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クローズアップ2012:政府事故調最終報告書 2原発、注水対応に差 第1、代替確認せず
http://mainichi.jp/opinion/news/20120724ddm003040110000c.html
毎日新聞 2012年07月24日 東京朝刊
世界最悪級となった東京電力福島第1原発事故。これまでの各種の調査で、「安全神話」にとらわれた東電や政府の備えの甘さが指摘された。事故対応や避難指示の経過などを詳細に検討した政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)が23日に公表した最終報告書は、被害を軽減できた可能性を強くにじませた。「原発を運転する覚悟があったのか」。最後となった同日の会合で、委員は東電などを批判した。【西川拓、岡田英、奥山智己】
「個人的な見解だが、福島原発の事故は、自然災害を想定した範囲でしか起こらないと勝手に決めて、原発を運営した結果だと思う。より良い対処はあった」。23日の記者会見で、政府事故調の畑村洋太郎委員長は調査を振り返り、東電の姿勢を問題視した。
政府事故調は、福島第1原発とその南に約10キロ離れた第2原発の事故対応を比較。第2原発も最大約16メートルの津波に襲われて全域が浸水したが、なぜ炉心溶融を免れ被害拡大を防ぐことができたのかを探ったところ、両原発の命運を分けた鍵が2点あった。
第2原発では、原子炉に注水できなくなる不測事態を懸念し、次の代替注水装置が使えるかを早い段階で試して確認していた。また、注水には高圧になった内部を減圧する必要があるため、減圧操作に支障がでないよう、圧力抑制室の水温と圧力を継続して監視していた。その結果、注水は途切れなかった。運転員は事故調の聴取に、「そうした準備は当然」と証言した。
これに対し、昨年3月14日に水素爆発した第1原発3号機では、運転員が13日未明、バッテリーで動く冷却装置「高圧注水系(HPCI)」を手動で止めた。この時、次の注水手段が確保できているかを確認せず、必要な減圧操作にも失敗。6時間以上注水が中断した。
2号機では、事故発生から14日朝までの約2日半、圧力抑制室の水温と圧力を測っていなかった。その間に原子炉は高温高圧になり、減圧操作に手間取り、次の代替注水に切り替えるまでに約7時間かかっていた。
第2原発では外部電源が生き残り、運転員に心理的な余裕があったとみられるのに対し、第1原発は全電源を失って真っ暗な中で作業を強いられていたが、最終報告書はその差を踏まえても第1原発の対応は「適切さを欠いた」と断じた。
東電の松本純一原子力・立地本部長代理は最終報告書を受け、7月23日の記者会見で「指摘は真摯(しんし)に受け止めたい」と語った。
◇SPEEDI「活用の発想なく」
政府事故調は、住民への避難指示や放射線モニタリング態勢、情報発信など、事故の影響拡大を防ぐための政府の対応にも疑問を呈した。特に、放射性物質の拡散を予測するために約124億円が投じられた緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)について、「関係機関が避難に活用する発想を持ち合わせていなかった」と批判した。
SPEEDIを巡っては、今月5日に公表された国会の事故調査委員会の報告書で、原発からの放出量や時期などのデータがなく「初動の避難に活用することは困難だった」とされた。内閣府原子力安全委員会も防災対策の柱から外す指針を3月にまとめている。
しかし、政府事故調は、データがなくても放出量を仮定した計算で放射性物質が流れる方向を予測できたことを重視。「予測情報が提供されていれば、自治体や住民はより適切に避難のタイミングや方向を選択できた」と結論づけた。
例えば、昨年3月15日は、福島第1原発の正門付近で毎時10ミリシーベルト前後の高い放射線量が観測され、午前11時に原発から半径20〜30キロの住民に屋内退避指示が出された。自主避難する住民も多かった。SPEEDIでは16日未明まで陸上に放射性物質が流れると予測された。16日午前7時以降は東の海方向に流れる予測だったため、「これ以降に避難すれば被ばくを最小限にできた」と分析した。一方、15日夕に避難を始めた福島県南相馬市や浪江町の住民は、避難経路が放射性物質の拡散方向と重なった可能性があると指摘した。
また、予測結果の公表について、15日に文部科学省で政務三役が協議したが具体的な決定はされなかった▽3月下旬から政府内で情報公開請求があった場合の対処方針が話し合われた−−ことなどが明らかになったが、4月下旬まで公表が見送られた経緯は解明できなかった。同県川俣町長でもある古川道郎(みちお)・政府事故調委員は「足りない面がたくさんある。引き続き検証してほしい」と話した。
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◆避難指示を巡る主な経緯
(いずれも2011年、肩書は当時)
◇3月11日
14時46分 東日本大震災
15時42分 福島第1原発が津波で全交流電源喪失
16時49分 SPEEDIで放出量を仮定した拡散予測計算を開始
19時 3分 原子力緊急事態宣言
21時23分 政府が半径3キロ圏内の避難、同10キロ圏内の屋内退避を指示
◇12日
1時30分 SPEEDIの計算結果が首相官邸地下のスタッフに届くも、首相に伝えられず
5時44分 避難指示を半径10キロ圏内に拡大
15時36分 1号機が水素爆発
18時25分 避難指示を半径20キロ圏内に拡大
◇14日
11時 1分 3号機が水素爆発
15日
6時14分 4号機が水素爆発
11時00分 半径20〜30キロ圏に屋内退避指示
◇23日
21時 SPEEDIの計算結果を一部公表
◇25日 安全委が20〜30キロ圏も自主避難が望ましいと助言
◇30日 国際原子力機関が飯舘村で高線量を計測と発表
◇4月22日 20キロ圏内を警戒区域に。計画的避難区域、緊急時避難準備区域を設定
◇5月3日 SPEEDIの全計算結果を公表
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