http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/802.html
Tweet |
あなたならどうする?「避難区域にとどまり酪農」
http://pfx225.blog46.fc2.com/blog-entry-1407.html
2012-10-08 原発はいますぐ廃止せよ
文部科学省による第5次航空機モニタリングの結果(平成24年6月28日時点)
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/7000/6289/24/203_0928.pdf
ルポ・福島:川内・井出さん一家 牧草地、自力で除染 避難区域にとどまり酪農 /福島
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20121003ddlk07040099000c.html
引用 毎日新聞 2012年10月03日 地方版
福島第1原発事故で避難区域となった双葉郡内で唯一、避難せずに乳牛約60頭の世話を続けた、川内村の井出久人さん(60)一家3人が、自らの手で牧草地の除染を行っている。孤独に耐え抜いた一家が見た風景とは−−。【栗田慎一】
高く晴れ渡った9月上旬。一家は村内の山林にある牧草地約30ヘクタールの除染作業で出た石を汗だくで拾い集めていた。「取っても取ってもきりがないよ」。井出さんは苦笑した後、表情を引き締めた。「他人に任せると、自分の力が弱る。今やれることをやれば、来年に希望を持てる」
今年4月に帰村が始まった村は、環境省の補助金を、自ら除染する村民にも出し、自力再建につなげている。井出さんは、村の委託業者による作業を待てず、手を挙げた。
途方もない作業が待っていた。村を懐に抱く阿武隈山系は石が多い。環境省は深さ約30センチを入れ替える「反転耕」を指定したが、掘り返せば大小さまざまな石がゴロゴロ。放置したままでは、刈り取り機の刃を傷める。
福島第1原発から30キロ圏にかかる11市町村で、事故直後、酪農家の多くは牛を売却、殺処分するなどした。県や業界団体によると、この地域にあった酪農家約65軒のうち、避難せず処分もしなかったのは井出さんだけだ。
当時、村に残ったのは井出さん一家ら数軒。避難しなかったのは「俺は残る」の井出さんの一言だった。40年前に父から継いだ借金まみれの家業は軌道に乗り始めていた。牛は10倍に増え、長男淳さん(36)が立派な後継者として育っていた。「乳牛ちゅうのは、1〜2日乳さ搾らねえだけで乳房炎になって、そのうち死ぬ。数日の避難すらできね。全滅したらすべて振り出しに戻っちまう」。妻洋子さん(61)と淳さんは井出さんの言葉の真意を瞬時に理解した。
しかし、牛乳を捨てるために搾る作業が、いつ終わるか知れなかった。「なぜ逃げねんだ」という声は批判めいて聞こえた。つらかった。「これからどうなるのか」。家族の会話も少なくなった。
「放射能の不安を払拭(ふっしょく)しないと道は開けない」。井出さんは、6倍に値が跳ね上がったアメリカ産の牧草を購入し、県酪農協同組合に出荷許可を求めた。
----------------------------------------------
あんたね、自分で勝手にやって乳を自分で飲んでいるうちはいいが、人に飲ませようと出荷をせまるとはどういうことだ!!!
この汚染地図を1日眺めてよく考えた方がいい、商売にはならんぞ、自給自足するならいい。
日本全国には他に汚染されてないで、それでも牛乳は売れずに苦労しているところがいくらでもあるのを、知らないのか。
うちの側の「みどり牛乳」はつぶれた、多額設備投資の問題もあるが、過剰供給がそもそもの原因だ。
川内村の牛乳の出荷先は関東になるだろう。
浪花節のお涙頂戴が多すぎる。
もっと、現実を見よう!!!
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素27掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。