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(書評)南の島のヒバクシャ [単行本]
桐生 広人 (著)
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「生きものの記録」の原点--忘れられた南太平洋の水爆実験 2005/8/9
By 西岡昌紀
黒澤明監督(1910-1998)の作品に「生きものの記録」(1955年)と言ふ映画が有る。水爆実験のニュースが伝えられる中、核戦争の恐怖に取り付かれた老人が、全ての財産を投げ出し、子や孫を連れて、将来の核戦争で最も安全と思はれるブラジルに移住しようとすると言ふ、奇妙な物語である。--アメリカの映画評論家ジョウン・メレンは、この映画を、「核戦争を題材にして作られた最良の映画」と絶賛して居る。私も同感である。--この映画が生まれた背景には、黒澤監督の親友であり、黒澤作品の多くで音楽を担当した早坂文雄氏が、死の直前、核実験のニュースに恐れを抱いて居る様子を見た黒澤監督が、早坂氏の恐怖に触発されて、この映画を作ろうと決意したと言ふ逸話が知られて居る。--その、死の直前の早坂氏を怯えさせた核実験の一つは、南太平洋でアメリカが行なった水爆実験であった。--当時の日本では、アメリカが、南太平洋で行なって居た核実験に対して、それほどの恐怖感が存在して居たのである。それから半世紀が経ち、当時の日本人が、水爆実験に対して抱いた恐怖は、殆ど、全く忘れられて居る。だが、当時の日本人の恐怖こそは、本来、生き物である人間が、核に対して抱いて当然である本能その物だったのである。その当時の日本人の恐怖感が、いかに正しい物であったかを思ひ起こす為に、私は、本書を推薦する。本書に書かれて居る事は、その半世紀前の核実験で、南太平洋に住む人々が、いかに悲劇的な運命を辿る事に成ったかと言ふ事柄である。これを読むなら、「生きものの記録」に描かれた、当時の恐怖が、生きものである人間にとって、いかに正しい物であったかが、痛感される筈である。--核に対する生きものとしての本能を取り戻す為に、この本を推薦する。
(西岡昌紀・内科医/長崎に原爆が投下された日から60年目の日に)
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