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7月16日、代々木公園で開催された「さようなら原発10万人集会」〔PHOTO〕gettyimages
国民はもはや政府を信用していない! 原子力規制委員会の人事は国会事故調の提言を尊重して国会主導で決めるべきである!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33164
2012年08月03日(金)長谷川 幸洋「ニュースの深層」 :現代ビジネス
政府が新設する新しい原子力規制委員会の人事案がもめている。当然だ。
委員長候補の田中俊一は原子力委員会委員長代理や日本原子力学会会長、日本原子力研究開発機構副理事長などを務めた、バリバリの原発推進派である。「原子力ムラの村長さん」とか「ミスター原子力ムラ」とも呼ばれている。
その呼び名にふさわしく、たとえば低線量被爆リスクについて「100mSv(ミリシーベルト)は健康に大きな影響がない。このあたりをどう今後、住民に折り合いをつけていただくかが大変、大事」(2011年8月23日、第32回原子力委員会議事録)などと、住民の気持ちを逆なでするような発言を繰り返してきた。
食品汚染についても、驚くべき発言がある。肉や魚について政府は当初、1キログラム当たり500ベクレルという異常に高い暫定規制値を設けて国際的にも批判を浴びた。その後、12年4月1日から100ベクレルに下げたが、田中は引き下げに反対していた。
11年12月12日に開かれた政府の「第7回低線量被爆のリスク管理に関するワーキンググループ」では、次のように語っている。
「1キログラム当たり500ベクレルの基準値で十分安全であり、100ベクレルにすれば流通できない食品が増えてくる。それは社会的、経済的損失はもちろんですけれども、それによって国民の不安はどんどん大きくなっていく。もうひとつ、私は心配なんですけど(暫定規制値の引き下げに伴って耕作の規制値も低くすれば)非常に広範囲の地域で耕作制限がされることになる」
(政府インターネットテレビ参照)http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg5610.html
規制を厳しくするのはとんでもない、と反対していたのだ。
■「政府内の推進組織からの独立性」はどこへ?
委員候補である中村佳代子は日本アイソトープ協会の主査。更田(ふけた)豊志は田中が副理事長を務めていた日本原子力研究開発機構の原子力基礎工学研究部門副部門長だ。両氏とも前職とか元職ではなく現役である。大島賢三元国連大使は国会事故調査委員会の委員を務めていた。もう1人、島崎邦彦は元東大地震研究所教授で地震予知連絡会の会長である。
この5人のうち田中と中村、更田の3人は経歴や過去の発言からみても、あきらかに原子力ムラの住人だ。もともと規制委は原子力ムラの影響力を断ち切るのが狙いだったのだから、本来の趣旨に背く人事案であるのは議論の余地がない。
中村、更田の2人は新たに制定した原子力規制委員会設置法にも違反している。同法第7条7項には「次の各号のいずれかに該当する者は委員長または委員となることができない」として次のように定めている。
三、原子力に係る製錬、加工、貯蔵、再処理もしくは核燃料物質の使用を行う者またはこれらの者が法人であるときはその役員もしくはこれらの者の使用人その他の従業者
四、前号に掲げる者の団体の役員または使用人その他の従業者(一部略)
この条文に照らすと、中村が勤める日本アイソトープ協会は研究・医療系の放射性廃棄物の集荷、貯蔵、処理をしている団体であり、中村は上記三の欠格要件に該当する。同じく更田が勤める日本原子力研究開発機構は高速増殖炉もんじゅを設置して使用済み核燃料の再処理をしており、更田も三に該当する。
田中はどうかといえば、中村、更田両氏と違って前職、元職だから直接、欠格要件に該当しないものの、ほとんどアウトに近いといっていい。
こうした理由から、たとえば脱原発弁護団全国連絡会は田中と中村、更田の3人について人事案の撤回を求めている。だが、真の問題は実は3人にとどまらない。
この3人が「法の欠格要件に該当するからダメ」というのは、たしかにパワフルな主張である。だが、国民の目から見ると本来、政府が密室で決めた人事案を国会に出すというプロセス自体が問題ではないか。
野田佳彦政権はほとんどデタラメに近い基準をつくって関西電力大飯原発の再稼働を決めた。脱原発を進める気があるのかどうか、極めて疑わしい。そんな政権が規制委の人事案を出しても、自ずから原発推進派で固められるのは自明である。
こういう事態を予想して、国会の事故調査委員会(黒川清委員長)は先に出した報告書で「新しい規制組織」について「政府内の推進組織からの独立性」を最初に必要条件として指摘したうえで、透明性を高めるよう提言した。具体的には「委員の選定は第三者機関に一次選定として相当数の候補者の選定を行わせたうえで、その中から国会同意人事として国会が最終決定するといった透明なプロセスを設定する」よう求めている。
この提言に従えば、まず第三者による委員選定委員会をつくる。そこが複数の候補を選んだうえで、国会が最終決定する仕組みになる。多くの国民は、もはや政府を信用できない。だから「国会が選ぶべきだ」という話なのだ。
私はこれに同意する。政府に候補選定を委ねていたら、仮に3人の人事案が撤回されたとしても、またまた原子力ムラ、あるいはその隣村から候補が出てくるのではないか。結局、事態は本質的になにも変わらない。
■人事は最初から国会が主導して決めるべき
私は、そもそも3人は初めから「ダミー」なのではないかと疑っている。それは今回の人事案を表に出すにあたって、官僚はかなり策をめぐらした形跡があるからだ。
人事案は読売新聞と日本経済新聞のスクープとして最初に表面化した。両紙とも7月20日付だ。官僚がマスコミにスクープを書かせるときは動機がある。どこかの社がスクープとして報じれば、残りの社も後追いする。すると同じ人事案が何度も報じられることによって、話が既成事実化する。それが一つ。
加えて、与野党には「国会同意人事案が事前に報道されれば白紙に戻す。ただし今回は例外扱いとする」という合意ができていた。スクープによってひともめする事態は当然、予想されたが、最終的には容認されるのだから、政府が野党にちょっと頭を下げれば済んでしまう。
実際、そのように事態は進んで、藤村修官房長官が野党に頭を下げて一件落着になりかかった。問題の本質は「原子力ムラからの人選」だったのに、いつの間にか「事前報道問題」に焦点がすり替わった。野党も政府の謝罪獲得でメンツが立つという茶番劇である。こういうすり替え戦法は官僚の得意技である。
それだけではない。だれがみても法の欠格要件に当てはまる中村、更田のような委員候補を入れたのは、文句が出たら「2人の差し替え」でお茶を濁す気だったのではないか。それで、田中が生き残れば万々歳なのだ。
官僚が絶対に死守したいのは「政府が委員候補を決める」という線である。政府から国会に委員候補提案権が奪われてしまったら、コントロールが一段と難しくなる。そこで、まずは超タカ派の3人を出す。ギリギリまで粘ったところで3人とも差し替えが不可避なら、大幅妥協したふりをして、本命の「ミスターX、Y、Z」に差し替える。そんな作戦ではないのか。そのくらいの知恵は官僚は当然、働かせる。
もめにもめたところで政府が差し替えれば、それ以上の抵抗は気勢もそがれる。メディアが批判に回るという計算も働く。もちろん田中たち3人で国会同意がとれれば大勝利だ。そうでなくても「X、Y、Z」で勝てるのだ。
だからこそ、3人の撤回ではなく「人事は最初から国会が主導して決める」という流れにすべきである。そもそも事故調は国会がつくったのではないか。その提言を最大限尊重しないで、政府案への賛否だけを表明するのは、国会が自分たちの権威をおとしめているようなものだ。ここは事態の推移に注目しよう。
■「バリケードを突破する」ことを目的にしない
週末の官邸前抗議行動についても触れたい。
7月29日の国会包囲デモで注目すべき展開があった。多くの参加者たちが歩道から車道にあふれ出て一時、国会議事堂前の車道を占拠してしまったのだ。たしかに人波は多かった。だが、あふれた車道の真ん中には「全学連」とか「早稲田大学」とか「津田塾大学」といった赤い旗がひらめていた。
その直前まで「再稼働反対」というコールが流れると、私の周囲の人々は「車道を開けろ」と声をそろえて応じていた。これは初めてである。車道に人波があふれた直後、主催者である「首都圏反原発連合」のMisao Redwolfさんが警察・指揮車の高性能スピーカーを使って「危ないから後ろのほうからゆっくり下がって」とか「キャンドルの火は消して」と呼びかけると、すぐ周囲から「やめろ」という声が上がった。
つまり街頭行動が少し激しくなってきた。自然発生的な動きならまだしも、もしも組織的なグループが扇動していたとすると、先行きが心配になる。挑発的な行動は少しずつ先鋭化していくかもしれない。すると、普通の人々がついていけなくなる。
そういう懸念を私がツィッターでつぶやいたら、ツィッター上で「これまで煽っておいてマッチポンプ」とか「民衆の気持ちを無視している」といった批判があった。
私が抗議行動について書いたのは、7月18日付で公開したコラム「それぞれが自由に集まり、整然と帰っていく『個人』の力 〜代々木公園『さようなら原発10万人集会』で感じたこと」が最初である。そこで、こう書いている。
〈 私がもっとも心を動かされたのは、官邸前の抗議行動が終わるときだった。
それまで官邸前でも国会議事堂前でも前のほうに進もうとすると、人の波が多すぎて、にっちもさっちも動けなかった。ところが時計の針が7時半を回るころから、5人、10人と、前方から後方へと戻っていく人が出てくる。(中略)
抗議行動が終わる午後8時だった。
抗議のコールやドラムの音はまだ鳴り響いていたが、帰りを急ぐ人たちは黙々と歩いていた。杖をついて歩く老夫婦がいる。新党日本の田中康夫衆院議員が自ら現場で配った白い風船を手にした母子連れがいる。(中略)整然とした帰り姿。私は、こういう終わり方を予想していなかった。
帰る彼らを見ながら、これは私が経験した70年代のデモとはまったく違う、と思った。かつてのデモは文字通り「闘争」だった。現場には明確な目標があった。首相官邸だろうが街頭だろうが、警察が阻止線を張っていれば、そのバリケードを実力で突破する。突破できなくても体当たりする。それが70年代の戦いだった。
だが、今回の抗議行動にそんな目標はない。街頭で声を上げる。時間が来ればそれぞれ勝手に帰る。それだけだ。声すら出さず、ただ来ただけの人も大勢いる。(中略)
70年代のデモはしばしば暴力的な行動を伴った。だが、今回はまったくといっていいほど衝突ざたがない。参加した人々にとっては「バリケードを突破する」ことなど、初めから目的ではないからだ。 〉
はっきりさせておきたい。
私が抗議行動を評価するのは、それが秩序とある種の品格を保ち、暴力を否定しているからだ。だが「車道を開けろ」のコールが暗示するように、行動が次第にエスカレートして街頭での「対決」を目指すなら、話は別である。
まして、私が対決型の街頭行動を「煽った」などということは一度もない。対決型のデモは1960年安保反対闘争、70年安保闘争と繰り返された。それは結局、勝利しなかった。
今回、野田は抗議行動の主催者たちとの面会を検討しているようだ。多くの声を無視できなくなったからだろう。だが行動が先鋭化して、たとえば警察と衝突するような事態になれば、政府の対応も変わるかもしれない。集団が意図的に秩序を乱していくなら、まずは秩序の維持回復が政府の仕事になる。
本日8月3日夕にも官邸前抗議行動が予定されている。「人々の声」を消さないために、平和的な行動であってほしい。
(文中敬称略)
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