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被曝とエネルギーリスクの比較
http://takedanet.com/2012/10/post_b539.html
平成24年10月10日 武田邦彦(中部大学)
1970年代のアメリカで「フォード・ピント事件」が発生した。欠陥車を製造したフォードが「回収して修理するか」、「犠牲者が出たら補償するか」を検討して、「修理費用より補償費用が安いので、修理しない」という結論になり、その結果、多くの死者を出すことになった。この事件はフォードが批判されて結局、回収・修理を行った。
この例のように「人の健康とお金」を同じ軸で天秤にかけることはできなくなったが、一方ではまだ交通事故が根絶できないのに自動車は製造されている。個別の会社では「命と金」の交換はできないが、社会単位ではまだ可能なことを示している。
原発を運転して被曝のリスクを認めるか、エネルギーを化石系燃料に転換するリスクに賭けるかが「エネルギーの選択問題」として今、日本で議論されている。また医療用被曝と治療の問題も一部の医師の不見識な発言によって危機を迎えている。
低線量被曝と疾病の関係は明らかではない。膨大な研究が報告されているが、チェルノブイリ近郊の疾病数は事故後、27年を経て増大を続けているが、一方でも健康にさして影響を与えないとする学説もある。科学的に言えば「結論が出ていない課題」であり、社会的には「予防原則が適応される例」でもある。
予防原則とは水俣病をはじめとする多くの公害を防ぐことができなかったという反省から1992年に世界的に宣言されたもので、「科学的な根拠が曖昧で、大きな被害が予想される時には、科学的結論を待ってはいけない」という基本的なスタンスである。
一方、原発を中止するリスクには、エネルギーの確保と現在の原発の金銭的損失の2つがある。エネルギーの確保の問題はより具体的には「ウラン燃料と化石燃料の寿命と入手の問題」であり、私は資源を専門としているが、「化石燃料とウランは1000年以内に枯渇することはなく、国際的に供給が途絶えることもない」という考えである。
そうすると、この問題は「まだ使える原発を使わない損失」をどのように考えるかだが、毎年約5000億円の税金を原発の開発と諸問題の解決に使用していることなどを考えると、原発の中止は国家の損失にならないと考えている。
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