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「耐震」「安全」 残った疑問 政府事故調最終報告
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012072402000095.html
2012年7月24日 東京新聞 朝刊
東京電力福島第一原発事故で政府の事故調査・検証委員会が二十三日に公表した最終報告は、津波が事故の直接的な原因と結論付けた。国会、民間、東電と合わせ、主要な四つの事故調が出そろったが、本当に地震による影響はなかったのか、なぜ原発の安全規制は十分機能しなかったのか、今ある原発はどうすればいいのか、などの疑問に明確な答えを示せなかった。
例えば、原子炉の冷却水をためるタンクや周辺の配管は、現状の耐震性能のままでいいのかという疑問。
福島第一には四つのタンクに計二万トンの真水が蓄えてあったが、地震でタンクや配管がゆがみ、使えなくなった。原発敷地内の立て坑に津波による海水がたまっていたため、これをくみ出して原子炉の冷却に使えたが、この海水がなければ事態はもっと悪化していた可能性が高い。
政府事故調の最終報告は経緯だけを紹介した。タンクなどは主要設備と見なされず、一般の建物と同じくらいの耐震性しかない。これを、原子炉建屋などのように建築基準法の三倍の強度をもたせたり、揺れを受け流す構造にしたりすれば、水は目の前にあるのに使えない事態は防げるはずだが、具体的にどうすべきかまでは踏み込まなかった。
最大の汚染源とされる2号機で排気(ベント)がうまくいかなかった問題では、地震の影響で排気弁が動かなかった疑いが浮上している。
専門家からは「排気弁は空気を送って開けるが、弁までの配管は一般の建物と同じくらいの耐震性しかない。揺れで壊れ、排気弁を動かす空気が送れなかった可能性がある」との指摘が出ている。
もし、そんな可能性があるなら、他の原発に同じような弱点はないのか、見直し勧告が出されてもいい。しかし、政府事故調は弁を動かす空気圧が不足したとの見方を示したものの、なぜそうなったのか原因を追究しようとしていない。
本文四百四十八ページの報告書は、中途半端な指摘が目立った。約八十ページを割いた「総括と提言」「委員長所感」も漠然とした指摘が多く、「(被ばくを抑える)安定ヨウ素剤を各自治体の判断で服用させる仕組みが必要」といった具体的な提案はわずかだった。
◆国民の監視必要
エネルギー総合工学研究所の内藤正則部長(原子力安全解析) 報告書には、さまざまなことが書かれているが、あいまいさが残る表現を多用している。物事は白黒はっきりつくことばかりではないが、もっと事実をクリアに伝えてほしかった。断定を避けているため結果的に分かりにくい内容になってしまった。四つの事故調査委員会の報告書が出そろったが、地震による損傷は本当になかったのか、2号機からの放射性物質の大量放出はなぜ起きた−などの問題は積み残された。国や東京電力の継続的な調査がなおざりにならないよう国民が監視できる仕組みが必要だ。
◆核は制御できるのか 名古屋本社論説主幹 深田 実
福島の原発事故をめぐる四つの調査報告が出そろった。しかし、これで事故原因が分かったという人は少ないだろう。逆に調べれば調べるほど、果たして核は人間の手に負えるのかという疑問にぶつかるのではないか。
まず過去の事例を見てみよう。
一九七九年、炉心溶融を起こした米国スリーマイル島原発事故では、運転員のミスがまず指摘された。しかし、周りの警告ランプが一斉に点灯する中で、何が進行しているかも分からず右往左往する運転員のことを最新技術は考えてもいなかった。
その七年後、当時ソ連のチェルノブイリ原発で起きた事故でも運転員の違反操作が第一の原因とされた。しかし、あとで原子炉自体に暴走の可能性があったと報告された。欠陥は隠されていた。
これらから導かれることは巨大科学には見落としが起きやすいという事実。あるいは人間が行う以上、科学技術は完璧ではないという単純だが信じたくない真実かもしれない。
福島の事故の四つの報告書は、簡略化すれば以下のようになる。国会事故調は人災といい、民間事故調は津波の備えへの不十分さ、東電社内調査は想定以上の津波の高さを挙げ、政府事故調は津波・原発事故の複合災害への視点の欠如を述べた。
しかしながら、どれも原因に肉薄してはいない。
人災にせよ天災対策の不備にせよ、だれが何をどう誤ったのかが解明されねばならない。そのうえで、なぜ誤ったかはやっと見えてくるのだ。そこにはスリーマイル島事故のような技術的欠陥が潜んでいるかもしれないし、チェルノブイリ事故のように政府とか人間の組織とは都合の悪いことを隠したり、そもそも過ちを犯すものなのかもしれない。
だが忘れてならないのは、原発の危険性は、飛行機や車や工場のそれとはまったく違うということだ。核の扱いは絶対の無謬(むびゅう)を求められる。
世界では四百を超す原発が動いている。日本も世界も知りたいのは、人類は本当に核を制御できるのかということではないか。核のごみはたまり続けるばかりだ。
技術立国日本で起きた事故の調査報告とは、そういう根源的な問いにも答えられるほどの内容であってほしい。そうでなければ事故は再び起きる。事故調査を終わらせるわけにはゆかない。
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