http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/839.html
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【細野豪志環境・原発事故担当相】(前総理大臣補佐官)のヒアリング
実施日:2011年11月19日
一般財団法人日本再建イニシアティブ
http://rebuildjpn.org/wp/wp-content/uploads/2012/07/caf31a5549cbe68b6ab0e1855a765905.pdf
民間事故調の細野氏に対するヒアリング内容から、この間いくつか行った投稿に関連する部分を抜粋し検討する。
1) 3月14日から15日にかけての「東電撤退騒動」
「“福島第一原発事故の最大危機”で「総員撤退」に踏み切ったのは、東電ではなく、自衛隊だった!」(http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/833.html):
福島市内のオフサイトセンターにいた自衛隊は、14日の20:56時点で、「第1原発2号機が危険な状態のため、全員オフサイトセンターから郡山駐屯地に移動」した。
福島市は福島第1原発から60km以上も離れている。それでも、中央特殊武器防護隊の隊員までを含む自衛隊員が避難しなければならない事態が差し迫っているのだから、政府は、東電が撤退を申し出る前に、東電に対し、必要最低限の人員を残して一時的に退避するよう指示するのが当然の責務である。
引用する細野氏の話が真実なら、政府は、東電から撤退云々の話を聞いた時点で、自衛隊が福島市から総員撤退したことを知っているわけで、その話を抜きに東電撤退問題を論じることはできないはずである。
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P.18(PDFファイル19ページ)
司会 次の質問です。東京電力撤退の意向を細野補佐官が最初に聞かれたのは、いつ、だれからでしょうか。
細野 時間はですね、本当にここは14日から15日にかけての非常に緊迫した状況でしたので、ちょっと記憶が、日付が変わっていることもあってはっきりしないんですが、14日の夜から15日の未明にかけて経産大臣のところに電話がありました。私もすぐ近くにおりましたので、経産大臣がそういう電話を受けたということは聞いておりました。
海江田経産大臣の受けとめ方は、撤退をしようとしている、撤退の希望が伝えられたということでしたので、そのときに初めて聞きました。
その数時間後だったでしょうか、私のところにも電話が入ったんですけれども、私に電話が入った時点で、これは私への話ではなくて総理への伝言だろうというふうに思いましたので、私はその時点で海江田大臣が撤退はあり得ないという話をしているのを知っていましたので、取り次ぎませんでした。電話にも出ませんでした。
司会 ありがとうございます。これは清水社長からですね。
細野 私にだれから電話があった……、あ、そうですね、清水社長から。私に電話があったのは清水社長からだというのを聞いて、私は電話には出なかったということです。
P.19〜20(PDFファイル20〜21ページ)
司会 これは、そうすると統合対策本部の設置というのを決めたのは、つまり東京電力が撤退を言ってきた、そう少なくとも受けとめた、その後なのか、それともその前からそういうものをつくらなきゃだめだということがあってやったのか、そのときに法的根拠についても議論してそういう決断をしたのか、そこはどうなんでしょう。
細野 これは総理の、もう個人の判断です。本当に私はその判断には驚きました。撤退話が総理の耳に入ったのが15日の3時ごろなんですけれども、その時点で清水社長をここに呼ぶようにという指示が総理からあって、清水社長に来ていただきました。その場で総理は、撤退はあり得ないということを言って、その場で統合対策本部をつくると。今から政府が東京電力を乗り越えるからそれでいいなと、清水社長に言ったんですね。
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