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「百年の後」に生きる 伊豆利彦 日々通信 第311号 2012年9月14日
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投稿者 文士村住人 日時 2012 年 9 月 24 日 17:52:05: riqRC3Z7Us2zE
 

「百年の後」に生きる 伊豆利彦 日々通信 第311号 20012年9月14日
http://homepage2.nifty.com/tizu/ 

 防災の日は1923年9月1日の関東大震災に因んで設定された。今年も各地で多様な訓練行事があり、予想される東南海トラフ地震の予想被害などが大きな活字で伝えられている。去年の東日本大震災以来、地震に対する国民の関心は格段に強まった。いま、私たちに問われているのは人間と自然の関係である。
 戦後まもなく、イリンの「人間の歴史」を読み感動したことがある。
  地上には巨人がいます。
かれには、なんの苦もなく機関車をもちあげるような、そんな腕があります。
かれには、一日に数千キロも走ることができるような、そんな足があります。
かれには、どんな鳥よりもずっと高く、雲の上はるかにとぶことができるような、そんなつばさがあります。
 この巨人とは人間のことだ。人類は科学技術の力で自然を支配し、想像もできなかった巨大な発展を遂げた。東日本大震災はこの科学技術への限りない信頼を一挙に破壊した。とりわけ、人類の科学技術発展の先端を行く原子力発電所の無残な崩壊と、どこまで広がるかわからない放射能被害は私たちに自然と人間についての考えを一変させた。そして漱石の思想と文学があらためて新しい意味をもってよみがえって来る。
「悲劇は遂に来た。来るべき悲劇はとうから予想していた。」『虞美人草』末尾に近く掲げられた甲野さんの日記の一節である。
「予想した悲劇を為すが儘の発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して隻手の無能なるを知るが故である。悲劇の偉大なるを知るが故である。」
 甲野さんは「隻手を挙ぐれば隻手を失い、一目を動かせば、一目を眇す。手と目とを害ソコノ うて、しかも第二者の業は依然として変らぬ。のみならず時々に刻々に深くなる。」と記している。
 この言葉についてはすでにさまざまな形で述べているが、以前はこの言葉で、日米戦争にまで戦争を拡大し、ついに破滅した昭和の戦争のことを思い浮かべていた。戦争に反対するものは非国民、国賊と呼ばれ、逮捕され、拷問を受け、投獄され、拷問死や牢獄死をさえ強いられた。そして、日本はますます戦争を激化させて、ついに敗戦の悲劇を招いた。
 しかし、今、この言葉で思うのは福島原発事故のことである。原子力発電の危険は導入当初から言われ、反対運動もあったが、政府、財界、マスメディアは反対者を排除して突進した。原発に反対して、破滅を防ごうとする発言はマスメディアから排除された。大学には東電から大量の研究費が注入され、大学院の原子力研究部門は全面的に東電に依存した。原発の危険性を追究し、原発に反対する研究者は大学を追われ、あるいは最小の研究費しか支給されなかった。こうして、原子力研究者はほとんどすべてが原発推進者となり、東電の手先となった。
 近代の人間は人間を自然の上に置き、人間は「万物の霊長」であり、科学の力で自然を支配できると信じて、限りない上昇と発展をつづけた。今度の震災はこの人間の自己崇拝、人間中心の限りない発展史観を打ち砕いた。
 人間が自然を支配するのではない。人間は自然の片隅に生きる微小な生物に過ぎず、自然が人間を支配するのだ。自然は人間の意志や願望にかかわりなく存在し、変化する。自然のいまの条件が人間を生んだので、人間が自然をつくったのではない。自然の条件が変化すれば、人類は消滅する。科学技術の進歩がもたらす文明の進化は、自然を破壊し、人類自らを破滅へと追いつめて行く。日に日に進化し、繁栄を誇る人類は、日に日に退化し、破滅へ突き進んで行く。
 『虞美人草』の甲野さんは宗近君に「君は日本の運命を考えた事があるのか」と云い、う。「日本と露西亜の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」「亜米利加を見ろ、印度を見ろ、亜弗利加を見ろ」と云う。
「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気は中々已まないものだ」「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」と甲野さんは云う。それが「小刀細工の好な人間」の運命だというのである。
 小説では甲野さんの義母が「小刀細工の好な人間」とされているが、「小刀細工の好な人間」は単に甲野さんの義母だけではない。むしろ、それは現代に充満して「真面目」な人間を圧迫している。『虞美人草』は単に個人の運命を描いたのではなくて、「日本の運命」「人類の運命」を描いたのだ。
 1911年(明治44) 1月3日付森田草平宛書簡に漱石は次のように書いた。
「君が功業はこれからである。功業は百歳の後に価値が定まる」「百年の後百の博士は土と化し千の教授も泥と変ずべし」「余は吾文を以て百代の後に伝へんとするの野心家なり」「只一年二年若モしくは十年二十年の評判や狂名や悪評は毫も厭はざるなり。 如何となれば余は尤も光輝ある未来を想像しつつあればなり」
「百年の後に生きる」とは文学史上にその名が残ることではない。大学を辞職して朝日新聞に入社した漱石は、『虞美人草』連載直前の明治四〇年四月二十日、東京美術学校の文学会で『文芸の哲學的基礎』と題して講演して次のように述べている。
高い理想をもった人が、自分の理想をこの世に実現しようとしても世の中に理解されず、受け入れられないとき、文章の力をかりて広く読者に訴え、後の世にまで伝えて、これを実現しようとするのが文学だ。 
文芸は単に文芸であってはならない。文芸の意味は、作家の偉大な人格が読者の心にしみわたり、その血となり肉となって子々孫々まで伝わることにある。
自分が真の意味において一代に伝わり、後世に伝わって、始めて我々が文芸に従事することの閑事業でない事を自覚するのであります。始めて自己が一個人でない、社会全体の精神の一部分であると云う事実を意識するのであります。始めて文芸が世道人心に至大の関係があることを悟るのであります.
死後100年以上たったいまも、漱石はますます広く読まれ、研究書も日に日に多数出ているが、漱石の理想ははたしてどれだけ現代人の心に生きているだろうか。限りない研究書も漱石についてあれこれ論ずるばかりで、必ずしも漱石が伝えようとした理想にせまるものではないようだ。
近代の思想と文学が現代を美化し、人類の限りない成長と発展を讃美していた時代に、漱石は人類の破滅を見つめ、死に向かって進む現代に生きる人間の問題を追究した。いま、福島原発の事故で、人類の進歩が人類を破滅にみちびく危険をはらんでいることを万人が自覚させられた現在、漱石の文学と思想は新しい意味をもってよみがえって来た。
年老いて、いやでも死を自覚しなければならぬ私は、残り少ない日々を、そんな私に始めて見えてきた漱石の解明で過ごし、新しく見えてきた漱石と、漱石を読むことで見出された現代と、現代に生きる自分を書き残して、自分の生涯の仕事としたい。
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掲示板から
11870.Re: 今夏 再稼働は必要だったか.
名前:伊豆利彦 日付:2012/09/10(月) 10:09
原発推進論者は原発を廃止すれば、電気料が高騰する、大節電が必要だ、雇用が減少するなど、国民生活が破壊されると強調する。目の前の利益で人類の未来のための犠牲を拒否する思想だが、原発ゼロ政策は果たして現代の文明生活を破壊する観念的政策だろうか。今までの原発に注入された開発費や技術力をすべてエコ電力開発に注入すれば、再生可能エネルギー技術が急速に開発され、新しい産業部門が急速に発展するのではないか。すべてを固定した儘で、原発ゼロによるマイナス面だけを数え上げるのは国民を欺瞞するペテンだ。エネルギー産業の転換は国民産業構造全体の転換を呼び起こす。これまで人類のエネルギー源は転換を繰り返し、そのたびに旧エネルギー産業を基盤とする経済体制に大打撃を与え、既得権者に打撃を与えてきたが、時代は変わり、新経剤体制が発展して、今日に至った。原子力発電の時代はそのような新しいエネルギーの時代だったが、これが最後で他に発展の道がないわけではない。その新しいエネルギーの時代は、経済体制だけでなく、文化のありかたそのものを変えて行く。いまはその転換の不可避が認識された重大な時期なのだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120830/236175/?top_updt 
11867.Re: オスプレイ配備撤回を 県民大会に10万人
名前:伊豆利彦 日付:2012/09/10(月) 08:05
全駐労が反対闘争にふみきった意味は大きい。
オスプレイ配備反対闘争は全沖縄県民の闘争になった。
主権を守れと、竹島や尖閣に熱狂する人々は、全県民が反対するオスプレイを強制的に押しつけるアメリカに対してどうたたかうのか。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-196673-storytopic-11.html 
11861.Re: 現在の市大のあり方に反対です
名前:伊豆利彦 日付:2012/09/09(日) 08:02
 横浜市大が新制大学として発足したのは1949(昭和24)年だった。大学の設立・運営は、当時の横浜市の財政としては大変に困難だった。無理に無理を重ねて発足した横浜市大は設備は貧弱だったが、給料の安い若い優秀な人材を集め、特色ある大学だったと思う。
、市財政の見地から、発足当初から市大には絶えず改革(縮小)の要求がつきまとっていた。この苦しい中を何とか維持されてきたのが横浜市大だった。横浜市大を成立させたのは戦後民主主義の精神であり、市大の精神は戦後民主主義の精神だった。
 いま、横浜市は日本第2の都市となり、財政的にも当時とは比べもののにならない程豊かになった。しかし、この繁栄を支えたのは企業第一主義であり、戦後民主主義の精神は蹂躙された。世界的な経済危機が日本をまきこみ、横浜市も財政破綻に襲われて身動きできなくなったとき、当時の中田市長は、市の財政縮小のために、市大を独立法人として、教授会自治を奪い、市が支配する現在のシステムに変更した。
 当時の中田市長は横浜市は600人の人員削減をおこなったと誇らしげに触れまわったが、このとき、大学は死んだのだ。市大は「死大」になった。学問の自由などは横浜市にとって何の意味もない。就職に都合のいい、経費のかからない大学を理想として、大幅に縮小したのだ。
 原発事故の惨禍に直面し、政府や東電に支配される大学の責任が問われているいま、改めて「横浜市大改革」の意味が問われている。今こそ、国や市や経済界から独立した大学が求められている。しかし、世の風潮は目の前の経済発展をのみ求めて、100年の後のために今日の犠牲をうけいれようとはしない。
 大阪の橋下らが志向するのは目の前の利益(だれの利益か)を追いかけて、自由と民主主義、戦後の理想、憲法の精神を踏みにじることだ。この橋下の片腕と信頼されて、政界に復帰しようとしているのが市大を「死大」に「改革」した当時の中田横浜市長だ。いま横浜市大の問題はあらためて検討されル必要がある。
==================================================
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9月9日
昔、アメリカと戦争しなければ日本は滅びると脅迫して、日本の軍部は国民を、勝利の見通しもない戦争に駆り立てた。日本国民は大量の死者を出し、家は焼かれ、仕事はないというどん底の生活を強いられたが、そこからよみがえり、新しい時代を創造した。
9月9日
これまで人類のエネルギー源は転換を繰り返し、そのたびに既得権者から強い反対と攻撃を受けたが、時代は変わり、新経剤体制が発展して、今日に至った。原子力発電の時代も現代文明の最後の時代ではない。その終わりから新しい発展の道が開けると思う。
9月9日
今までの原発に注入された開発費や技術力をすべてエコ電力開発に注入すれば、再生可能エネルギー技術が急速に開発され、新しい産業部門が急速に発展するのではないか。
9月9日
原発推進論者は原発を廃止すれば、電気料が高騰する、大雪電が必要だ、雇用が減少するなど、国民生活が破壊されると強調する。目の前の利益で人類の未来のための犠牲を拒否する思想だが、原発ゼロ政策は果たして現代の文明生活を破壊する観念的政策だろうか。
9月9日
県民大会に10万人、基地従業員の全駐労が反対闘争にふみきった意味は大きい。 オスプレイ配備反対闘争は全沖縄県民の闘争になった。 主権を守れと、竹島や尖閣に熱狂する人々は、全県民が反対するオスプレイを強制的に押しつけるアメリカに対してどうたたかうのか。
9月9日
「神」は偉大なり。 「神」の名において民族は戦う。 「神」は正義だ。人道だ。 「正義」と「人道」の旗を掲げぬ戦争はない。 「神」の名においてキリスト教徒はアフリカを征服し、アメリカを支配した。 アジアを征服し、アラブを支配した。 征服されたのは「神」を知らぬ野蛮な民族だ。
9月9日
人間は何処から来て何処へ行くか。 人類に生存の目的はあるのか。 人々は自分の生存に意味を求めて「神」に祈った。 「神」がなければ、人類に生存の意味はない。 「神」は万物の創造者だ。 「神」にはすべてがわかっている。 どんな民族にも「神」はある。 「神」の名において秩序を保つ。
9月2日伊豆利彦‏@xyztiz
@kikko_no_blog 野田らの原発ゼロは選挙目当てかも知れないが、政党政治に絶望した国民の運動が歴史を動かし始めた事実を重視したい。今後は原発の新設は不可能になり、停止中の原発の再稼働も困難になると思う。
9月2日伊豆利彦‏@xyztiz
尖閣問題は日中の問題としてはたいへん小さな問題だが、昔はこんな問題でも大きな戦争のきっかけになった。それほど領土問題は国民の本能的な民族意識を動かす力がある。もちろんいまの日中の右翼主義者に戦争に訴える覚悟も能力もないと思う。石原ら右翼主義者の思惑は何か。
9月2日伊豆利彦‏@xyztiz
石原氏は都民の税金を使って尖閣の島を買い取って何をするつもりか。一地方自治体の東京都に、沖縄県の尖閣で何をする権限があるのか。中国人を挑発して波瀾を起こすのが目的ではないか。尖閣問題で中国の世論が沸騰したのは、丹羽中国大使が心配したように、石原の発言がきっかけだったと思う
 

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コメント
 
01. 2012年9月25日 08:25:18 : m0N9x6IrZ2
あの時東電が撤退していたら、
2号機の爆発が津波の水のあった原子炉下部の爆発でなかったら、
4号機の燃料プールに手違いの水が流れ込んでいなかったら、

東日本は無人の野となり、数十万、数百万の死者をだし、日本経済も崩壊し
死ななかった国民も餓死の運命を待っていたかもしれない。

いまだに原発をやめようとしない連中を見ると、そうなったほうが良かったの
かとさえおもう。

でも、多くのひとが悲しい死をとげた、自殺者もいた、ひもにつながれたまま
多くの動物がいのちを絶った。こういうと簡単に聞こえる。実際は言葉でいえない
ほどの阿鼻叫喚の地獄なのだ。これから死者はどんどん増える。ひとりひとりが
地獄をかかえて死んでいくのだ。生きているものも笑顔のない一生を送らねば
ならない。

それが何十倍、何百倍になって襲う。

広島の原爆では、かわいい女学生も二目と見られない化け物となって死んでいった。
それ以上の惨禍が訪れることになる。


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