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BLOGOS編集部のひとこと
壇上に上がった直後、上着を脱いで語りはじめた菅直人氏。「市民運動からスタートした私の活動も、総理大臣を経験し、ぐるりと、今また市民運動の振り出しに戻ったような気持ちがしております。」という言葉が印象に残りました。
"市民運動とも連携して、「脱原発法」の精神を" - 菅直人前首相が会見
http://blogos.com/article/44102/?axis=
2012年07月31日 19:07 BLOGOS編集部
総理退任後、「原発に依存しないですむ日本と世界を実現する」ことを目指し、脱原発に向け党内外で活動する菅直人氏。30日には福井県敦賀市で高速増殖炉もんじゅを視察し、記者団に「もんじゅは不要」との認識を示していた。そんな菅氏が、31日、自由報道協会で会見を行った。総理を退任して以来、いわゆる「記者会見」を開いていないという菅氏。今日は講演をした後に、質問を受ける、という条件で引き受けたという。会見では事故当時の苦悩を振り返り、あらためて「脱原発」の姿勢を打ち出した。【BLOGOS編集部 田野幸伸、大谷広太】
菅氏:私は初当選時、市民運動からの国政参加ということで、週刊プレイボーイに1ページご提供いただき、約一ヶ月の間情報発信 をしたことがあります。もちろん当時は私には政治部の記者などは近寄ってこない時期でしたので、自由なメディアの必要性を感じての議員生活のスタートでした。今、いろいろなメディアの在り方が話題になっていますけれども、この自由報道協会が比較的自由な場であると聞いています。市民運動からスタートした私の活動も、総理大臣を経験し、ぐるりと、今また市民運動の振り出しに戻ったような気持ちがしております。
今日は原発事故についての問題、それを踏まえて、今後の再生可能エネルギーの問題。そして今後の原子力政策の問題についての3点についてお話したいと思います。
まず、原発事故についてあらためて申し上げたいのは、本当のところ、どれだけシビアな状況に立ち至っていたかということについての共通の認識、思い、感じ方についてです。
3月11日の14時46分に地震が発生して以来、約一週間程度は、すぐそばにあります公邸には戻らず、夜も官邸で、防災服を着て、時折仮眠をとっておりました。官邸では一人になることもあるのですが、そのときに考えることはひとつでした。この事故がどこまで拡大するのか。どこで終息に向かうのか。これが最初の一週間、常に頭の中を駆け巡っていました。
今回の事故というのは、複数の原発の同時多発的なアクシデントという、スリーマイルはもとよりチェルノブイリをも超える重大事故でした。化学プラントの大きな火事が起こることがあります。火災は3日か1週間か、燃え尽きるまで何日か待てば鎮火するのでしょうが、原発の使用済燃料の中には半減期が2万4000年のプルトニウムもあります。つまり火災で言えば、永久に鎮火しないということであります。
そう考えたときに、この首都圏から3000万の住民が避難しなければならない、そういうことも十分にありえると感じたわけです。東電の現場の皆さん、自衛隊・警察・消防のみなさんが命を賭して頑張ってくれたことが、結果として紙一重のところで原子炉に水がはいり、温度が下がり、幸いにして最終的にはそういう事態には立ち入らないで済みました。
チェルノブイリの事故で、は多くの軍人が出動命令を受けたと言われています。原子炉にセメントをどんどん放り込んで、"石棺"を作って、なんとか放射性物質を止めたと言われています。私も、色々な場面で「死を賭して」「命がけで」という言葉を使いました。東電の幹部の皆さんにも、「私を含めて、みなさん60歳を超えてるじゃないか。自ら現場に行こうじゃないかと」行ったことがあります。しかし、出かけていけば死ぬことがほぼ確実だ、という場所に、誰かに「行ってくれ」と命じなければならない場面に来たときに、本当に命令できるのかどうか。ずっと考えておりました。
総理として、そういうことを経験し、180度と言ってもいいくらいに原発に対する考え方が変わりました。結論としては、"安全な原発"というのはない。原発に依存しない社会を実現すること。それが日本にとっても世界にとってもただしい選択だと確信するに至りました。3.11までは、総理として、安全性を確認した上で、CO2を出さないエネルギー源として原発を活用するという方向性でおりましたけれども、あの"紙一重"の状況がもしも"紙一重"を超えた状況に立ち至った時のリスク、この大きさはどれだけのものかと考えました。事故後、小松左京さんの「日本沈没」も改めて読みましたが、「日本沈没」というところまでではないにしても、国家の存亡が本当に危うくなる。そういうリスクなんです。
私も、新人議員のころから脱原発に変わりうるエネルギーとして再生可能エネルギーの促進には積極的に取り組んで参りました。三宅島にあった東電の風力発電機とか、当時の科学技術庁が推進していた「フートピア計画」というものを国会で取り上げたりもしました。この30年あまり、日本の再生可能エネルギーの技術が劣っていたからヨーロッパに遅れをとったわけでは決してありません。日本の技術も高かったわけですけれども、「東電も実験したけど駄目でした。科学技術庁も実験したけど駄目でした。」と、全部潰していった歴史があったと思います。昨年8月に、再生可能エネルギーの固定価格買取制度が、私の内閣の最後の仕事として成立しましたが、再生可能エネルギーが大きく飛躍することは昔からわかっていたわけです。しかし、経団連、電事連、東電、その他の関係者が、再生可能エネルギーは不安定でお金がかかる、と抑えこんできたわけです。再生可能エネルギーの買取制度がいよいよスタートしたことを"我が国の第3次産業革命だ"という方もいますけれども、私もある意味ではこれは新たなスタートと言えると思います。
私は昨年から海外でも実践的な現場や、開発している企業を見て参りました。ヨーロッパに行くまで、三菱重工が風力発電をやっていることを知りませんでした。しかし現在、ヨーロッパでは三菱重工は再生可能エネルギーの有力なメーカーとして知られています。今回、経産省が主導して、福島沖で1基7000kwという浮体型の風力発電の実験を始めます。将来的には140基を作ろうという計画であります。メインは三菱重工であり、日立であり、またスマートメーターの研究所を見て参りましたが、こちらでは東芝も取り組んでいます。従来は原発に関わっている企業は、再生可能エネルギーに関わることを気兼ねしていたとしか思えませんが、これまで原発に深く関わっていた企業も含めて、再生可能エネルギーに取り組んでいます。世界的に見ても、GEは原発事業について将来の見通しがあまり持てないということで、方向転換すると経営陣が言っておりました。
再生可能エネルギーが持つキャパシティというのは、技術革新という意味で大きいというだけでなく、太陽が降り注ぐ、相対的に田舎と言われる、従来投資がいかなかったところにも投資がいく、地域に分散した社会への道が開かれると思っています。
経団連の関係者の中には、原発がないと経済が悪くなるという、まるで3.11が無かったかのような発言をしている方もいらっしゃいます。事故が起きたときの大きなリスクは全く頭に入れないで、「原発が無いと電気料金が上がると、日本経済にマイナスになる。」という感覚が率直に言って理解できません。せめて3.11についてどう見ているのか表明してから発言をするのが責任ある立場だと思う。
残された時間の中で、どうやって脱原発を実現するのか、民主党の中で私が顧問を務めている「脱原発を考える会」でも、遅くとも2025年までには原発ゼロにする、もちろん前倒しできるようであればそれをできるだけ早く実現する、その場合の再生可能エネルギーや経済効果についても協議しています。先週、それを「脱原発基本法」として法律にして、民主党議員で国会に出したいと、世話人が幹事長に申し入れを行いました。幹事長の方からも検討していくと回答いただいておりまして、これから党として「脱原発」を打ち出すのか出さないかしっかりとした議論をしていきたいと思っております。同時に、他の党の方にも、超党派で、「脱原発基本法」のようなものを提起できないかと話をしているところであります。
1988年、高木仁三郎さんが「脱原発法」というのを提起されたわけですけれども、当時はその問題にあまり関心を示さないままであったことを申し訳なく思っています。今一番元気のいい首都圏の反原発連盟や、大江健三郎さんなど、いろんな動きがあるわけですが、そうした方々とも連携しながら、高木さんが考えられた「脱原発法」の精神を引き継いだものを国会で成立させていく運動を広げられないかと考えているところです。
本来この問題は、国民投票が相応しい仕組みですが、我が国ではまだ制度が整備されておりません。法律を超党派で、国会で決めることができれば。たとえ誰が首班になろうがそれは内閣を拘束します。国民の皆さんの力で国の方向を決めていく、そういうことに私の立場でも全力で協力していきたいと考えています。国会で、首都圏反原発連合の方が議員と意見交換する会を開くことになっております。みなさんとも、3.11をきっかけに、新たな日本のエネルギー、原発政策の選択につながる、そういう道がさらに広がるよう、実現を図って行きたいと思います。
続いて、質疑応答が行われた。
質問:上杉隆です。総理時代に原発事故に合われた菅さんですが、メルトダウンの報告、放射性物質の飛散マップ、米軍の提供した情報、これらをどの時点で把握したのか。タイムラグがあったのか。大きな状況判断の根拠ですので、教えてください。
菅氏:これまで事故調のヒアリングを受けましたし、今日はそういう質問に対して、何月何日にどうだったというのは用意しておりません。過去に言ったことと、と今申し上げることが間違ったら困るので、具体的に日時は言えませんが、メルトダウンについては可能性を早い段階から感じておりました。原子力安全保安院がある時期までは「燃料棒の損傷」といったような表現をしていて、「いわゆるメルトダウン」という表現をしたのはかなり後だったと思います。
総理という立場と、個人としてどう思っているのかいうこととが難しい立場でありまして、様々な意見はいただいておりましたが、原災本部事務局である保安院が「燃料棒の損傷」という言い方をしている間は、それと矛盾しない形の表現にとどめていたと思いますし、それが変わった段階で「メルトダウン」という表現を使ったと思います。
質問:週刊金曜日伊田と申します。先日2号機、3号機への海水注入やベントの遅れについては、政府事故調の調査を待ちたいと言われました。しかし、事故調は、2号機、3号機は健全性を維持していた、とは言っていたが、それ以上踏み込んでいません。爆発は防げた可能性があるけれども、なぜ遅れたのか。東電の方が廃炉を危惧したのではという意見もありますが。
菅氏:これも、まさに事故調のその皆さんが一定の報告を出されているわけでありまして、何号機がどうだったと言える立場ではありません。一般論で言えば、たしかに後の1号機は、検証ではその日にメルトダウンを起こしているわけですが、2号機、3号機はかなりの時間維持されておりますから、その段階で水を入れるということを、間を置かないでやることで冷却機能を継続できていれば、メルトダウンには立ち至らなかったのではないかとも思います。ただ、事実関係としてどうであったかと、個別にその時点で知っていたわけではありません。
質問:おしどりマコと申します。テレビ会議の映像公開について、事故発生後から3月16日午前0時ごろまでしか公開せず、15日朝、菅さんが東電本店を訪れた際の映像も東京電力自体が編集して提供しようとしています。あの時、菅さんが、東電本店に滞在したのは何分くらいだったのでしょうか。また、どのあたりまでの映像を公開すべきか、特にこれは公開すべきだという、注目すべき映像があれば教えてください。
菅氏:私は他の場面でも申し上げておりますが、東電本部のテレビ会議というのは飛行機事故で言えばパイロットと管制塔のやりとりです。これは事実関係を知る上で、関係者への直接のヒアリングに勝るとも劣らない資料だと思っています。だから、私が出ている場面も含めて、当初から全面的に公開すべきだと言ってまいりました。東電はプライバシーを理由にしていますが、仮に飛行機事故でパイロットが彼女に電話していたとしても、コックピットのものはすべて公開するのであって、映像の一部は画像だけとか、音がないとか、極めて不自然であります。調査会の中で私の喋ったことについても、"これはああだった"とか、そこまで指摘するであれば、全部共有の場で公開するのが当然です。国が資本注入して実質国有化となった今でも抵抗している東電が理解できません。
国会事故調も、国政調査権というのに基づいて作られていますから、今からでも遅くはないので、誰かが証拠隠滅をしないようにその発動を求めて、全てを把握するという行動を取られても良いのではないかと思います。
質問:シンクタンクをやっているナガタと申します。最終的に再生可能エネルギーを充実させるには、脱原発を実行していくにしても、化石燃料を安定的に安価に調達しなければならないと思いますが。
菅氏:まず、短期、中期、長期でものを考えなければ行けないと思います。ドイツは2025年には再生可能エネルギーで賄うといっています。私もこれは可能だと思っています。エネルギー使用量を下げながら成長することは十分可能だと思います。原発が占めていた電力の割合を下げると、ある時期は追いつかなくなりますので、その時期は、化石燃料を増やさないといけないと思います。石油や天然ガス代は払っておりますが、太陽は気前がいいから料金を取りません。設備費とか維持費はかかりますが、長期的には楽観視というか、十分できると思います。全体で省エネになれば、今の化石燃料の消費量を超えないレベルまで下がると思っています。熱エネルギーまで含めれば、20%を超えるような省エネも中長期的には可能だ。
質問:分散化エネルギー新聞と申します。鳩山さん、小沢さんらと連携を組んで政権交代を図らなければいけないこともあると思いますが。
冒頭に申し上げましたが、私は市民運動を経験して、小さな政党も経験して、総理も経験しました。今、政党というものを否定するものでもありませんが、原発に関しては、最終的には国民が自分たちの生き方や社会を選択するということとして、どの党とどの等が連携を組んだらということではなくて、どの党も、大きな声を受け入れるのか、それとも無視するのか、という問題だと思います。国会の中で、大きな国民の声を反映して、脱原発法といったものが実現すれば、まさに大きな大きな成果ではないかと思っています
質問:IWJの岩上安身と申します。菅さんはブログで、"野田政権も脱原発依存の方針であると私は理解している"と書いていましたが、政府与党は、大飯原発再稼働を強行しまししたし、政権としては原発推進・維持とみなすのが妥当だと思います。この現民主党政権にどのような見解をお持ちなのか。また、大飯原発再稼働についてどうお思いか。そして、間もなく原子力規制委員会の人事が決まるかも知れません。田中俊一さんという原子力村の人が選ばれようとしている。そのまま罷免することもできない独立した大きな権限をもって原子力規制委員会が5年間活動するかもしれないことについて、どう思うか。
菅氏:昨年、総理在任中、確か7月でしたか、記者会見で脱原発依存ということを申し上げ、その後エネルギー環境会議で原発依存を下げていくという言い方をいたしました。そういう意味では菅内閣では少なくとも方向性としてはいつまでにどうということを示したと思います。そしてそれを継いだ野田政権からも、大きな方向性を否定した発言を聞いてはおりません。確かに、野田総理は、個々の問題、とくに税と社会保障の一体改革に精力の多くを割いていたので、必ずしもご本人からの積極的な意見は聞こえておりませんけれども、大きな方向性は基本的には踏襲してくれていると理解しています。
再稼働の問題は、エネルギー庁などの話を聞きまして私なりの判断でいえば、国民の協力があれば、この夏の稼働がなくてもなんとかクリアできると聞きましたので、再稼働反対の旨申し上げました。ただ結果として、内閣と経産省は、私への説明でも、最後まで電力が足らないという説明は変えませんでした。
私も経験した中で、総理が「大丈夫」というときには、絶対に「大丈夫」と言わなければならないし、例えば病院が停電になったことのことなどを考えて、万全の準備をしなければならない。その準備するのは官僚組織であります。そうすると、官僚組織も「大丈夫」と言わなければならない。個人の考えと同時に、客観的なデータの部分で、結果として、私の見通しとは違いましたけれども、私の内閣のときに作ったルール、原子力安全委員会、地元の同意、関係大臣の合意、手続きを持って進んだと理解しております。
規制委員会については、心配しています。私も大臣のところに申し入れにいったりしております。原子力村に属さない原子力の専門家を、どのような形で見つけられるのか……。外国人を主要なメンバーに入れて、仲間内で隠し合うような形を壊したらどうかという提案をしましたし、よりよい人選を進めるべきだとおもっています。
質問:ニコニコ動画の七尾です。事故調などで、総理として発言が慎重になるのは当然のこととして、視聴者のみんなは、一人の人間として、菅さんがあのときどういう心境だったのか、体調はどうだったのか詳しく知りたい。一人の人間としての菅さんのことをお聴かせください。
菅氏:先程、一番強く感じたことには申し上げたつもりです。つまりは事故発生から長く言えば2週間、とくに最初の1週間、どこまで事故は拡大していくのか。その場合にどういう形で抑えるための体制を作り、維持できるのか。もちろん地震・津波の問題もありますけれども、ずっと考えていました。
想像をしてみてください。連休の間に何十万人が動く、といった話がありますが、首都圏から3000万人の人が動くということはどういうことなのか。移った先、どこに働き口があるのか。私の母親は当時90歳でしたが、どこに避難させようか。家内の実家が岡山にあるから…とか、一個人のことから、国の機関はどうするのか、ということを考えていました。日本には戒厳令はありません。今の法体系の中だけではできません。被災地でも体の弱い人、病気の方も亡くなられました。そういう方をどうするのか。そういうことを含めて、本当に背筋が寒くなる。逃げるわけには行かないんだ、逃げるなんて選択肢はないんだ、見えない敵から逃げるわけにはいかないんだと。3月15日の東電でも、そういうことを申し上げたつもりです。
質問:小沢さんが新党を作って、鳩山さんがどうするか注目される中、菅さん自身は新しい政党をつくるアイデアはまったくないですか?いよいよ日本でも緑の党というのができましたが、「脱原発法」が認められない場合も、民主党にずっといるのですか?
菅氏:今やらなければいけないことは、民主党という責任をもっている政党が、脱原発という方向にきちんと舵をきって、国民の前に明確にすることだと思っています。そのためにやれることをやろうと活動しています。
この民主党というのは見ようによっては初めてなんです。野党から始まった政党が第一党になって、政権交代したのは初めてなんです。まだ3年なんです。色々な点で不十分な点はありますけれども、日本における二大政党制の一方をきちんと担えるようにする。野党になっても、その後、また政権を担えうる政党として、その場合の民主党はどうあるべきか、考えていきたいと思います。民主党が社会民主主義的なポジションにいて、自民党が自由主義的なポジションにいて。
脱原発ということは、これとは別に新たな問題ではありますけれども、日本で起きた事故です。日本の中で起きたこの事故を日本がどう受け止めるのか。仲間として行動する民主党は、少なくとも多くの議員が持っていると信じていますし、なんとかなると思っています。
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