放映)くらいだ。いわゆる熊取六人衆について正面から取材していた。放送後に局に対し関西電力からクレームがつきトラブルとなった。〈3・11〉前には、地球温暖化をふせぐためのCO2削減の目的に合致すると称して、政府主導の「原発ルネサンス」報道が席巻していたことは記憶に新しい。

 そのようななかで〈3・11〉により福島第一原発で史上最悪規模の過酷事故が起きたのである。政府は「収束」を宣言しているが、真の「収束」までには今後数十年という膨大な時間を要する事態が今現在も続いている。この新事態を受けての市民の動きは、これまでのどのような市民による反原発・脱原発運動とも異なった新しい次元のものとなった。それは「当事者性」ということに引きつけて考えるとわかりやすい。

 参加している市民の切迫感、内発性、もっと言えば「本気度」の点でかつてないほど突出していたのである。実際に現場で目撃したのだが、被災地の福島県から乳児を抱えながら、個人としてやむにやまれず参加してきたお母さんたちが数多くいた。

 その「本気度」が反映されて、参加人員の急激な拡大、運動の形態の自由な広がり、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)経由の圧倒的な情報の共有、主催者としての政党・労組の後退などいくつものニュース要素が登場してきた。そのことに既成メディアであるテレビは気づいていただろうか? それまでの10年余りの報道の日常感覚に埋没して、「どうせデモやるああいう人たちでしょう」というような慣性・惰性に支配されていなかったか?

●メディアと市民の絶望的な「距離」

 僕が個人的に抱いている悔悟を敢えて言えば、今の日本のテレビ報道の現場を指揮しているデスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった大衆運動軽視、蔑視の感覚に色濃く影響された世代が多いということがある。換言すると、スリーマイル島、チェルノブイリ、JCO事故直後に報じてきた異議申し立ての動きの価値を、これらの世代に継承できなかった僕らの世代の責任ということになる。

 後続世代の大衆運動、社会的な異議申し立てに対するアレルギー、嫌悪感、当事者性の欠如には凄まじいものがある。デモや社会運動という語にネガティブな価値観しか見出せなくなっているのだ。これはおそらく日本的な特殊現象であり、かなり異様な事態である。欧米では、言うまでもなくデモは権利である。

 だがこういう僕らの同僚たちが「アラブの春」だの、エジプトのタハリール広場の大衆行動については、ポジティブな評価を与えているのである。ニューヨークのウォール街占拠運動にさえ「あれは格差拡大に反対する99%の異議申し立てだ」と理解を示す。だが自分たちの足元で人々が繰り出すと、そこに連続性を見出すどころか、「距離」を置く同僚・後輩たちがいるという冷徹な現実がある。

 既成メディアに対する人々の不信感は、この「距離」に由来する。6月29日に僕らは首相官邸前で大飯原発の再稼働反対デモの取材をしていたが、「お前らは取材してもどうせ放送なんかしないのだろう」「帰れ!」という言葉を浴びた。同行したカメラマンは必死に罵声に耐えていたが、ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長がニヤニヤしながらそれを見ていた。「メディアに対して厳しいね」と彼は言っていたが、それには理由があることを彼は知っている。日本での取材歴が長く、日本語も器用に操る彼は、近著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)の中できわめて本質的な指摘をしている。

 〈私が12年間、日本で取材活動をするなかで感じたことは、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。似たような価値観を共有していると言ってもいい。国民よりも官僚側に立ちながら、「この国をよい方向に導いている」という気持ちがどこかにあるのではないか。やや厳しい言い方をするならば、記者たちには「官尊民卑」の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない〉

●「官尊民卑」がもたらす取材感覚の欠如

 悲しいかな、ファクラー氏の指摘に反論するべき論拠が僕にはない。こうした「官尊民卑」の思想は、市民の集会・デモを扱う姿勢に端的に表れている。つまり、いつのまにか警備する側の立場に報道機関側が同調してしまっていなかったか。まず参加人数にこだわる。主催者発表と警察発表を並列的に報じて恥じない。逮捕者が出ても、「公務執行妨害で2名が逮捕されました」で終わり、その逮捕が不当か妥当かを報じようとする姿勢がハナからない。そもそも逮捕を疑ってかかる発想そのものが取材記者たちから失われてしまっているのである。

 ましてや警備体制のあり方について検証するような姿勢などほとんど見当たらない。「車道にはみ出さないでください。歩道に留まって立ち止まらないでください」と警察が連呼し続ける。ところが歩道から溢れるほどの人数が集まってしまっているのだ。そうすると、歩道に押し込める警備方針の方が危険になる。実際、車道に人々が溢れだしたことが何度かあったが、それはいわば、けが人が出るおそれが避けられた「緊急避難」だったとも言える。あるいはデモ・集会参加者らの顔を警察の警備・公安担当が実に大っぴらにビデオ撮影している。明らかに肖像権の侵害だ。だが、そのような風景に疑問を感じる記者がもういなくなっているのだ。

 60年反安保闘争のデモ取材に関わっていた僕らのはるか先輩たちの生中継放送記録を僕は聴いたことがある。「警官隊のひどい暴力です。今、警官が私の腕を掴んでいます。これが日本の民主主義の姿です」(ラジオ関東の放送)。今から考えると信じられないような生々しい放送が実際に行われていた。僕はそれがいいと言っているのではない。そのような報道がなされていたという事実をそもそも知らないことが問題なのだ。

 NHKはこの間、原発に異議申し立てをする集会・デモの動きに対して、実に反応が鈍かった。それはまさに「官尊民卑」を地で行くようなオンエア感覚だ。このことはNHKの内外からも「なんだか変だ」という形で具体的に表明されている。

 市民団体の「放送を語る会」が、7月16日にNHKの目と鼻の先、代々木公園で行われた「さよなら原発10万人集会」をテレビ各局がどのように報じたかモニターした結果を公表している。この日の集会・デモは、主催者発表で17万人という脱原発集会として〈3・11〉以降では空前の規模の人々が集まった。僕自身、取材に行っていたので体感しているのだが、呼びかけ人の大江健三郎が「私たちは侮辱のなかで生き、その思いを抱いてここに集っている」と述べ、坂本龍一が「福島の後に沈黙していることは野蛮だ」と信条を語った。坂本はさらに「たかが電気のために、なんで生命を危険にさらさなければならないのですか」と訴え、参加者たちの大きな共感を得ていた。言葉の力をひしひしと感じさせられたシーンだった。

 同会のモニターによれば、テレビ朝日の「報道ステーション」、TBSの「ニュース23クロス」、日本テレビの「ニュースZERO」といった番組がそこそこの時間枠を確保して報じていたのに対して、NHKの「ニュースウォッチ9」は1分半程度、しかも政府主催の意見聴取会の「まるでインサート映像扱いになったようにもみえた」と手厳しく批判されていた。フジテレビの「ニュースJAPAN」に至っては、オーストラリアでカンガルー大量発生(4分10秒)という暇ネタ以下の扱いで、35秒程度だったという。これくらい局によって扱いは違っていたのである。

 僕自身は、当日の「ニュースウォッチ9」や「ニュースJAPAN」の編集長をやっていた人物が誰かを知っているが、おそらく彼ら個人の判断以上に何としても大きく扱いたくない「空気」が職場に蔓延しているのだろう。

●記者の基本動作がなぜできないのか

 僕の記憶では、首相官邸前の抗議行動をめぐっては、6月22日の「報道ステーション」の「ツイッターで広がるうねり」というミニ特集が、最初に詳報したのではなかったか。この時は4万5千人という人々が首相官邸前に集まったが、NHKはカメラクルーを出していなかった。この間の事情をNHKの元プロデューサー永田浩三氏はこう語る(『マスコミ市民』12年8月号から)。

 〈たとえば「ニュースウォッチ9」をみても、……あれだけ多くの人たちが大飯原発再稼働に反対して首相官邸を囲んでいるのに、4万5千人が取り囲んだ時は、クルー一つ出していません。ですから、その翌週は「正しい報道ヘリの会」が立ちあがりました。NHKは日常的にヘリコプターを使えるのに、「どうせNHKは取材してくれないだろうから、皆でお金を出し合ってヘリコプターを飛ばそう」と、なけなしのカンパが集められたのです。涙が出るほど情けない事態です。NHKはもういらないと言われたようなものです〉〈その翌週の金曜日の午後、僕はNHKの仲間に電話をして、「今日また取材しなかったら、大変なことになるよ」「いま報道しなければ、市民から強い批判に晒(さら)されるだろう」と言いました〉〈権威や公の機関に尻尾を振って情報をもらい、何の疑念も持たずに情報を垂れ流していてはなりません。経産省前のテントに集まっているのはどういう人たちなのか、首相官邸前で声を上げているのはどういう人たちなのか、自分たちでちゃんと取材をして見極めることができていないと思います〉

 NHKの現場の記者たちのなかにも、息苦しさを感じている人たちがたくさんいる。彼らは今、声を潜めている。組織の論理が記者の良心を押し潰しているのだ。

 〈3・11〉以降の歴史の大きなうねりの証言者となるべく、現場に足を運んで取材を続ける、発信を続けるのは、報道者としての基本の基本だろう。それがなぜできないのか。マスメディアに関わっているひとりひとりが考えるべき時が来ている。

 

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コメント
 
01. 2012年10月18日 14:06:46 : Rmgo2cK5ZQ
マスコミがマスゴミになったのは、記者共が、一般企業と異なり世論形成により国の運命を左右する、社会的責務の極めて大きい職能であることも忘れ、出世欲と失業回避にひた走るうちにいつの間にか健全な精神まで蝕まれ、倫理観を喪失し善悪の見極めさえ出来なくなっているからである。

日本社会は野豚に見られるとおり、正論を捨て去った人間のクズが出世する社会であり、社主やデスクや編集長が低劣なのは不思議でも何でもない。低劣がスーツを着、敬語を使い、政治や経済や文学や歴史を語っているに過ぎない。

だから、デスクや編集長がダメだからなどとあげつらったところで問題は解決しない。そういうダメデスクやダメ編集長がダメ記事を作り上げることが出来るのも、お前たち無数のダメ記者がいるからこそだ。

お前たちダメ記者が初心に返って心を入れ替え、社や上司に立ち向かわない限りマスゴミはさらにマスゴミになるだけだ。


02. 2012年10月18日 15:56:40 : Rmgo2cK5ZQ
>>01追加

ついでに言うと、「日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?」では無い。正しくは、

「日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを隠蔽したのか?」

である。言葉は正しく使え。


03. 2012年10月18日 16:30:51 : Jb26LcokIQ
まあ、記者の知能低下も大きい、と思うよ。

金平さんは良心的な方だと思うけど、テレビメディアにまだ何か期待しているところがダメというか、時代遅れだね。

AKBジャンケン大会だの、「愛は地球を救う」だの放送しているテレビメディアに未来などあるわけもない。金平さんも早く、ビデオジャーナリストに転身しなさい。TBSなどどうしようもないよ。


04. 2012年10月18日 17:32:08 : 3X8BQ5kmRI
あんたらがやっておられることは、日本の民主化を邪魔すること。
あんたらがやっておられることは、公共の福祉に反すること。
あんたらがやっておられることは、日本国憲法に反すること。

マスゴミの皆様方は、新聞記事を通していろんな人を叩くキャンペーンを頻繁に展開されますが、自分たちのやっておられることは何ですか。みんな棚にあげられて、あきれて私は失語症になりそうです。
国民のほとんどの方が忙しくて社会のことも政治のことも勉強する暇がないことにつけこんで、あなた方の既得権が保守されるような偏向捏造情報を報道されて、世論統制をはかることばかりに躍起になるなんて、最低です。
マスゴミは、国民の仲間ではありません。


05. 2012年10月18日 17:43:29 : KVBBWaklm6
記事の価値が正当に評価されないことが大きい原因と思う。

記者は記事を書いてこそ存在意義があるのだろうが、安直にネタを得ることのできる公機関の発表に参加できる資格のようなものを重んじ、結局どこが書いても同じような記事を書くのが仕事だと勘違いしている。それでその情報源を失うことにつながるような権力に立てつくような記事を書かなくなったのだと思う。

要するに記者魂が権力に吸い取られてしまっているのだ。

すなわち日本の報道人の気質が劣化たのだ。だからそこから生まれ出る記事は読む価値など皆無に等しいのだ。


06. 2012年10月18日 18:10:43 : pPJ5gJb78A
こいつらが政府と一緒になって流した安全デマはしっかり記録に残る。

福島でこれから人がバタバタ死に始めたら、マスゴミは何と言うのか。
被曝の影響ではありません、と政府の言いわけをそのまま流すのだろうか。

まあどうでもよい。もう誰もマスゴミには期待していないからね。

阿修羅を含めてネット情報のほうがずっと速く、正確で、良識もある。

マスメディアに頼らなくても、ネット上で自由に情報発信ができる時代なのだから、
金平茂紀も、反省しているのなら、まず自ら福島に行って取材したらどうなのか。

こんな駄文を書き連ねていても、何の役にも立たないだろう。


07. 恵也 2012年10月18日 19:49:52 : cdRlA.6W79UEw : BbfhLQbXpU
>> 真の「収束」までには今後数十年という膨大な時間を要する事態

数十年後なんて甘すぎる。
爆発してるがチェルノブイリでは、タッタ1機で地下へのメルトダウンをしてないけど
それでも35年たってるのに石棺の作り直しをしないといけない。

フクシマの場合は、地下へのメルトダウンをやってる可能性が大きくどこまで沈んだ
のか判らないし、メルトダウンした核燃料を取り出す技術を今の科学は持ってない。
放射線が強すぎるため、ロボットでも狂ってしまうためだ。

科学のブレイクスルーがあり、放射線に強いロボットが完成すれば「収束」の可能性
があるけどそれでも100年以上の未来でしょう。
今のままでは核燃料を取り出し「収束」するのは、数百年未来というべき。

>> デスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった

マスコミに非常な影響を与えたのは、安倍晋三のNHK番組改ざんを報道した朝日
新聞が負けて、朝日新聞社長などが圧力でクビになってしまったこと。
これを経験したらどんなマスコミだって権力者の顔色を見るのは当たり前だ。

そのせいだと思うが、俺のいる高知県ではテレビ朝日系の「報道ステーション」は
有料テレビでしかテレビで見ることが出来ません。
他の放送は無料で見れるが、朝日系の「報道ステーション」は見れない。

ーーーー引用開始ーーーー
「内容に偏り」があるとして、放送前日にNHK幹部を呼んでただしていたことを報じた。

番組は4年前「戦争をどう裁くか」4回シリーズの第2回、01年1月30日教育TV
放送の「問われる戦時性暴力」。

番組の内容の一部を事前に知った二人が「一方的な放送をするな」「公平で客観的
な番組にするよう」と求め、中川氏は「それができないならやめてしまえ」など放送中止
を求める発言などもした。

NHK幹部は「教養番組で事前に呼び出されたのは初めて、圧力と感じた」と話した。
安倍、中川の二人がどうして事前に番組内容を知ったかについては「仲間から伝わっ
てきた」と言うのみで明らかにしていない。
http://blog.goo.ne.jp/hikakunihon/e/6f128d72e80692d0499187f089f4e921


08. 2012年10月18日 22:10:45 : IRqudisbIo
では昔のマスコミが正しく報道していたのか、今より倫理観があったのかというと、それも疑わしい。ネットが無かったから噂の真相などの雑誌で後で知る事しかできなかったのだが、学生運動、田中裁判など、マスコミを使った一方的な世論形成は戦後の歴史といってもいい。
なにしろ自民の一党支配を50年間打ち破れなかったわけだし、それを破いて民主が出てきたと思ったらあっという間に官・財界が恭順させてしまったし。
マスコミはそういう時の兵器として連中に飼われているんだよ。毎日・惨経なんて万年大赤字でとっくに潰れてもおかしくないのに潰れずのうのうとデマ流し続けてるのは、そういう役目で生かされているのに他ならない。

09. 2012年10月19日 00:07:32 : MDURCTUJ7k

金平茂紀さま、
“デスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった”
なんて言い訳して、現況にあるメディアを正当化し、ダラダラ説教している暇があったら
足を使って原子力ムラを取材してこいよ!
たとえば、現職の政治屋全員について、原発事業、エネルギー政策、放射能汚染地帯の未来について何を語っているのか、おれたちに教えるとか。。。

能書きはもう要らないよ。


10. 2012年10月19日 00:17:53 : 8nEEaJsXRY
山田吾一と言う名優が先日この世を去った。
昔「事件記者」と言うTV番組を良く観た。
あの当時の新聞記者の他社を出し抜こうとする記者魂を迫真の演技で見せてくれた。
あの当時第一線で働くサラリーマンは毎朝なん社かの新聞を読に比べるのだと聞いた。
だが今の新聞は全部横並びの記事。
何社も読む必要性も無くなった。
今じゃ全部の記者が警察のリーク発表が来るのを口をアングリ開けて待っていればお口の中に放り込んでくれると言う楽チン家業。

山田吾一は今の新聞をどう眺めたのだろうか?



11. 2012年10月19日 01:55:04 : isiEx6ML4g
昔の新聞記者が優秀であったとは思えんが、少なくとも記事の日本語はまともだった。

今の新聞記事の日本語の誤用はひどいね。記者の思考力が落ちているんだろう。

テレビのニュース番組の放送記者のインタビューも愚劣だ。詐欺疑惑の持たれている人物の後ろを追いかけて「詐欺を働いたんじゃないですかぁ〜?」詐欺師でなくとも蹴飛ばしてやりたくなるよな。

失われた10年ではない、世の中の変化に目を閉じて寝ていた10年、もう今更取り戻せまい。マスゴミは一度解体さるべき程腐っているというのが実感だ。


12. 2012年10月19日 08:56:02 : Itn6COtaXM
金平は信用できない。
刑事の取調べでも役割分担があるらしく、
厳しく容疑者を責める役と、やさしく飴などすすめる役の二役で取り調べるという。
腐った新聞社の内実を一番よくしっているのは当事者だ。
それを緩和するための役割を金平が担っている。こいつの役割はマスコミにも良心的な部分があるということを広めることだ。
しかし、ぜったいに核心部分には踏み込まない。
こいつには注意したほうがいい。

13. 恵也 2012年10月19日 10:08:05 : cdRlA.6W79UEw : ESAKOBg9wQ
>>08 マスコミを使った一方的な世論形成は戦後の歴史

でもアメリカの軍事的利害に関すること以外は、言論の自由はずいぶんあったよ。
学生運動も田中裁判も日本がアメリカから離れそうになって、弾圧したもの。

ところが今では、鳩山内閣打倒や脱原発という純粋な内政問題にまで口を
出すようになってしまってる。

>>09 たとえば、現職の政治屋全員について、原発事業、エネルギー政策、

お前は子供か!
知りたければ自分で調べるのが大人だろ。
赤の他人に金も出さずに指示できるような身分なのかね。

>>10 だが今の新聞は全部横並びの記事。

これは記者クラブのせいでしょう。
民主党政権になったときに第一番で解散させると思ったのだけど・・・
政権を握ったら役に立つと手放せなくなったのかね。


14. 2012年10月19日 15:40:11 : hLyYNEIwjo
ニューヨークタイムズのファクラー氏の『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)を読んだところで金平氏の主張を知って全くそのとおりだと思った。

ファクラー氏も9.11同時多発「テロ」を疑っていないという欧米ジャーナリズムの域は出ていないが、日本の腐ったジャーナリズム批判は至極真っ当。

金平さんがニューヨークにいたとき、草g某というタレントが裸で六本木を歩いた騒ぎを日本のNHK始め大手新聞社がトップニュースで報じていたことを世界的にも奇異なジャーナリズムと批判していた。

IPS細胞の偽医師?をトップニュースで引っ張る今日のジャーナリズムも変わっていない。NHKでは福島で大勢の子供たちが被曝しているというのに、安達太良山に観光客を呼び込むキャンペーン報道をやっていた。


15. 2012年10月19日 18:47:42 : hii31RBaMY
なぜ?に対する答えは簡単だ。

民放は、スポンサーからの宣伝費でメシを食っている。最大で割のいい顧客が電力業界。もちろんNHKも記者クラブ、天下り組織で一連托生。

この説明が分かりやすいと思うので使わせてもらっている。


16. 2012年10月19日 20:09:59 : pPJ5gJb78A
>>15
その通り。

原子力ムラからカネをたっぷり貰っている癒着に言及しないで、
エラそうに反省したふりをしても話にならんのだよ、金平君。

少しでも反省しているのなら、即、福島に行って、いったい何人死んでいるのか、調べて発表したらどうか。
すでに万単位の人が死んでいるはずだ。


17. 2012年10月20日 08:45:03 : DV7wqJ3fQg
金平氏は“能書き”や“反省”を述べてる訳じゃなく、マスゴミの報道姿勢に関して、至極真っ当な事を言ってるに過ぎない…と思うが?

18. 2012年10月21日 07:10:30 : pPJ5gJb78A
>>17
金平がマスゴミとは無縁の存在ならそういう見方もできるが、ジャーナリストだからね。
自戒や反省が込められていると思うのが当たり前だろう。

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