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「原発事故で死んでない論」は許されない
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8月12日 東京新聞「こちら特報部」
将来のエネルギー政策を決める政府の意見聴取会で先月、中部電力の社員が「(福島原発事故で)放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と発言した。この場に限らない。最近、ちまたでよく耳にする「原発事故で死んだ人はいない」論。そこでは避難を強いられた地域住民の苦しみは置き去りだ。どうか思い出してほしい。原発事故がなかったら、死なずにすんだ人たちがいる。(中山洋子)
「原発事故で誰も死んでないなんて、まるでうそ。姉の死は間違いなく原発事故のせいだ」
福島県南相馬市鹿島区の仮設住宅。江井富美さん(71)が声を震わせた。
同市小高区で独り暮らしをしていた姉=享年(75)=は、震災発生から二週間後に自宅で病死しているのが見つかった。
福島第一原発から約十五キロ。昨年三月十二日に避難指示が出され、この日には親戚が電話で姉の無事を確認していた。
「市内のあちこちで断水していたが、近所でお水をもらっているようだった。偶然電話がつながったのはその日だけ。その後は連絡が取れなくなった。どこかに避難してくれていたらと願っていたのに…」
心配した親族が市に問い合わせ、二十五日に警察や市職員とともに自宅を訪ねると、玄関近くに倒れて死亡していた。
「近くに『水をください』というメモがあったと聞いた。立ち会った親族によると、発見の数日前の日付だった」
同じ小高区に住んでいた江井さんも、震災直後に心臓発作を起こしてしばらく動けなかった。
「同居の娘に『私を置いて逃げて』と本気で頼んだ」。十四日になんとか家族で避難した。混乱の中、連絡が取れない親族や友人については無事を祈るしかなかった。
江井さんは「姉を助けられなかったことを親族も親しい知人もずっと悔やんでいる」と話す。
今年四月まで警戒区域だった小高区では、上下水道の復旧が進んでいない。江井さんの自宅もまだ水が使えず、一時帰宅する際にペットボトルは欠かせない。姉の墓所は小高区にあり、納骨もまだできていない。
江井さんは生前の姉の姿をよく思い出す。「健康に気をつけていて、私よりずっと元気だった。詩吟が好きでピアノも始めていた。その姉がなぜ死ななければならなかったんでしょうか」
同県本宮市の仮設住宅に避難している浪江町の橘柳子さん(72)も、中部電力社員の発言を伝えるテレビに向かって、「何を分かってるっていうの」と思わず怒鳴った。
津波に襲われた浪江町の沿岸部で、本格的な行方不明者の捜索が始まったのは震災発生から約一カ月後の四月十四日。しかし、原発から十キロ圏内では、住民が立ち入ることはできなかった。
「避難する直前、ガレキの山から『助けて』という声を聞いた住民もいる。子どもや親と連絡が取れていなかったのに逃げるしかなかった住民もいる。津波だけなら、救助できたかもしれない。それが本当に悔しい」
原発事故発生に伴う避難の指示内容はくるくる変わった。
昨年三月十一日に「三キロ圏内」だった政府の避難指示は、翌十二日に「十キロ」「二十キロ」と順次拡大した。二十五日には三十キロ圏内の自主避難も促された。そのたびに住民たちは避難場所の移動を強いられた。四月二十二日からは、二十キロ圏は「警戒区域」として立ち入りが制限された。
前出の橘さんは今年七月、母の大井トシノさん=享年(92)=を亡くした。ただ、震災死扱いはされてはいない。
認知症のトシノさんは震災当時、約百三十人の入院患者と院長が取り残された双葉病院(同県大熊町)の系列の介護施設に入所していた。
避難は混乱を極め、十時間以上に及ぶ移動中や到着後にお年寄りが次々に死亡。昨年三月中だけで、入院患者と施設入所者を合わせて五十人が亡くなっている。
トシノさんの行方を捜していた家族は、しばらくして会津若松市の病院にいるのを見つけた。それまでしゃんと背筋を伸ばしていた母は、橘さんが再会したときは別人のようにやせ細り、ふらついていた。
橘さん夫婦も、避難先を十カ所も転々とした。「母は説明できなかったが、どんなつらい目にあったのか。もっと長生きできたはず」。双葉病院のお年寄りたちも、原発事故がなければ死なずにすんだ人たちだ。
避難した住民たちを苦しめる「原発事故で死んだ人はいない」論には二重のごまかしがある。
低線量被ばくの健康リスクがある。その実態はまだ明らかではない。そして、事故により避難を強いられ、そのために亡くなった人々を無視していること。被害を軽んじる議論がその風化をあおっている。
どれだけの人が犠牲になったのか。明確な統計はないが、復興庁のまとめ(今年三月末)によると、事故避難を含む避難生活などで病状が悪化したり、自殺に追い込まれた震災関連死は福島県で七百六十一人だった。
同庁による原因分析のサンプル調査では、福島県に限ると、避難所などへの移動中の疲労による死亡が56%。原発事故に伴う死者が「一人もいない」とはいえない。
ちなみに、今月十日時点での南相馬市の関連死は三百十五人、浪江町は百六十三人、双葉町六十人、大熊町三十八人、富岡町七十七人、楢葉町三十六人と続く。
この中には自殺も含まれる。警察庁のデータを基にした内閣府の統計(今年六月末現在)では、福島県は十六人が命を絶っており、明確に原発事故が原因と遺書を残したケースもある。
このうち六人が今年に入ってからの自殺者で、五月には浪江町の自宅に一時帰宅した六十代の自営業男性が町内で首をつって自殺した。
このほかに震災発生後もしばらく生存していた可能性のある死がある。双葉町によると、震災で亡くなったことが明確な直接死の中に、溺死や圧迫死だけではなく、避難区域内での衰弱死が一例含まれている。富岡町も衰弱死のケースがあったことを認めている。
犠牲を生む回路はまだ絶たれていない。仮設住宅には疲弊が蓄積している。前出の橘さんはその心象風景をこう語った。
「帰れない、と泣く人も増えてきた。ささやかな幸せや何げない日常を奪われた喪失感が心に穴をあけている。これが放射能汚染のせいでなければ何なのか」
<デスクメモ> 「八月ジャーナリズム」という業界用語がある。平和、反戦というテーマがいまごろになると強調されることを指す。やや自嘲的な響きもある。というのは、この時期以外はこのテーマに疎遠だからだ。福島原発事故から十七カ月。「三月ジャーナリズム」を生んではいけない。厳しくいさめたいと思う。(牧)
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