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「核は制御できるのか」 名古屋本社論説主幹・深田実氏 2012/07/24(東京新聞)
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11310528541.html
2012/07/24(東京新聞) :平和ボケの産物の大友涼介です。
福島の原発事故をめぐる四つの調査報告が出そろった。しかし、これで事故原因が分かったという人は少ないだろう。逆に調べれば調べるほど、果たして核は人間の手に負えるのかという疑問にぶつかるのではないか。
まず過去の事例を見てみよう。
一九七九年、炉心溶融を起こした米国スリーマイル島原発事故では、運転員のミスがまず指摘された。しかし、周りの警告ランプが一斉に点灯する中で、何が進行しているかも分からず右往左往する運転員のことを最新技術は考えてもいなかった。
その七年後、当時ソ連のチェルノブイリ原発で起きた事故でも運転員の違反操作が第一の原因とされた。しかし、あとで原子炉自体に暴走の可能性があったと報告された。欠陥は隠されていた。
これらから導かれることは巨大科学には見落としが起きやすいという事実。あるいは人間が行う以上、科学技術は完璧ではないという単純だが信じたくない真実かもしれない。
福島の事故の四つの報告書は、簡略化すれば以下のようになる。国会事故調は人災といい、民間事故調は津波の備えへの不十分さ、東電社内調査は想定以上の津波の高さを挙げ、政府事故調は津波・原発事故の複合災害への視点の欠如を述べた。
しかしながら、どれも原因に肉薄してはいない。
人災にせよ天災対策の不備にせよ、だれが何をどう誤ったのかが解明されねばならない。そのうえで、なぜ誤ったかはやっと見えてくるのだ。そこにはスリーマイル島事故のような技術的欠陥が潜んでいるかもしれないし、チェルノブイリ事故のように政府とか人間の組織とは都合の悪いことを隠したり、そもそも過ちを犯すものなのかもしれない。
だが忘れてならないのは、原発の危険性は、飛行機や車や工場のそれとはまったく違うということだ。核の扱いは絶対の無謬(むびゅう)を求められる。
世界では四百を超す原発が動いている。日本も世界も知りたいのは、人類は本当に核を制御できるのかということではないか。核のごみはたまり続けるばかりだ。
技術立国日本で起きた事故の調査報告とは、そういう根源的な問いにも答えられるほどの内容であってほしい。そうでなければ事故は再び起きる。事故調査を終わらせるわけにはゆかない。
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