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毎日新聞大阪連載第13回(朝刊)「原爆非命 桜隊は問う」 [ 桜隊原爆忌 ]
平和をたずねて:原爆非命 桜隊は問う/
13 米軍封印…消えたカルテ=広岩近広 ≪記事≫
(毎日新聞 2012年5月8日 大阪朝刊)
<二週間目・黒髪ボロボロ 「原子爆弾」その後>
移動演劇「桜隊」の女優、仲みどりの原爆死に言及した毎日新聞(大阪)の見出しである。
1945(昭和20)年8月31日付の記事は、GHQ(連合国軍総司令部)がプレスコードを敷いて原爆報道をすべて禁止する直前に掲載された。長めの記事だが、資料価値のある内容なので引用したい。
<広島、長崎に魔の旋風を起こした呪うべき原子爆弾の残虐性は日を経るに従ってあらゆる観点から提出暴露されているが、この度わが国医学界の手で新たに病理学的立場からその悪鬼無残の真相が究明されるに至った。(略)
東大都築外科の玄関口に衰弱甚だしい三十五、六歳の患者が家人に運ばれてきた。この患者は丸山定夫氏を隊長とする移動演劇団桜隊の花形、仲みどりさんである。(略)丸山氏をはじめ四人が爆死を免れたが、それも束の間、つぎつぎと倒れていった。みどりさんは災害の人として東大病院都築博士以下同外科総力を挙げての努力にもかかわらず、背中に受けた軽い擦過傷から日一日と衰弱してゆくばかりであった。輸血、輸血、残された手段は輸血以外にはなかった。恐るべし輸血した鍼(はり)の傷痕からまたまた腐蝕(ふしょく)しはじめていくではないか。
広島で罹災(りさい)直後身体的内部症状の認められぬままに一人で元気よく帰京した旬日前の容姿も極度の食欲不振で今は見る影もなく衰え、入院四日目罹災後二週間目には房々とした黒髪はボロボロ抜けはじめ、一寸(ちょっと)した擦傷程度の背中の傷も急激に拡大化膿(かのう)、入院当初行った血液検査によると血球とくに白血球に非常な変化があり(略)その抵抗は著しく減少していた。二十四日朝みどりさんは今朝は少し元気が出たようだと付添の医師と話し合ったほどだったが、その日容体は悪化、同日ついに不帰の人となってしまった。実に罹災後十九日目である。
死体は三宅助教授が主任となってただちに病理解剖に付されたが、その結果内臓に顕著な変化が認められた。何しろ原子爆弾による患者として最初の解剖なので、その身体に作用する恐るべき病理原因はただ内臓に現れた症状がレントゲン線、ラジウム線を作用させた際、最大の病症にまったく一致するという程度のことが判明したのみで病理学上はまだ材料が不十分だ。しかしこの史上空前絶後ともいうべき呪いの災害を被ったわが国としては医学界の名誉にかけても、これが身体におよぼす恐るべき影響ならびに症状を徹底的に究明し、これを世界に公示すべき重大な責務がある>
都築正男教授は三宅仁助教授らを連れて広島入りするが、そこで得た原爆症のデータは米軍が持ち帰った。加えて9月19日にプレスコードが敷かれ、原爆の実相は長きにわたって封印された。日本の医学界とマスコミの敗北であった。
仲みどりは「原子爆弾症」と医学的に診断された第1号患者となった。しかし、彼女のカルテは東大病院から消えたままである。(次回は15日に掲載)
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原発・フッ素26
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