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前書きからいって、本来なら夕方に投稿したものに含まれていなければならないものだが、気が重くなり先送りさせてもらった。前回からの続きとしてお読みいただけば幸いである。
■ 福島第一の東電関係者ではなく自衛隊がオフサイトセンターから「総員撤退」
自衛隊に限らず、米軍であれ、人民解放軍であれ、軍事組織は、国民の生命と財産を守るという建前とは違い、国家機構=支配層を守るために存在すると思っているから驚きはしないが、今回の福島第一事故でも、それに類する動きが見られたことはけっこうなショックである。
● 自衛隊が14日夜9時前に「総員撤退」を決めたワケ
3.11絡みの自衛隊の動きに関する記述で何より引っかかったのは、3月14日夜のものである。
自衛隊は、14日20:56に「第1原発2号機が危険な状態のため、全員オフサイトセンターから郡山駐屯地に移動」している。
※ 誤字もあったので、この投稿の末尾に自衛隊の動きを時系列でまとめたものを再掲する。
福島第一原発は、山側に設置してあった空冷式非常用ディーゼル発電機でなんとか冷却が続いた5、6号機を除くと、14日夕方の時点で、1号機はメルトダウン→メルトスルー→水素爆発、3号機もメルトダウン→メルトスルー→水素爆発という破局に至っていた。
この時点で、事故対応の中心は、原子炉としては2号機である。
それと並んで緊急な対応が求められたのが、共用プールを含む使用済み核燃料プールの冷却である。
なかでも、原子炉から取り出してほどないものも含む10万本以上の核燃料棒が浸かっている4号機の使用済み核燃料プールは、世界と言ってもいいが、日本中の人々にとんでもないレベルの被曝をもたらし、東日本全体が居住不能地域になるほどの放射性物質を大気中に放出する破滅的危機に向かっていた。
4号機使用済み燃料プールの水温は、14日04:08時点で84度に達していた。
膨大な崩壊熱が出ている4号機燃料プールは、全電源が停止した11日15:36から60時間30分ほどで水温が84度になったのだ。
全電源が停止した時点の水温を35度と仮定すると、60時間30分で49度の上昇だから、1時間あたり0.8度ずつ上昇していることになる。大気圧で水が沸騰する100度に達するまで20時間、つまり15日深夜0時頃である。
2号機の原子炉は、14日昼過ぎにRCIC(原子炉隔離時冷却系)が停止し、メルトダウンを防ぐため、消火系で注水を行えるようSR弁開操作行われ、19:03にようやく消防ポンプの水圧で注水ができる10気圧未満(ゲージ圧で0.63MPa)まで減圧ができた。
※ 2号機のメルトダウン問題は、「「SR弁」・「配管漏れ」・「物資調達」を持ち出したNHK「メルトダウン連鎖の真相」のマヤカシ度やデタラメ度を検証」の(後編)で別途説明させていただく。
自衛隊が、「第1原発2号機が危険な状態のため、全員オフサイトセンターから郡山駐屯地に移動」を始めた14日20:56時点の福島第一原発は、このような状況だったと言えるだろう。
自衛隊が福島市から郡山市に移動する理由は、“第1原発2号機が危険な状態”だからである。
とはいえ、福島第一原発から福島市までは60km以上離れている。
もっと言えば、3号機で水素爆発が起きる可能性という“第1原発3号機が危険な状態”だった13日でも、自衛隊はどこかに避難するという動きは見せていない。
さすがに、13日17:57に「福島原発で空中散水を目的とした放射線モニタリングを16:15から実施する予定だったが、3号機の水素爆発の危険性を考慮し、モニタリング及び空中散水を一時中止」いう動きはしている。
しかし、福島第一から10数kmしか離れていない福島第2原発では、17:57「空自給水車両10両が福島第二原発に到着、作業開始(20:28作業終了)」とか、01:30「空自による福島第二原発での給水作業(第2回目)開始(05:00終了・06:45給水活動・10:27冷却水注入)」といった事故対応の活動を行っている。
また、21:40から「中央特殊武器防護隊10名が川俣町体育館で住民100名に除染支援(〜01:00) 」を担っている。
このような経緯を考えると、わざわざ60kmも離れた福島市から郡山市に移動する決定を下したのだから、14日20:56に防衛省並びに政府が考えていた“第1原発2号機の危険な状態”は、3号機の水素爆発を超えるレベルのものでなければならないはずだ。
今でこそ、2号機の格納容器もしくは圧力抑制室の損壊が福島第一原発事故で最大量の放射性物質を大気中に噴出させたとわかっているが、14日夜の時点でわかるわけがない、というより、わかっていれば防げたことだから、わかっていなかったはずなのである。
14日の夕方から夜にかけて2号機の行く末について判断したとしたら、1号機や3号機と同じ水素爆発であるはずだ。
NHKが提示した2号機のメルトダウンは14日19:01だから、郡山に移動する決定を下した時点で2号機のメルトダウンを知っていた可能性はある。
ここで取り上げる自衛隊の「総員撤退」問題は、これから何が起きると考えたからそう判断したのかといったことは本質に関わらないと考えている。
なぜかという根拠は示してもらいたいが、2号機が大々的に爆発すると考えていたということでも問題は同じだが、私の推論を述べておきたい。
自衛隊が郡山駐屯地に「総員撤退」を決めたのは、危機的状況に陥っている4号機の使用済み燃料プールに注水ができる条件を作り出すための“緊急避難的爆破作業”で大量の放射性物質が放出される恐れがあったからだと思っている。
東京新聞は、今年3月12日付朝刊で、南相馬市防災安全課係長大石雄彦さんの話を記事にしている。
その内容は、「驚いたのは、十四日のことです。夜十時ごろ、防護服を着た自衛隊員が小走りで庁舎に入ってきて「原発が爆発するから、百キロ以上離れて」って大声で説明しはじめたんです。最初、何のことか理解できませんでした。自衛隊はすぐに、隊列を組んで避難していきました。庁舎には市民も大勢いて「どうなってるんだ」と叫ぶ。一斉に飛び出していきました。でも、私たち職員は避難してくる人もいるし、離れるわけにはいかなかった」というものである。
官邸レポートには、14日20:56に福島市から「総員撤退」で郡山市に移動を始めたことは記述されているが、14日の夜10時頃、周辺自治体に対し、「原発が爆発するから、百キロ以上離れて」と自衛隊が説明に回ったことは記述されていない。
福島第一原発から南相馬市までは25kmほど離れている。この時点で出されている避難指示は20km圏だから、南相馬市の防災安全課係長大石雄彦さんが言われるように、「避難してくる人もいるし、離れるわけにはいかなかった」と言える場所なのである。
核爆発だと主張するものもいる3号機の水素爆発でも、自衛隊は、それが起こる可能性がある時間帯でも、10kmほどしか離れていない場所で事故対応の活動を続けていた。
そうでありながら、60km以上離れた福島市にいた部隊までが総員撤退し、避難指示も何も出ていない25kmほど離れた南福島市の責任者に「百キロ以上離れて」と大声で説明させる予測とはどういうものだったのだろうか?
(菅前首相が20〜30km圏の住民に屋内退避を指示したのは15日11:00である)
● 3号機の水素爆発予測に続き、再び“住民は見殺し”という政府の対応
60km以上も離れた場所にいた自衛隊が、「第1原発2号機が危険な状態のため」という理由で、郡山市に総員撤退を行った。
そうであるなら、建前で言えばより優先されるべき住民は、それより先に、避難の指示や避難の支援を受けて当然である。
しかし、3月12日夕方に出された「半径20km圏住民に対する避難指示」以降、3号機の水素爆発予想もありながら、新しい避難指示は出ていないのである。
少し前に書いたが、その後に出た避難絡みの指示は、2号機が放射性物質を膨大に噴出した15日午前の「20〜30km圏住民への屋内退避指示」なのである。
米国政府は、自国民に福島原発から80km(50マイル)圏から退去するよう勧告した。
政府が、100万人規模になる避難に恐れをなしたことは想像できるが、それでは、政府が自身の役割を放棄し棄民政策を採ったと非難されても弁解のしようもない。
次の項で説明するが、自衛隊の動きそのものが証明しているように、100万人規模の避難がムリだとしても、より効果的に被曝を減らす避難指示はできたのである。
こういう政府が、福島及び東北・北関東の広い地域で農地が思うように活用できない状況にあるのにTPP参加を決め、農家や地場産業・一般商店そして低中所得者が最大の打撃を受ける消費税増税をやろうとしているのである。
● 自衛隊の“総員撤退先=郡山”はSPEEDI的データを活用した結果と推定
14日夜まで自衛隊がいたオフサイトセンターは、福島市に存在する福島県庁だから、福島第一原発からは60Km以上離れている。
興味を引くのは、危険だからといって移動する郡山市(駐屯地は郡山市役所の西方)が、福島市より直線距離で福島第一原発まで数km近いことである。
何も情報がなければ、“第1原発2号機の危険な状態”に備えて避難するとしたら、距離的により遠い場所に避難するはずである。
私は15日午後に東京から西に“撤退”したが、その後の情報でずっと気になっていたのは、文科省が設置したMP(モニタリングポスト)の値であった。とりわけ、MP31・MP32の放射線量の高さに怯えていた。
昨年5月頃には明らかにされたが、福島第一原発から放出された放射性物質の地面への降下は、3月15日から22日のあいだに集中している。
ということは、大量の放射性物質が降下した地域にとどまっていた人や間違ってそこに逃げ込んだ人も、大量の被曝に見舞われたことを意味する。
既に避難対象地域になっていた20km圏を除くと、15日早朝から22日にかけて放射性物質が大量に降下した地域は、浪江町西北部・葛尾村西部・飯舘村・川俣町・二本松市東部・伊達市南部・福島市東部とされている。
このような分布は、ご存じのように風向きと地形によるものである。福島第一2号機を中心に噴出された放射性物質は、風に乗って北西方向に流れ、60km以上も離れた福島市内にも濃い放射性物質を含むゴミを降らしたのである。
既にお気づきで説明する必要もないと思うが、福島第一原発から直線距離では福島より近い郡山に撤退した自衛隊は、風向きなどの要素を含むSPEEDI的解析で、相対的に遠い福島にとどまるより、少し近くはなるとしても郡山に移動したほうが“より安全”だと判断したのである。
前項で少し述べたが、自衛隊が福島市にいるより郡山に逃げたほうがより安全だと判断した情報を利用することで、浪江町西北部・葛尾村西部・飯舘村・川俣町の住民が“大量被曝の危険”に晒されることがわかり、それらの住民だけを郡山や会津などに避難させることもできたのである。
そして、15日以降も放射性物質が大量降下した地域に避難し、そこにとどまり続けることで大量被曝するという痛ましい出来事も避けられたのである。
このような国民の健康と安寧を顧みない政府だからこそ、電力が足りないというウソをまき散らしながら(国民を脅迫しながら)、福島第一の事故原因や事故対応の不備さえわからない段階でも、平気で原理的にない原発の安全性をぶち上げることで、原発の再稼働に踏み切れるのである。
来年の夏までには総選挙が実施される。脱原発と消費税増税反対を掲げる政治勢力には、対象政策を絞り込んだ選挙協力でなんとしても多数派を形成してもらいたいと強く願っている。
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※ 3.11以降の自衛隊の活動状況と政府が出した避難関係の指示
【防衛省(自衛隊)の事故対応】
[3月11日]
18:45 福島の44普通科連隊の80名が福島第一原発のオフサイトセンターに向け出発
(※ このオフサイトセンターは、F1から5kmほどの場所にあったが機能できなかったことから、代替となった福島市の県庁と思われる)
◎19:03 原子力緊急事態宣言発令
19:30 原子力災害派遣命令を受け、大宮駐屯地の陸上自衛隊化学防護車を福島第一に出動
◎20:50 福島県対策本部がF1−1号機の半径2km圏住民に避難指示
◎21:23 首相がF1から半径3km圏住民に避難指示と半径10km圏住民に屋内退避指示
22:15 自衛隊80名が現地到着(※ 18:45に出発した44普通科連隊と思われる)
[12日]
03:35 中央特殊武器防護隊(朝霞)の先遣隊2名がオフサイトセンターに到着
04:50
・ 中央特殊武器防護隊(朝霞)の主力約22名と車両7両がオフサイトセンターに前進中
・ 44普通科連隊約50名が原発地域で電源運搬支援を実施
・ 44普通科連隊約50名がオフサイトセンター周辺で救護活動を実施
・ 第6化学防護隊(郡山)の約10名が駐屯地を出発
・ 中央特殊武器防護隊の主力約90名前進準備中
◎5:44 首相指示により福島第一原発10km圏内に避難指示
06:48 東北方面の約100名と車両50両がオフサイトセンター到着
◎07:11 菅前首相がヘリで福島第一原発視察(到着)
◎07:45 首相が福島第二原発半径3km圏住民に避難指示、半径10km圏住民に屋内退避指示。
08:30
・ 中央特殊武器防護隊の車両7両(化学防護車4両を含む)がオフサイトセンター到着
・ 第6化学防護隊(郡山)の8名が駐屯地を出発
○15:36 1号機水素爆発
17:35 自衛隊ヘリ7機が10Km圏内に取り残されている人たちの救出に向かう。
◎17:39 首相が福島第二原発半径10km圏住民に避難指示
◎18:25 首相が福島第一原発半径20km圏住民に避難指示。
21:14 航空自衛隊輸送機が冷却タービンを空輸
23:36 航空自衛隊航空機がヨウ素剤などの物資空輸(木更津発)
[13日]
08:05 原発冷却水支援の水タンク車9台が四倉町(いわき市)到着
09:25 福島県の要請で陸自12旅団第12化学防護小隊が二本松に除染所開設
15:00 オフサイトセンターに80名を派遣
17:57
・ 福島原発で空中散水を目的とした放射線モニタリングを16:15から実施する予定だったが、3号機の水素爆発の危険性を考慮し、モニタリング及び空中散水を一時中止
・ 空自給水車両10両が福島第二原発に到着、作業開始(20:28作業終了)
21:40 中央特殊武器防護隊10名が川俣町体育館で住民100名に除染支援(〜01:00)
[14日]
01:30 空自による福島第二原発での給水作業(第2回目)開始(05:00終了・06:45給水活動・10:27冷却水注入)
09:42 安全性の確保ができたためポンプ車両7両で第1原発3号機に向かう
○11:01 3号機水素爆発(※ レポートには未記載だが隊員4名が負傷)
20:56 第1原発2号機が危険な状態のため、全員オフサイトセンターから郡山駐屯地に移動
[15日]
○06:10ころ 2号機圧力抑制装置損壊&4号機建屋火災
◎11:00 首相が福島第一原発半径20〜30km圏の住民に屋内退避を指示
13:05 福島医大の要請で、防衛省の除染設備の輸送手続き中
14:20 福島県庁で中央特殊武器防護隊27名が除染支援を実施(〜16:46)
15:52 冷却水を注入するために必要なポンプの燃料を福島第二原発に輸送完了
22:20 福島医大病院に中央特殊武器防護隊15名で除染所を設置
※ 3月16日以降の住民への対応
[3月28日]災害現地対策本部から関係市町村に対し20km圏内の避難地域への立入禁止を通知。
[4 月21日]首相が福島第二原発関係の避難指示範囲を半径10km圏から半径8km圏に変更するよう指示。
[4 月21日]首相が福島第一原発20km圏を警戒区域とし、緊急事態応急対策に従事する者以外に対し、市町村長が一時的な立入りを認める場合を除き、当該区域への立入禁止と当該区域からの退去を指示。
[4 月22日]首相が、福島第一原発から20〜30km圏の屋内退避を解除すると同時に、計画的避難区域及び緊急時避難準備区域を設定、当該区域内における避難のための計画的な立退き若しくは常に緊急時に避難のための立退き又は屋内への退避が可能な準備を居住者等が行うよう指示。
[5 月15 日]この日より、飯舘村及び川俣町において町村の斡旋する移転先への計画的避難が開始。
[6月30日]原子力災害現地対策本部は、福島県及び伊達市との協議を踏まえ、伊達市の104 地点(113 世帯)に対し「特定避難勧奨地点」を設定。
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