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「この抗議行動は止まらない。無数の人たちの声をプラカードを見て、あらためて実感した:長谷川幸洋氏」
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2012/8/5 晴耕雨読
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今夜、首相官邸と国会議事堂前に行った。
正直に言って、とても心配していた。
もしかしたら、この間の日曜日に少し抗議行動が激しくなって、その影響で参加者が減るんじゃないかと。
でも、それは杞憂だった。
今夜の参加者数は知らない。
でも、話を聞いたり参加者の顔をみて、まったく動じていない。
ちょっと過激な行動にでた人たちとか、この行動を利用してやろうとか。
そういう人はいたかもしれないけど、そういう雑音にはまったく動じていない。
もっと、深い動機に基づいている。
今夜、来た人たちは。
そう確信した。
私の不明を恥じる。
そういう気持ちだ。
暗がりにいた61歳の女性は黙って手製のプラカードを立てていた。
「輸出するな、再稼働するな」。
裏側には英語で同じようなメッセージ。
「私は30年、外国にいた。日本はがれきで世界を汚している。私達が声を出さないと、世界は日本を見捨てる」。
そういう視点には気づかなかった。
多少、デモで過激な行動をする集団がいようがいまいが、彼女に影響を与えることはできないだろう。
そういうことではないのだ。
もっと根源的な問題なのだ。
彼女をあの暗がりに呼び出しているのは。
黙って手製の小さなプラカードを掲げていた彼女の話を聞いて、あらためてデモの本質に触れた思いがした。
この抗議行動は止まらない。
無数の人たちの声をプラカードを見て、あらためて実感した。
やはり現場で考えてみるしかない。
一人ひとりが自分でしっかり考えて、現場に来ている。
とても、他人の、たとえば過激な人たちの、動きに触発されるようなレベルではない。
そこが、私によく見えていなかった。
いったい、これはどういうlことだろうか。
もう一度、よく考えてみる。
> 政治活動アマチュアの個が、自分の意思で参加している場合が殆んどでしょう。それは現場に行けば分かります。やっと歩いているお年寄り夫婦が手を繋いで人波の中をゆく姿。ベビーカーを押す若い夫婦。誰も過激な人たちのことなど眼中にありません。触発など、とんでもない。
触発されて、というのは、影響されるようなレベルではない、という意味です。
自分で考えてそこにいるのが、あらためてよく分かります。
言葉足らずで申し訳ない。
つい、走った。
> 長谷川さんの真摯な言葉に触れて、参加者の1人として強くこみ上げてくるものがあります。なぜ皆があの場に足を運び続けるのか、本当に人それぞれだと思いますが、一つ私が強く感じている事は”風化”への恐れです。この問題が自分の中で、社会で風化してしまわないように。。
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