http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/609.html
Tweet |
汚染地でもナントカなると思ってるかた、汚染地50年の現実の悲劇の重みをよく見て考えましょう。
いまじゃ牛乳が“たった”24ベクレル毎kgの汚染だそうだ。私も「たった」と思ってしまった。
川魚は600ベクレル毎kgだが。日本じゃ3万ベクレル毎kgのキノコさえ見つかっている。600超えの魚もザラだ。
エートス運動をやって汚染地に住み続けたからといって、みんながみんな病気になったり死んだりするわけではない。
だからこそ、狙われている。
できるだけ大勢の人に、放射能漏洩事故がなかったかのように、前とナルベク同じように生活し続けてほしいのだ。 かれらは!
>>>>> ソ連のマヤーク核惨事 ムスリュモヴォ村の生き残り老人たち >>>>>>
汚染地に50年住み続けたらどうなるか?旧ソ連チェリャビンスクそばの
汚染地 ムスリュモヴォ村 50年後 48歳になる前に息子が癌で死んだ老人たち
生き残った老人たちの嘆き →★印
動画では3/7の(11:09)ぐらい
>当局はとっくの昔に
>警告を出して、
>住民を避難させるべきだった。
>私たちは モルモットみたいだ。
>わざと ここで 生活させられているんだろう
……………………………………………………………..
とはいえ、このムスリュモヴォ村も 事故34年後の 1991年まで学校があって 子どもたちがいたのだ。
(4:55ごろ)
>「あそこが学校だったんです。1991年まで近隣の村の子供たちが学んでいました。
>この地区で唯一の高校でした。ここは生徒たちに人気の場所でみんな魚を取ったり寝転んだりして>いました。」
>(小高い場所にある学校の下には、小さなくぼ地が広がり、池ができている。
>牛が水を飲んで憩いの場になっているよう。水際には以前にはきっとなかった多くのゴミが散らばっている)
>今はムスリュモヴォで一番汚染がひどい場所です。
>おばあさんたちが
>よく小動物を連れてきて腰を下ろしてたんですが、放射能ですかねぇ、
>みんな死んでしまいました」
>>>>>>> ムスリュモヴォ村の ベクレル数は? >>>>>>>>>>>>>>
「終わらない悪夢3-7放射性廃棄物はどこへ」
3/7。
http://www.youtube.com/watch?v=A1te458AnOU&feature=youtu.be
住民の飲む牛乳は検査機関が計測してきたが住民たちには何も教えてくれなかったそうだ。
フランスのクリラドが計測した値に注目してほしい。
<汚染地 ムスリュモヴォ村の 撮影時の汚染値>.
18万ベクレル毎kg テチャ川の橋下の土手の土
600ベクレル毎kg テチャ川の魚
24 ベクレル毎kg テチャ川そばの牛乳 →終わりのほう→★★
――――――――――「終わらない悪夢4-7放射性廃棄物はどこへ」4/7
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=j9-jlK6dBx0
…………………………………………………………………………………………
動画の書き起こし
http://breakingnew-site.seesaa.net/article/220030320.html
ブログ「あほうどりのひとりごと」2011年08月14日 さんから書き起こしの一部を拝借
「終わらない悪夢」NHK BSドキュメンタリー前篇から
BSドキュメンタリー 終わらない悪夢前篇
2009年フランス制作
報告ロール・ヌアラ
(前半略)
(マヤーク核施設)
私たちはロシアへ向かいました。1957年の爆発事故はウラル地方のチェリャビンスク州に起きました。
この事故に関する詳細はCIAやソビエト政府、そして原子力協会によって隠蔽されました。放射性廃棄物が持つ熱で、水素爆発などが起こることをこの事故が示したからです。
(核施設らしき風景を通り抜け町に入る・・・軍用ジープ、一般車、舗装された道路のすぐ脇には中くらいの高さの木々、白い扉の家、電柱、あぜ道などが見える)
1946年からマヤークの核施設はソビエトの原子爆弾用のプルトニウムを製造、アメリカのハンフォードと瓜二つの施設です。
(許可なく外国人の立ち入りを禁ず、と立て看板が立っている)
外国人の立ち入りを禁じているこの町は長い間地図に載らず、暗号名で呼ばれてきました。
1957年に爆発したタンクは、この秘密の町のそばにありました。
現在も近づくことはできません。
(カラボルカ村へ入る)
この大惨事を調べるため、カラボルカ村に向かいました。(羊を連れた老人がゆったりと歩く)
降り注ぐ放射性物質で大きな被害を受けた村です。
グルシャラ・イスマギロヴァは事故当時12歳でした。その日集団農場の
作業を手伝うために1500人の生徒が畑に出ていました。
ロール「当時はどうでしたか?」
グルシャラ「事故のあった9月29日は、学校の全生徒が畑にいました。午後4時頃に爆発音を聞いたんです。戦争を体験したお年よりはみんなまた戦争が始まったと思いました。地面が大きく揺れました。それからカラボルカ村近くの空が汚れたみたいに真っ黒になりました。そして、その黒さが空全体を覆ったのです」
放射能レベルが高い廃液が入ったタンクが冷却装置の故障で爆発したことを
村人は知る由もありませんでした。その爆発の力は、TNT火薬75トンに相当しました。
放射性物質が上空1000メートル噴き上げられ、周囲ほぼ1万5000平方キロを汚染しました。
この爆発で200人が死亡し、27万人が被爆しました。この核事故は、チェルノブイリ以前としては最悪のものでしたが、公表されませんでした。二日後、子供たちはまた、畑で収穫の手伝いをさせられました。
グルシャラ「私たちは並ばされて、収穫のために君たちの協力が必要なのだと
言われました。一年生まで、手伝いに駆り出されました。
畑に到着すると、トラクターの掘った溝が見えました。生徒を引率していた農民が言いました。
『ジャガイモの山が見えるだろう、溝に全部放り込め』それでおしまいでした。先生はどうして収穫物を埋めたのかと聞きました。
すると農民たちは『汚染されているから食べられないそうだ』と答えました。でも何に汚染されているかは、誰も知りませんでした。」
この惨事に関する詳しいことは分かっていません。
信頼の置ける調査記録もないのです。がん患者の数など健康被害を記す公のデータもありません。
(木々が立ち並ぶ広大な土地を走り抜ける)
この地域には事故の傷跡が残っています。汚染された800平方キロの土地が立ち入り禁止になっています。
マヤーク核施設とその活動は、今も秘密にされたままです。これは1990年代にペレストロイカの下で撮影された映像です。
(一面の雪の中、警備の兵士が立つ施設の門、土壌が掘られた後の
整備されていない道路・・・)
取材した記者が目にしたのは、この世の終わりのような光景でした。
兵器用のプルトニウムを生産する施設だったマヤークは、原子炉の運転開始以来廃液をカラチャイ湖に投棄してきました。
湖の放射能が危険なレベルになったため、当局は埋め立てることにしました。
(埋め立てるためのショベルカーが活動している)
イギリス人記者の報告です。
「大量の岩をカラチャイ湖へと運んでいます。このトラックは屋根や車体が全部で5トンもの鉛で覆われています。これほど防御しているにも係わらず現場に岩を下ろし戻ってくるまで、およそ12分間で行わなくてはならないと言われました。湖のそばの放射能レベルがあまりに高いからです」
カラチャイ湖は地球上で放射能レベルが極めて高い場所のひとつです。湖に近づくと、放射能レベルが跳ね上がるので作業員は岩をおろすのに3分以上はかけられません。
終わらない悪夢3-7放射性廃棄物はどこへ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。3/7。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。・
http://www.youtube.com/watch?v=A1te458AnOU&feature=youtu.be
作業員「エンジンが止まりませんように」
現在カラチャイ湖は埋め立てられていますが、次々に生み出される廃液を貯蔵するためさらに深い人工の湖が作られました。この新しい貯水池はカラチャイ湖より放射能レベルが低いものの、この地域の大きな河川である、ヘチャ川を汚染しています。
ヘチャ川は、数多くの村を通ってオビ川に流れ込みます。オビ川はシベリアを横切って北極海へ注いでいます。
ローラ・ヌアラ報告
ムスリュモヴォ村はヘチャ川沿いにある村です。放射性廃棄物による汚染の調査をフランス原子力調査機関クリラッドの科学者、クリスチャン・クールボンに頼みました。20年間放射能汚染について、調べています。
(テチャ川の標識を確認、道路から階段を降りて川へ向かう)
テチャ川に到着し、クリスチャンはサンプルの採取を始めました。
クリスチャン「高いね、階段の下のこのあたりは毎秒1400カウントだ。とても高い数値だよ。」
放射線量の数値からこの場所が高度に汚染されていることが分かります。
「この端は2000カウントだ。土手のぎりぎりだと、2400、2600、3000・・・4000、5000・・・本当にひどいな。めまいがするほどだ。」
毎秒5000カウントは自然放射線量の50倍です。
(テチャ川の橋の下に入る)
クリスチャン「計測結果から見て高度に汚染されていることが分かります。水の中にどんな放射性物質があって、どんな毒性があるかはわからないですがね。
とにかくとても危険です。ここに指を突っ込んでなめたり直接肌につけたりしてはいけないですよ。」
「ほら、1万6000もある。すごい数値だ」
ロール「ほかの場所にたとえるとどこに相当しますか?」
クリスチャン「自然の中でこのレベル名場所?チェルノブイリだね!でも普通の橋の下で、これほどの場所があるかって言われたら、ないね!」
取材「ここは誰でもこられる。」
クリスチャン「人の足跡がいっぱいあります。住民がきっとここで葦を刈ったり、川魚を取ったりしているんでしょう。」
(橋の下の水を採集するクリスチャン)
クリスチャン「この川は立ち入り禁止にすべきだ。本当はこんなところに立っているのも危ない。ここは核のごみ集積場ですね。放射能レベルが信じられないほど高い。この橋を建設した人たちは気の毒だ。
途方もない放射線を浴びて被爆し、相当汚染されてしまったでしょう。われわれも被爆を抑えるためそろそろ行きましょう。自然の中で放射能レベルが高すぎて、撤収が必要なところなんて滅多にないですよ」
(急ぎ足で立ち去る)
(3:56)あたり………………………………………………………………
ムスリュモヴォ村・・・
(倒れ掛かったような納屋、手入れの行き届いてないトラック、棄ておかれたような風景・・・)
川は50年間汚染されてきました。政府は多くの村を立ち退かせました。ムスリュモヴォは最後に残った村です。わずかな家族が廃墟の中で、暮らしています。
(老人、杖を突いた初老の老人、赤いセーターを着た人・・・何かを燃やした後のようなゴミ・・・朽ちたイス、汚れて野ざらしのキッチンに敷かれていたような青いシート、レンガが崩れた壁、住む人を失った家の窓に揺れるカーテン…)
住人のゴスマン・カビロフ
「あそこが学校だったんです。1991年まで近隣の村の子供たちが学んでいました。
この地区で唯一の高校でした。ここは生徒たちに人気の場所でみんな魚を取ったり寝転んだりしていました。」
(小高い場所にある学校の下には、小さなくぼ地が広がり、池ができている。
牛が水を飲んで憩いの場になっているよう。水際には以前にはきっとなかった多くのゴミが散らばっている)
今はムスリュモヴォで一番汚染がひどい場所です。
おばあさんたちが
よく小動物を連れてきて腰を下ろしてたんですが、放射能ですかねぇ、
みんな死んでしまいました」
どうして当局は村人に危険を知らせなかったのでしょうか。
1993年、やっとエリツィン大統領の下で真相が明らかになります。
(朽ち果てた学校・・・)
現在のロシアは再び秘密主義が蔓延っていますが、当時は情報公開が進みました。
…………………アレクセイ・ヤブロコフ………………………………………………….
アレクセイ・ヤブロコフはロシア科学アカデミーの会員でエイツィン大統領に環境保護について助言する顧問も勤めていました。
ヤブロコフ「ソビエト時代、原子力産業は機密とされていました。1986年のチェルノブイリ原発事故がゴルバチョフによるグラースノスチ情報公開のきっかけのひとつになりました。
共産党員たちは、もはや秘密主義を貫き通せないと悟ったんです。こうして原子力産業の真相が語られるようになりました。
マヤークについてもそうです。深刻な事態になっているという噂が広まっていましたが、実際に何が起きているのか誰も知りませんでした。事故は機密にされていたんです。
マヤークの惨事は何万人もの人々の生活に影響を与えていました。
そこで私たちはそれについて議論を始めたんです。
エリツィンは民主化の波に乗って政権を握りました。そしてさまざまな問題を公開するよう迫られました。新しい政権になると、短い間だけ真実が語られるときがあります。
1991年から1995年前のロシアがそうでした。その後また、もみ消されるようになりました。」
ロール「1995年以降、ロシアでは情報を手に入れるのが、ふたたび難しくなりました。テチャ川沿いにすむ人々は、こうした秘密主義の犠牲になっています」
(牛を追い、外へ出す村の人・・・)
(7:33)…………………………..
政府は村から退去すれば100万ルーブル、およそ280万円を支払うと申し出ています。しかし多くの人々がこの保証金では、ほかの土地に移り住むのは難しいといいます。
牛の乳搾りをしながら話すおばさん
「この村ではガンで死んだ人がたくさんいるわ。でもわずかなお金で何ができるっていうの。どこに行けばいいのよ。死ぬまでここで暮らすしかないわ。」
取材「ここにあるものを食べたり飲んだりしてもいいといわれましたか?」
おばさん
「全部外から買ってくるようにと言われたわ。でも家庭菜園なしには生きてはいけない。月に9000円じゃ、何も買えないでしょ。」
取材「牛乳を飲んでいますか?」
おばさん「もちろん!、うちの牛乳だもの!。役人が牛乳と水を調べたけど、結果を教えてくれなかった。」
(おばさんは乳を搾り続ける)
取材「どんな調査ですか?」
おばさん「保健機関が調べているの、ほぼ毎年やっているわ」
取材「結果を教えてもらえないんですか?」
おばさん「私たちには一度も教えてくれない。」
私たちはサンプルを採取し研究所に送りました。その結果この牛乳は、かなりの量のセシウム137、トリチウム、そして骨に蓄積するストロンチウム90を含んでいます。
この牛乳を毎日飲み続けるとガンになる可能性が増します。
(9:14)
………………………………………….
チャリャビンスク郊外に
放射線障害を専門に調べる研究機関があります。
ここでは、
住民の定期検査を行っていますが、
その結果が本人に知らされることはけっしてありません。
私たちは疫学部門の責任者で住民の健康状態を観察している
ミラ・コセンコ(放射線障害研究機関)に会いました。
ロール「どんな調査をされているんですか?」
ミラ・コセンコ
「悲しいことですが、ここの住民は非常に特殊な状況におかれています。
周りの自然環境が放射性物質で汚染されたからです。
調査は50年代から行われているのですが、当初の研究から導かれた結果が、現在の調査によって正しいと裏づけられました。
それは被爆した放射線量と、
ガンの発生率には明確なつながりがあるということです。
死亡率も同じように被爆した放射線量に関係があることがわかりました。
私たちは健康状態の調査にあたって、テチャ川沿いの村に住む人々を対象にしました。
3万人の集団です。この集団を
現在まで50年間、
継続して追跡調査しています」
ミラはムスリュモヴォ村の人々が1950年代から調査対象となっていることを認めました。
数世代にわたる人たちが、
汚染された土地に
置き去りにされているのです。
★ (15人くらいの人々が集う部屋)
(11:09)…………………………………..
住民A(男性75歳くらい)
「去年私は息子を亡くしたよ。もうすぐ48歳になるはずだった。ガンで死んだんだ」
・・・・・(その場のひと沈黙。じっと見つめるほかの老人D。; 投稿者補)
住民B(男性70歳くらい)
「当局はとっくの昔に警告を出して、住民を避難させるべきだった。
私たちは モルモットみたいだ。
わざと ここで 生活させられているんだろう。」
(隣にいた老人Cが、モルモットと口にした老人Bに向かって言う)
「これがわれわれの運命だ。」
(老人B、口を少し動かしてのち、腕組みをほどき腕を垂らす)
(車は町を横切って次の目的地へと街へ入る)
何回も取材申請をしてようやく州政府への取材が実現しました。
スヴェトラナ・コスティナはチャリャビンスク州原子力環境保全局の副局長です。
取材「川のそばで安全に暮らせますか?」
コスティナ「ええ、もちろん大丈夫です。テチャ川のそばで暮らすのはもう危険ではありません。しかし全流域で川の水は農業には使えません。
これについては川のそばで暮らす人たちには、きちんと伝えてきました。住民はこうした制限にしたがって生活しています。」
取材「あそこで暮らすのをやめさせるべきでは?」
コスティナ
「現在の放射能レベルでは住民たちに
立ち退きを義務付けるのは
法的に難しいでしょう。すでにお話したように、放射能レベルは
国際的な危険レベルを下回りました。ですから人々を退去させる法的根拠がないのです。」
公けには何も問題ないという見解でした。
ムスリュモヴォ村ではテチャ川の土手は立ち入り禁止になっています。しかし警備は緩く住民や家畜はいまだに出入りしています。
クリラッド調査員クリスチャン「自然の放射線の75倍の値だ。」
ロシアを離れる前に私たちは夜の闇にまぎれて、少しばかり冒険をしました。
(深夜、土手の下あたりの池をさらう。周辺の土を採取する、サンプルとして)
「大きい?ほんと?」(川魚を捕っている)
(こちらも参照⇒マヤーク核施設レベル6の恐怖)
―――――――――――終わらない悪夢4-7放射性廃棄物はどこへ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=j9-jlK6dBx0
フランスに戻ったクリスチャン・クールボンは持ち帰ったサンプルを並べます。
(土のはいった小さなビン、干物のようになった川魚などをほぐしてミキサーにかける。結果をひとつひとつ見ていく)
「これは橋の下の?」
「そうだ、幹線道路の橋の下にある土手のだ」
「今すぐ測定して数日後にも測ろう」
サンプルを検出器に入れます。これで放射線を測定し、放射性物質を特定します。
(測定されていく様子のグラフは一気に上昇する。)
「セシウム137で設定、疑いの余地なし。かなりの汚染だ。」
「これはとんでもないね。すさまじいよ。」
数日後に最終結果が出ました。
クリラッド調査員グルーノ・シャレイロン
「まず第一にテチャ川はトリチウムによって高度に汚染されています。これは公式の報告書にはまったく言及されていません。
第二に水の汚染によって、土手の土壌に特にセシウム137が大量に蓄積しています。いわば土壌そのものが放射性廃棄物になってしまったのです。
★★
(1:29)あたり………………………………………………………………………
橋の下で採取した土に、1キロ当たり最高18万ベクレルを検出しました。
ここを歩く人たちにとって、この放射線量は非常に高い汚染です。水と土の汚染で、放射性物質が食物連鎖の中へも入り込んでいます。
セシウム137魚では1キロ当たり600ベクレル以上、牛乳は1キロ当たり24ベクレル検出されました。村の住民は地面から照射される放射線と、食事による体内からの汚染、その二つを通して大量に被曝しています」
ロール「村は汚染されているんですね?」
グルーノ「一番の疑問はなぜ村の住民を避難させないのか、ということです」
(調査されている物質、沈殿物だと思われる、黒くてねったりとしたもの)
数日後、テチャ川の沈殿物は最も猛毒な放射性物質、プルトニウム239と240によって、汚染されていることが分かりました。
本来値はゼロであるべきなのに、1キロ当たり2200ベクレルという数値です。
軍事用か民間用かを問わず、原子炉にはひとつの共通点があります。
放射性廃棄物を生み出し、その一部が環境の中に出て行くということです。
後編へ続く
………………以上……
http://breakingnew-site.seesaa.net/article/220030320.html
ブログ「あほうどりのひとりごと」2011年08月14日………………………….
動画:http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/556.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素26掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。