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【オピニオン】
停電にならなかった日本の夏―原子力村の敗北
ジョセフ・スターンバーグ
2012年 9月 13日 16:02 JST
読者が知りたいのは何が起きたのかであり、起きなかったかではないので、記事の冒頭に起きなかったことを書くべきではない、とある編集者に叱られたことがある。とはいえ、この夏、日本で「電力不足」が起きなかったという事実はニュースである。この数カ月間、日本で明かりが消えることはなかった。
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Bloomberg News
東京電力の広瀬直巳社長
これは少なくとも一部の人たちにとって驚くべき事実である。というのも、この間、日本はほとんど原子力発電に依存していなかったからだ。昨年の福島第1原発の事故以来、国民の原発に対する反感はあまりにも大きく、日本政府としては定期検査で停止していた原発2基を再稼働させるのが精一杯だった。
原発のほぼ完全停止状態は日本経済と国民生活にかなりの悪影響をもたらすはずだった。電力会社、原子力施設の製造業者、原子力に既得権があり、日本のエネルギー政策を具現化してきた官僚や原発推進派の政治家などで構成される「原子力村」は輪番停電を警告していた。
原子力村は、福島原発事故以前、原子力発電が総発電量の3分の1近くを占めていたこと、夏の電力需要が原発なしでの発電量を上回る公算が大きいということを指摘した。照明は暗くなり、エアコンが止まり、工場も操業停止になると脅したのである。
結局、夏の気温は予想よりも低く、日本人が予想以上の節電努力をしたために、警告者たちは恥をかくことになった。「停電にならなかった夏」は、政府のエネルギー政策立案者たちの信用が失われた瞬間として歴史に刻まれることになるのかもしれない。手遅れにならなくて良かった。
その最大の証拠として、日本はそもそも原子力エネルギーを使い続けるべきかという議論が起きている。野田佳彦首相は2030年までに原発をゼロにせよという国民の要求を受け入れる可能性が高まっている。政府と電力会社の複合体は、福島原発事故以前、総発電量に占める原発の割合を半分にまで増やすことを計画していた。
原子力村にとって原発の段階的廃止を阻止するのは難しい。なぜなら、原発を放棄すると大変なことになるという主張を国民はもはや信じていないからである。この夏も非常事態に陥ると聞かされていたが、余剰電力が最大10%に達する電力会社もあった。そして今、同じ官僚や電力会社が向こう数年間に原発が再稼働されなかった場合の経済崩壊を予言している。懐疑的な国民はもはや聞く耳を持っていない。
原発の次に何が来るのかについては、最も意外なところからヒントが出始めている。福島第1原発を所有する東京電力だ。
東京電力やその他の電力会社は、一般家庭向けの次世代電力計、いわゆるスマートメーターの投入を加速させてきた。電力消費動向がより詳細に把握できるその高性能機器は、消費量がピークとなる時間帯に価格を上げるといった革新的な料金システムへの道も開く。だが、その前にそうしたメーターの調達の問題をクリアする必要がある。東電は今年に入り、設置を予定しているスマートメーターに関して、米国や欧州ですでに使われている標準技術を導入するのではなく、独自仕様のものを開発したと発表した。
東電はたまたま独自仕様に沿ったものを製造している2つの子会社にメーターを発注したかったようだが、東電に対する国民の信頼は(「停電にならなかった夏」以前においてさえも)あまりにも低く、ファミリー企業優遇との物議を醸したため、原子力損害賠償支援機構は7月、同社に国際標準の通信規格の採用を義務付けた。
このことは当時、一部で東電の物資調達におけるコスト効率の勝利だと喧伝された。しかし、より興味深いのは、一般家庭が東電独自開発のものではなく、国際標準のスマートメーターで送電網にアクセスできて、市場の規制緩和も十分に進んだ場合、他の電力事業者が消費者を横取りしやすくなるという見通しである。一方で、これも規制緩和が十分に進むことが前提になるが、他の電力事業者も国際標準のスマートメーターが集積した消費動向データを大いに活用できるようになる可能性が高い。
この夏、原子力村の信用が失墜したことを考慮に入れないと、こうしたことはすべて現実離れした話に聞こえたことだろう。東電の広瀬直巳社長はこの数週間、原発の再稼働が許可されなかった場合、東電は厳しい道を歩むことになると警告している。同社の経営は福島第1原発に関連した莫大な除染費用や賠償費用と、火力発電所のタービンを回し続けるのに必要な化石燃料の値上りでかなり追い詰められている。
7月に東電を実質国有化した日本政府は、同社がユニタリー(単一)企業として機能しなくなった場合にその分離を余儀なくされるのだろうか。そうなったら、他の垂直統合型で独占的な公益事業会社の解体にもつながっていくのか。そのような改革は、日本のエネルギー政策の(かつてのテクノクラート化に対して)政治問題化が進んだ結果としてすでに実現している、国際標準のスマートメーターのようなほとんど感知できないほど小さなステップの積み重ねとして成り立っていくのだろうか。
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。いずれにしても「停電にならなかった夏」以前、原子力村がまだ日本のエネルギー政策を支配していた時分に、日本が今のような切迫感を持ち、前向きにこうした疑問に向き合っていなかったことだけは確かである。
(筆者のジョセフ・スターンバーグは、ウォール・ストリート・ジャーナル・アジアのコラム『ビジネス・アジア』のエディター)
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