http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/773.html
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■ 緊迫の現場 ■
東電の福島原発事故直後のTV会議の追加映像が公開されました。
事故当時の、現場と東電の緊迫したやり取りが記録されています。
不眠不休で事故処理に当たられた吉田所長を初め現場のスタッフの危機感が良く伝わります。
■ 長大な時間をダイジェストに編集している ■
以前、公開された東電の映像は、音声の無い部分が多く、
明らかに東電が事故当時の情報を隠蔽したものでした。
一方、今回の映像は、事故時の重大な局面でのダイジェスト版で、
音声もきちんと再生できるので、当時の状況が良く分かります。
しかし、都合の良い所だけを編集している様にも思え、
この映像だけから、当時の対応の状況を憶測するのは危険と思われます。
■ 官邸と現場の電話が繋がらないのは当然だ ■
映像冒頭は、現場の吉田所長が、
「官邸と電話が繋がらない」とぼやくシーンからスタートします。
このシーンを見て、多くの方が、事故当時、
官邸と現場のコミニュケーションが取れていなかったと推測するはずです。
「官邸は何をしていたんだ」と追求する方も出てくるでしょう。
しかし、良く考えて見てください。
東電本社と福島原発は、きっと専用回線で繋がれているはずです。
一方、福島原発と官邸の間は、一般回線ではないでしょうか?
地震直後、福島の通信インフラはダウンしていますから、
福島原発と官邸の電話が繋がり難い状況であった事は容易に想像出来ます。
さらには、官邸には被災地を初め、全国から様々な電話が殺到していたはずで、
官邸の電話回線の容量を超えていた事態も想定されます。
実際の所は知る由もありませんが、
当時、福島原発の現場からのみならず、全国から官邸への電話が繋がり難かった可能性があります。
ここら辺の事実が確認出来ない状態で、
「官邸に繋がらない」という映像だけで、
「官邸の怠慢」と決め付ける事は危険です。
いえ、むしろ、この音声を冒頭に持ってくる事で、
東電は明らかに責任を官邸に押し付ける情報操作をしていると考えられます。
■ ドライベントの指示はいつ出たのか ■
注目すべきは「ドライベント」の指示がいつ出たのかです。
映像の4分30秒から5譜30秒までの間で、ドライベントが取り上げられています。
本店の早瀬顧問が吉田所長にドライウェル・ベントの指示を出しています。
この指示の映像に時刻の表示はありません。
次に「ドライウェル・ベントが出来るんんなら、早くやれ」との指示の映像があります。
この時点で、現場作業員がドライゥエル・ベントの為のバルブ操作が可能になった事が予想されます。
この時刻は15日、未明となっています。
本店のドライウェル・ベントの最初の指示の映像はは3号機が爆発した後です。
3号機の爆発は14日の11時頃です。
■ ドライウェル・ベントできるなら直ぐやれ、こっちで全部責任は取るから ■
菅首相が福島原発を視察して、ドライベントを指示したのは
地震発生の翌日の12日でした。
東電の映像では、3号機のドライベントは15日未明に実行されています。
映像で、「ドライウェル・ベントできるならすぐやれ。こっちで全部責任取るから」
とのやり取りがなされています。
この映像だけ見ていると、東電はドライベントを自主的に、かつ積極的に実施した様に見えます。
■ 福島原発事故を重大化させたのはウェット・ベントの遅れ? ■
東電がこのVTRの公表で、世間に印象付けたかったのは、
「東電はベントに積極的であった」というイメージでしょう。
原発事故直後も、「菅総理の現場視察によってウェット・ベントが遅れて水素爆発に繋がった」
との情報がさかんに飛び交っていました。
TVの報道も、ベントの遅れは「菅総理の視察と、政府の指示の遅れ」と指摘しています。
1)枝野官房長官の発言では12日の3時頃には、政府は東電にウェットベントの指示を出しています。
2)ベントしようとした所、電動バルブが開かなかった
3)東電は現場作業員が決死の覚悟で、手動でバルブを開放。
4) 現場の線量が高いので、一人数十秒のリレー作業でバルブ開放を試みる。
5) 東電が一号機のウェット・ベント用のバルブを手動で開放したのは12日午後
参考までに当時の読売新聞の記事です。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110315-OYT1T00701.htm
官邸側は枝野発言にもある様に、菅首相が福島を視察するまでには
ウェットベントは完了しているものと考えていた。
しかし、実際には電磁バルブが作動せず、
高い線量に阻まれて、ベントの実行は12日午後まで実現しなかった。
これが事実なのでしょう。
東電は、この様な不手際を誤魔化す為に、
今回の追加映像をワザワザ編集して、
「官邸=悪者」
「東電=ベントに積極的」
という情報操作をしている様に思えます。
悪い事は全部、菅元総理に押し付けてしまえ作戦を実行しているのでしょう。
■ 1号機の圧力容器の損傷は12日午前1時50分には始まっていた ■
世間ではウェット・ベンチの遅れから炉心溶融が発生した様に思われています。
それで、菅総理の現場視察が事故を重大化させた様に情報操作がされています。
しかし、実際には1号機の圧力容器の破損は、
11日午前1時50分頃から起きていたと推測されています。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120312-OYT1T01043.htm
■ 福島事故の最大の原因は、緊急炉心冷却装置の、『蒸気凝縮系機能』が外されていた事 ■
福島原発事故の押し問答で、どうしてベントのタイミングがこれ程重要視されるのでしょうか?
その原因は、福島第一原発の緊急炉心冷却装置から、
『蒸気凝縮系機能』と呼ばれる冷却系が外されていた事に起因します。
http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/104.html
本来、緊急炉心冷却装置は、2段構えで事故時の炉心を冷却します。
1) 非常用電源を用いて圧力容器内の水を循環する
2) 圧力容器内の蒸気の圧力で、圧力容器内の水を循環する・・・『蒸気凝縮系機能』
福島原発事故では、津波で非常電源も失っています。
非常用バッテリーの容量内では、電源を用いる緊急炉心冷却装置が作動します。
しかし、全電源喪失後は、『蒸気凝縮系機能』だけが最後の望みとなります。
その『蒸気凝縮系機能』が福島原発では、事故の8年前に何と外されていました。
これには理由があります。
2001年に、静岡県の中部電力浜岡原発で原子炉停止事故が発生した際、
『蒸気凝縮系機能』の配管内に溜まった水素が爆発したのです。
そこで、東電は同型の福島原発の原子炉から、『蒸気凝縮系機能』を
2003年に政府に申請して、撤去していたのです。
『蒸気凝縮系機能』が存在しなくてもベントでその代替が利くというのが理由でした。
ところが、そのベントのタイミングが遅れ、
結局福島原発は1号機、2号機。3号機ともに水素爆発で破損してしまいました。
■ 『蒸気凝縮系機能』が生きていても、結局は同様の結果に至ったのでは ■
最も、福島原発事故は、『蒸気凝縮系機能』が生きていようが、
あるいは早期にベントが実現していようが、同じ結果に至ったのでは無いでしょうか?
『蒸気凝縮系機能』の冷却能力など、電源回復までの繋ぎでしかありませんし、
ウェットベンチが早期に実現しても、圧力容器は高圧のままですから、
結局、比較的速い時点での、圧力容器の破損は避けられなかったでしょう。
圧力容器に注水できたのは、圧力容器が破損して圧力が低下したからです。
結局、福島原発事故は、非常用発電機を失った時点で決着していたという事です。
多分、浜岡を初め、GEのマーク1型の原子炉は、
全て同じ問題点を抱えているのでしょう。
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