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「除染された故郷へ〜ビキニ核実験・半世紀後の現実〜」
除染された故郷へ 〜ビキニ核実験・半世紀後の現実〜
放送: 9月15日(土)22:00〜22:49
再放送: 9月16日(日)21:00〜21:49
かつて核汚染された故郷に帰ろうとする人々がいる。マーシャル諸島ロンゲラップ島の元・住民だ。 58年前に島は米国の水爆実験で汚染された。その後、米国はマーシャル政府の要請で除染をおこない、「すでに除染は完了した」として、早期の帰島を促している。しかし、住民の「放射線への恐怖」は消えない。「本当に安全になったのか?」「周囲の海で魚をとっても大丈夫なのか?」帰島を待ち望みながらも不安が募る。また、米国の援助による生活に慣れた人々の多くは「いまさら故郷の島に帰っても仕事がない」など帰島そのものに否定的だ。番組では、帰島に揺れる住民の今を追い、放射能被害と長期にわたる避難生活が何を生むのかを描く。
核実験で汚染されたマーシャル諸島ロンゲラップ島。近年、除染が進められたが、避難中の住民は帰島をためらっている。半世紀が過ぎても核被害に翻弄され続ける現実を描く。
【声】糸博, 樫井笙人, 園部啓一
http://www.nhk.or.jp/documentary/
マーシャル諸島(ビキニ水爆実験) 目次
ビキニ水爆実験 被曝者はいま
被曝2世のジョカネ・マタヨシさん
誕生日プレゼントは水爆実験だった
プロジェクト4,1 ― 人体実験の疑惑
温暖化
4,プロジェクト4,1―人体実験の疑惑
マーシャル諸島 レポート
人体実験の疑いを説明する核被害補償裁定所(NCT)のアメリカ人ビル・グラハムさん。 1954年3月1日の水爆実験によって、風下のロンゲラップ島は激しく汚染されてしまった。アメリカは強く帰島を希望した住民の願いに応え、3年後の1957年6月に住民を帰郷させた。しかし、島の残留放射能は人間が住めるレベルではなかった事をアメリカ原子力委員会(AEC)は知っていたにも関わらず帰島を許可したのだ。
当時、アメリカ国内で湧き起こっていた「核実験反対の声」を押えるため、「残留放射能は何年も残らない」事を証明する必要があった。そのため残留放射能で危険な事は知らせず島に帰島させたのだ。
もう一つはプロジェクト4.1と呼ばれている極秘研究だ。核実験によって得る必要のあるデータは単に爆発による威力だけでなく包括的なデータを研究する必要があった。そして研究テーマごとにプロジェクト1,1、1,2・・・などという番号がつけられていた。その4.1にあたるのが「放射線被曝した人間に関する研究」だった。
「(住民の帰郷は)高いレベルの放射線を浴びた少数の者が再び高い放射線にさらされると言うことである。このことは、あなたが広島、長崎で行っている遺伝的調査を行う上で理想的な状況であり、重要である。全米科学アカデミー委員会が重要視している一般的には劣性遺伝子と呼ばれているものへの影響を観察できる絶好の機会である」(「マーシャル諸島核の世紀」豊崎博光 日本図書センター)とアメリカ原子力委員会生物医学局ベントレイ・グラス博士はチャールズ・ダンハムAEC生物医学局局長に帰島を検討する会議の中で話している。そして、帰島時に81人とその後生まれた胎内被曝者4人の被曝住民にはグリーンのカードを、核実験当時島に居なかった165人の非被曝住民にはピンクのカードが持たされた。
つまり実験の時ロンゲラップ島にいて被曝した島民と実験の時に同島におらず被曝しなかった非被曝者の二つのグループを汚染された島に戻したのだ。そして、残留放射能で汚染された島で暮らすことによる影響を継続して調査していた。「アメリカは検査だけして治療らしき事はちっともしてくれない。だから検査を受けたくない」と拒否する住民もいた。
マーシャル政府はプロジェクト4.1を人体実験だとして追及しているが、アメリカは今なお解明に必要な未公表秘密文書の公表を拒み、人体実験を否定している。
3年ぶりに、帰郷した島民は島の異常に気づき始めていた。今まで見たこともない二股のヤシの木が生えていたり、避難する前には食べても異常はなかった魚が毒をもっていたり、出産異常や流産が多発した。そして、大人達も次々と病気になっていった。 ここに住み続けていたら全員が殺されると、ロンゲラップから脱出する事を決意し、1985年、国際環境団体グリーンピースの援助でクワジェレン環礁の無人島だったメジャット島に移住した。 自然の恵みをうけ、自給自足の暮らしをしていた島民は核実験によって、住み慣れたふるさとを奪われ、生活の基盤を失った。
核実験は健康を蝕むだけではなく生きる権利を奪い去ってしまった。さらに人体実験は人間の尊厳を根こそぎ奪う許し難い行為である。アメリカは疑惑解明のために未公表の秘密文書を公表する義務がある。
※参照写真
放射性物質を投与したという、エドモンドさんら数人の島民に届いた、アメリカ政府からの手紙。人体実験の証拠だ。
1,ビキニ水爆実験 被曝者はいま
Nuclre Test in Bikini MARSHALL
マーシャル諸島 レポート
1954年3月1日史上最大の15メガトンの水爆実験で出来たクレーター
どこまでも蒼く澄みわたったサンゴ礁の海、ヤシの木陰でおしゃべりをする島民、鶏や豚が放し飼いにされている。子ども達は珊瑚礁の海に潜って貝や魚捕りに興じている。島の名前はメジャット島。
周囲2キロほどの島には、300人ほどがトタンや板で囲った簡単なバラック住んでいる。3年前に来た時と何も変わっていないようだ。
浜に乗り上げたボートから、降りると子ども達が、駆け寄ってきた。私は久しぶりの訪問客らしい。
このメジャット島は1985年まで無人島だった。ここに移住した人々は、180kmほど離れたロンゲラップ島からやって来た人々だ。
ジョン・アンジャインさんが持っているロンゲラップ島民の健康調査ノートはビキニ水爆実験被曝者自信による唯一の記録だ。
(イバイ島) 顎の奇形が起きたジューレさん(20歳)。甲状腺異常のため成長障害と知能の発育障害がある。母はガンで亡くなった。
(メジャット島)
アメリカは広島・長崎に原爆を投下した1年後の、1946年7月、史上4番目の原爆を中部太平洋マ−シャル諸島の、ビキニ環礁で爆発させた。 以後13年間にビキニ、エニウェトクの二つの環礁で66回の核実験を行った。
1954年3月1日ビキニ環礁で行われた、米国の水爆実験「ブラボ−」は史上最大の15メガトンだった。 広島原爆の1,000倍のウルトラ水爆だった。 周辺海域で操業中のまぐろ漁船、第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝した。
ビキニから180km離れたロンゲラップ島民は避難させられずに、激しい衝撃波と爆風、そして放射能を含んだサンゴの粉が島中に降り積もった。いわゆる「死の灰」だ。
子供たちは初めてみる雪のような白い粉を身体にかけて遊んでいた。やがて激しい嘔吐、皮膚の炎症、脱毛などの急性放射能障害が島民を襲った。
その後米艦船に収容され、3年後、「安全宣言」を信じて、実験当時島にいなかった島民も一緒に、帰島した。しかし、残留放射能で島は住める状態ではなかった。
実験当時島外で無事だった人も、汚染されたヤシガニやパンの実、魚などの食物などを通じて内部被曝をしてしまった。
水頭症ととも二分脊椎を手術した子ども
(イバイ島) 放射性物質を投与したという、エドモンドさんら数人の島民に届いた、アメリカ政府からの手紙。人体実験の証拠だ。
奇形児や流産などの異常出産、甲状腺ガンや白血病で次々に斃れて行った。
1985年、放射能汚染のひどい故郷を離れたロンゲラップ島民は200km離れたクワジェレン環礁のメジャット島に脱出したのである。
実験のときロンゲラップ島の村長をしていたジョン・アンジャインさんは被曝者の記録をつけている。 1冊のふるぼけたノートには当時の被曝者86人の名前が記されている。 名前の横にX印がついている。死亡者と甲状腺の手術をした人だという。 すでに38人が亡くなっている。(1997年時)無印の人は4分の1にも満たない。
ロンゲラップ島には実験の1週間前に米軍がやってきて「お前たちの命は親指の先しかない」とアンジャインさんの目の前に自分の指を立ててみせたという。 「みんなモルモットにされたんです」とくやしそうにアンジャインさんは言う。
その時からすでにロンゲラップ島の人々の運命は核開発競争に血道を上げたアメリカに握られていたのだ。
アトナール・ボアスさん(37)の母親はロンゲラップで直接被曝、彼女もロンゲラップで生まれ体内被曝をした。流産を3回経験している。 しかし、毎年検診に来るDOE(アメリカエネルギー省)の医師には絶対話さない。 「被曝当時から、私たちに何も治療してくれませんでした。やけどのひどい人にも海水をかけて洗いなさいと言うだけで何も薬をくれませんでした。 具合が悪いと訴えても毎回、血を採られ、髪の毛を採るだけでした」 「アメリカは責任を認め私たちにきれいなロンゲラップを返して欲しい。すべての被曝者に十分な保証をして欲しい」という。 94年子ども達の健康調査をした日本の医師は子ども達に貧血、B型肝炎、ずいまくりゅう、体内にガンのある疑いのある子どもが異常に増えている事がわかった。
現在、アメリカはマーシャル政府と結んだ自由連合協定によって実験の時被曝した島に1億5千万ドルの補償金を出しているが 被曝者個人に対しての補償は何もされないばかりか 請求権さえも永久に放棄させられている。
被曝した人々は高齢化が進みますます望郷の念が強くなってくる。メジャットの島民はみな「ロンゲラップに帰りたい」という。
しかし、放射能で汚染された南の島々は島民の願いを未だ拒み続けている。
飲料水は雨水が頼り。貴重な真水は身体を洗うために使えない。 島に自生しているタコの木の実はゆでると甘さが増す。自然の甘さで子どもたちは大好きだ。
(メジャット島)
http://www.morizumi-pj.com/bikini/04/bikini4.html
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