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避難所で二度目のお盆 人びとはなぜ、残っているのか
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8月18日 東京新聞「こちら特報部」
福島原発事故で福島県双葉町から避難した人びとのうち、約二百人が現在も埼玉県の旧騎西高校(加須市)の避難所で暮らしている。ちなみに被災三県では、全ての避難所が閉鎖された。弁当の支給などがあるため、仮設住宅で暮らす他の町民からは「不公平だ」という不満も漏れるが、町は「最後の砦(とりで)」を強調する。故郷を遠く離れ、避難所で二度目のお盆を迎えた人々の思いは−。 (小倉貞俊、中山洋子)
◆旧騎西高校に いまだ200人
「この木材はそっちの柱に組んでよ」「足場に気を付けて」。盆踊り大会を翌日に控えた十七日朝。旧騎西高校のグラウンドでは肌を焦がすような日差しの下、十数人の避難住民が汗だくでやぐらを組み立てていた。
避難所の自治会長、元運転手堀川光男さん(56)は「原発事故から二回目のお盆を迎えることになってしまった。まさかこんなに長くここにいることになるとは」と話し、タオルで顔を拭った。
去年の盆踊りは近所のやぐらを借りたが、今年は福島県いわき市に避難中の双葉町民を介し、故郷のやぐらを運んだ。
「当日はきっと全国各地から町民が駆けつける。『双葉に帰るかどうか』についての意見は人それぞれでも、皆が古里に思いをはせるひとときにしたい」(堀川さん)
双葉町は震災直後、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)などに集団避難。昨年三月末、アリーナから同校へ仮役場ごと移った。入所者は最大時の千四百二十三人から減り、今月一日時点で二百十四人。ただ、高齢者の割合は増え、平均年齢は六十二歳という。
入所者の一人で、農家の竹本利幸さん(59)は、震災から三カ月後に亡くした母の納骨ができていない。このお盆は、遺骨を預けてある福島県郡山市の寺を詣でてきた。
親族の多くは福島県内の借り上げ住宅などに点在する。「前は十五分もあれば車で行き来できたのに、いまは新幹線で行かなきゃ会えない」
郡山市で顔を合わせた親族らからは「福島に戻ってこないか」と誘われた。だが、町の雇用で避難所の花壇の手入れの仕事を得ている竹本さんは「仕事もないのに戻れない」とため息をつく。
避難所では、妻美喜子さん(53)と八十代の父の三人で暮らす。自宅で寝たきりだった母を事故直後、福島市内の介護施設に預けたが、それが母の寿命を縮めたのではなかったかと悔やむ。父親の体調も優れない。
「ここは保健室で年寄りの面倒もみてくれ、病院も近い。じいさんのことを思うと、避難所からは出るに出れない」
町の臨時清掃職員として働く美喜子さんは「周りからは『双葉ばかりずるい』と言われるけど、避難所のストレスも小さくない」と漏らす。
四世帯が暮らす一階のトレーニング室で寝起きするが、以前の部屋は八世帯が入っていた。外出して午後十時の消灯すぎに戻ると、同室の人から「眠れない」と苦情を言われたこともあった。
「いびきがうるさい人もいた。ささいなことでお互いにいら立って、夫婦で二カ月ほど車で寝ていたこともあった」
避難所の一日は代わり映えしない。朝六時ごろ起き、その場で弁当の食事。教室を衣装箱で仕切った空間で、すべての日常生活は営まれている。共有空間の掃除や弁当の配布は当番制だ。
美喜子さんは週五日、朝から夕方まで手作業で草むしりをし、両ひざと足首が炎症ではれあがった。「双葉にいればこんなことにも…」。そんなため息が抑えられない。竹本さんも今後を思うと「予定もつかね。何やっていいか分かんねくらいだな」とつぶやく。
避難所の中庭には、お盆に合わせて震災犠牲者らを悼む焼香台が設けられていた。遠藤益男さん(54)も墓参代わりに手を合わせた。高齢の母と兄の三人で避難中だが、東電からの損害賠償は一部しか支払われていない。
賃金補償や帰宅費用などは請求額の三分の二ほどといい、精神的な苦痛に対する賠償はまだ。土地や建物の被害に対する補償もこれからだ。
「賠償をもらえないことには、ここから身動きできない。もう一年半だかんね。どうして、何にも進んでないのか」
避難所にいる理由は高齢者ほど多い。ネットが使えないための情報過疎や仮設住宅での孤独を恐れる人は少なくない。
福島県いわき市で会社が再開し、今年四月から単身赴任している朝川栄さん(56)は、お盆休みで両親と高校生の息子が住む避難所に戻ってきた。不慣れな土地でのアパート住まいの不安から、高齢の親を連れては行けなかった。二週間に一回は避難所に戻っており、帰宅費用もかさむ。
「国は汚染されたままの土地を次々に避難地域から外している。こないだ警戒区域が解除された楢葉町なんて、除染もしてなければ、インフラも壊れたままで、一時帰宅しかできないのに『戻っていい』と。でたらめ言ってるんじゃないよ」
町はどう考えているのか。学校や職場など生活拠点を備える「仮の町」への再移転構想が浮上しているが、全町民六千九百余人の半数近い約三千三百人は、すでに埼玉県や東京都で生活を始めている。こうした人びとからは「仮の町には移らない」という声が強い。
帰郷への最大のネックは、故郷の放射線量の高さだ。国の帰還の目安である「年間二〇ミリシーベルト以下」に対し、井戸川克隆町長は六月、事故前並みの「年間一ミリシーベルト未満」という独自基準を適用する考えを提案している。
◆「命を守る 最後の砦」
避難所の存続についても、同町長は「こちら特報部」に対し、「誰かの支えがなければ、生活できない人は少なくない。今後、『周りの目の届かない仮設住宅の暮らしはやっぱりつらい』『賠償が進まずどうしようもない』などと避難所に戻ってくるケースもあり得る。ここは命を守る“最後の砦”だ」と訴えた。
原発事故後からこの避難所に密着して撮影を続けてきた映画監督の舩橋淳氏は「人生の再起には家・土地・仕事、全ての賠償が必要」と前置きした上で、「時間がかかる賠償と、再スタートを切るための大まかな賠償を切り離すべきだ。被災者に強いる犠牲はどんどん増えている」と語る。
前出の竹本さんは蓄積した疲労をにじませながら、こうつぶやいた。
「事故で生き方を百八十度変えられた。家があって代々の田んぼがあって、そんな毎日を奪われた。双葉にはとうてい戻れそうにない。なのに仮設住宅があるのは福島ばかり。放射能から逃げるんじゃなかったのか」
<デスクメモ> フクシマの損害を聞くたび、賠償できないものが伏されているように思えてならない。風の匂い、記憶をたどる風景、人びとのつながり…。カネでは補えない。五年は戻れない帰還困難区域。待った末に戻れない場合、時間の代償など存在しない。そして生命。「返せ」という言葉は空転するほかない。(牧)
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