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株式日記と経済展望
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最終的な責任を負うべきは、東京電力でも経済産業省の原子力安全保安院
でもなく、首相と原子力安全委員会(班目春樹委員長)である。大前研一
2012年7月26日 木曜日
◆大前研一氏 原発事故で未だ1人も処罰されぬ国は世界にない 7月23日 NEWSポストセブン
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120723-00000012-pseven-soci
原発事故は人災だった――国会の事故調査委員会(黒川清委員長)の最終報告では、事故発生後の政府・東電の危機対応の問題点に注目が集まった。だが、より本質的な事故原因についての技術的な検証はほとんどなされず、その代わりに「日本人の国民性」が事故を拡大させたとする国際世論を惹起するに至った。
元原子炉設計者である大前研一氏が、今月発売予定の新刊『原発再稼働「最後の条件」』(小学館刊)での検証などをもとに、その的外れぶりを指摘する。
東京電力福島第一原発事故を検証していた国会の事故調査委員会が報告書を発表した。しかし、その結論は、当時の菅直人首相と官邸の「過剰介入」が現場の混乱や対応の遅れを引き起こして被害を拡大した点を強調し、原子力ムラの行きすぎた内部論理が引き起こした人災であるなどとする、的外れなものだった。
そもそも、なぜ何重もの安全技術で守られていたはずの原発が今回のような事故に至ったのかという技術的・根本的な検証こそが事故調査の第一義であり、単なる“犯人捜し”で終わっては意味がない。この国会事故調の報告書が世界中に撒き散らした誤解は取り返しがつかないほど深刻なものである。
菅首相の事故対応能力や官邸の危機管理体制がお粗末で初動が遅れたのは確かだが、今回のような国民の安全にかかわる過酷事故の状況下で最終的な判断を下して責任を負うべきは、東京電力でも経済産業省の原子力安全・保安院でもなく、明らかに首相と原子力安全委員会(班目〈まだらめ〉春樹委員長)である。
なぜなら、福島第一原発事故は、発生当初から民間企業の東京電力の範疇を超えていたし、原子力を推進する立場の原子力安全・保安院が仕切るべきケースでもなかったからだ。
一方、原子力安全委員会は内閣府の審議会のひとつで、経産省などから独立した中立的な立場で国による安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関や事業者を指導する役割を担っている。このため、首相を通じた関係行政機関への勧告権など、通常の審議会にはない強い権限を持っている。つまり、今回のような事態では、原子力安全委員会の専門的な見解に基づいて首相が指揮を執るのが、本来のルールなのだ。
ということは、もし菅首相が“素人の判断”で過剰介入したとするなら、首相に正しいアドバイスができなかった原子力安全委員会に問題があったわけで、介入自体に問題があったわけではない。さらに言えば、正しいアドバイスができていれば、もっと首相が介入していなければならなかった。この点が国会事故調の最大の勘違いだと思う。
とはいえ、今さら国会事故調に指摘されるまでもなく、菅首相をはじめとする民主党政府に全く危機管理能力がなかったことは、福島第一原発事故の直後から明らかだった。メルトダウン(炉心溶融)を2か月も隠して国民に嘘をつき続け、根拠もなく広い区域に避難指示を出して損害賠償額を膨大なものにした。
溶けた燃料が圧力容器を突き抜けて格納容器の底に溜まった福島第一原発の原子炉の惨状は、まさに民主党政府の象徴だ。つまり、日本の中枢がメルトダウンしたのである。
その結果、今日の最悪の状況になったのに、未だに誰1人として責任を取っていないし、処罰もされていない。こんな国は世界のどこにもない。過酷事故が起きても責任者を特定できないところに日本の問題がある。政府は責任を曖昧にしたままで、国民は怒りの矛先を、原発そのものに向けている。それは違うだろう、と私は思う。
(私のコメント)
福島第一原発の事故は、国会の事故調査委員会における二人の責任者たちの発言から分かるように、起こるべくして起きたのだろう。専門家であるはずの斑目委員長は、事故が起きた一週間は寝ていなくてないを言ったか覚えていないそうです。保安院の院長であった寺坂氏は事故直後からいるべき現場から離れてしまった。
これでは、福島原発事故の処理を何をどうしていくかわからなくなるのは当然だ。運転の当事者である東京電力の勝俣会長は中国にマスコミ要人を連れて旅行に行っていたし、清水社長は大阪に出張していた。これでは廃炉も覚悟した重要決定が出来るはずもなく、現場は上からの指示もなく右往左往してしまった。
大事故は24時間以内の措置によって大きく変わりますが、廃炉を覚悟して最初から海水を注入するしか他に方法はなかったのだろう。緊急冷却装置も弁が閉まってしまうことを誰も知らなかった。もし稼動していれば水素爆発は防げたのかもしれない。ベントなども手動で開ける操作はマニュアルもなく一号機は水素爆発を起こしてしまった。非常事態における操作訓練が出来ていなかったことがわかる。
原子力行政は、事故が絶対に起きないという前提ですべてが成り立っており、事故が起きた場合の対策を考えると原発を設置する場所の理解が得られなくなってしまうから、原発事故は絶対に起きないと言うことが一人歩きをしてしまった。事故の危険性を指摘するものは原子力行政から外されてしまった。
事故は起きないと言う前提条件がひっくり返ってしまったのだから、当事者が何も出来なくなる事は当然であり、専門家たちも適切な指示が出せなくなり、現場は何をどうしていいのか分からなくなってしまった。外部電源も自家発電機も破壊されるようなことはテロなどを考えれば十分あるにも拘らず対策が考えていないと言うのは、学者バカと無責任官僚のせいなのだろう。
現在ある原子力発電所も、送電線を破壊して自家発電機の配電盤を爆破してしまえば、使用済み燃料棒も含めて大爆発をする事が分かってしまった。最悪の場合は東京も3000万人が避難しなければならないような状況もありえた。原発本体は安全でも使用済み燃料棒が、あのような危険な場所に原発建屋のなかに保管されていると言うのは、どう考えても危険だ。
原子力発電所は、いったん大事故が起きれば半径数十キロが人が住めなくなるのだから、安全対策は十分に行われていなければならなかったのですが、地震や津波なども対策らしい対策が出来ていなかった。本体は大丈夫でも配管が30年も経てば劣化して全部交換しなければならなくなる。ビルやマンションなどの上下水の配管も30年経てば腐食して交換しなければならないのと同じだ。
結論的に言えば原発は30年経ったら廃炉にすべきであり、どのように原発を解体するかも想定した設計がなされるべきですが、現在でも解体するのにどれくらいの期間と費用がかかるのかも計算されていない。火力発電所なら数億円で1ヶ月で解体することが出来る。しかし原発を解体するには数兆円かかるかもしれない。
「株式日記」では原子力発電所は国営にせよと主張してきましたが、民間の電力会社では、斑目委員長が言っていたように一番低い安全基準でいいいように引きずられてしまう。電力会社は資金力で原子力保安院や原子力安全員会を骨抜きにしてしまう。その結果が福島第一原発の事故につながった。アメリカでは実質的には軍が管理しているし、フランスでは国が管理している。いったん大事故が起きれば電力会社では対処できないからだ。
電力会社には原子力の専門家がいるわけではなく、単なるオペレーターがいるだけだ。しかも弁の操作も出来ないようなオペレーターでは意味が無いのであり、現場における人材の質もかなり低下していたのだろう。私自身もビルの管理をしているわけですが、停電事故が起きても事故原因がどこにあるかを見つけなければなりませんが、電気の専門家でなければ分からない。
私のビルでも一階のテナントから停電で大元のブレーカーが落ちるのですが、水で掃除する時にコンセントに水をかけていたり、自動ドアの配線が擦れて漏電したりと、その度に私のところにクレームが来るが、私自身が電気工事士であり、すぐに原因が分かった。原子力発電所にはこのように専門家がいなければなりませんが、素人の集まりに近くて適切な手が打たれなかったことが大事故になったのだろう。
国の政治でも同じであり、素人同然の国会議員が大臣になっているから官僚に実権が移ってしまう。しかし官僚も専門家ではないから専門的なことが分からない。日銀もようやくインフレターゲット政策を受け入れたようですが、私は元銀行員であり、零細な不動産経営者だから、金融も経済の事も財務省のバカ官僚よりかは現場の事が分かる。そうでなければとっくに私の会社は倒産しているだろう。
◆「私は事務系」 「どういう助言をしたか、覚えていない」発言したのは、原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長と原子力安全委員会の班目春樹委員長である。 2012年2月19日 株式日記より
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/cad8a81d6a0d2b604a5bfa568678877b
(本日の私のコメント)
大前研一氏の記事と共に2月19日の私のコメントを再掲載させていただきましたが、国会の事故調査委員会の最終報告では「日本人の国民性」が事故を拡大させたと結論付けてしまった。これでは事故原因の追求にはならないのであり、最終的には菅総理大臣にあり、専門家である原子力安全委員会(班目春樹委員長)に最終責任がある。
しかし未だに国家的大災害を人災と確定していながら、斑目原子力安全委員長や寺坂原子力安全保安院長や東京電力の清水社長や勝俣会長が東京地検に起訴される気配も無い。当事者達は「想定外」の言葉を連発して責任を逃れようとしていますが、大東亜戦争で負けたのも「想定外」とすれば誰も責任を負わなくて済む事になる。
福島第一原発も最初から適切な手が打たれていれば、メルトダウンや水素爆発は防げたのではないかと思う。しかし政府は当時の議事録などを取っていなかったと隠蔽してしまったから当時の状況がよく分からない。今から菅元総理に聞いたところで自己弁明しかえられないだろう。斑目委員長もなにを言ったか思えていないと惚けてしまった。
大東亜戦争の当事者達も、ほとんど何も語らずに東京裁判でも弁護側の証言申請はほとんどが却下されてしまって真相はかえって分からなくなってしまった。生き残った当事者達も欧米の政治家や軍人達のような回顧録も極めて少ない。私はナチスドイツ軍の将官たちの回顧録などを多く読んだが、このような記録を残してくれなければ後世の歴史研究家も手がかりがなくなってしまう。
戦後においても歴代の日本の総理大臣でも、回顧録を残している人は極めて少ない。何をどういう意図でそうしたかは本人の証言で無ければ分かりませんが、それだけの能力のある総理大臣が少なかったのだろう。国会の事故調査委員会が指摘する「日本人の国民性」とは、何も語らない事で自分の責任を回避しようとする意図が見え隠れする。
歴史的事実を評価する事はきわめて難しい。資料が無ければもっと難しく、第三者が勝手な憶測で評価すれば、米内光政や山本五十六など第一級の戦犯が「反戦の為に尽くした正義の海軍」と言った神話が作られてしまう。特に山本五十六の真珠湾先制攻撃はルーズベルト大統領が最も切望したものだった。しかし当時の政治家や陸軍や海軍の最高幹部が残した記録は無い。例外は東京裁判の記録ですが公正さを欠いたものであり、証言の機会も一回しか許されなかった。
福島第一原発事故も、当時の官邸や対策委員会などの記録は残されなかったとして公開されず、今後の対策にも生かすことが出来ない。大前氏の記事にもあるように、大災害が起きてしまえば東電で対処できる事故ではなく国家ぐるみで対応しなければなりませんが、「国策民営」と言うシステムそのものに欠陥があるのだ。原子力発電所は国家が管理すべきであり、東電などの民間会社では利益が優先されて安全対策は後回しにされてしまう。
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