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7月16日、代々木公園の「さようなら原発10万人集会」に集まった人々〔PHOTO〕gettyimages
それぞれが自由に集まり、整然と帰っていく「個人」の力 〜代々木公園「さようなら原発10万人集会」で感じたこと
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33032
2012年07月18日(水)長谷川 幸洋 :現代ビジネス
反原発運動が高まりをみせている。毎週金曜日の午後6時から始まる首相官邸前の抗議行動は、当初数百人だった参加者が最近では毎回1万人を超す規模に膨れあがっている。7月16日に東京・代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」には、主催者発表で17万人が集まり、反原発の声を上げた。
昨年3月11日の東日本大震災と福島原発事故から1年4ヵ月が過ぎたが、反原発の抗議行動は衰えるどころか、ここへきてますます勢いを増しているように思える。猛暑の中、10万を超える人々がほとんど自発的に集まって抗議行動を展開するのは、1970年いや60年の安保反対闘争以来のことだ。これは、いったい何を意味するのだろうか。
このコラムでも書き続けてきたように(直近では2012年6月15日付、7月6日付など)、背景には原発再稼働をめぐる野田佳彦政権のデタラメぶりに対する憤りがあるだろう。政府がいくら安全だと強調しても、多くの人々は信用していない。
それどころか「また事故が起きるのではないか」と心配し、足元を見ても、福島だけでなく東北、首都圏にも放射能汚染が広がっている現状にやり場のない不安と怒りをたぎらせているのだ。
新聞やテレビのようなマスコミが人々の気持ちを十分にくみとっているかといえば、必ずしもそうとはいえない。もちろん懸命に努力しているメディアもある。古舘伊知郎の「報道ステーション」は健闘していると思うし、東京新聞もそうだ。
だが、人々はそんな一部メディアの報道だけで、けっして満足していない。十分だとも思っていない。メディア任せ、人任せではなく「自分自身が声を出さずにはいられない」という気持ちに突き動かされている。官邸前の抗議行動に何度か出かけ、16日の集会にも足を運んでみて、私はそう思った。
金曜夜の首相官邸や国会議事堂前で路上に立ち、みんなと一緒になって「再稼働反対」と声を出してみる。手製のプラカードを掲げてみる。疲れたら輪を離れ、歩道脇の石垣に腰を下ろして、隣の人と言葉を交わしてみる。そうやって2時間近くを過ごすと、ひととき、どこか胸のつかえが下りたような気持ちになって、家に帰っていく。
私がもっとも心を動かされたのは、官邸前の抗議行動が終わるときだった。
■勝手に路上に立つ「個人」
それまで官邸前でも国会議事堂前でも前のほうに進もうとすると、人の波が多すぎて、にっちもさっちも動けなかった。ところが時計の針が7時半を回るころから、5人、10人と、前方から後方へと戻っていく人が出てくる。後ろへ下がっていく人並みはあっという間に数十人、数百人単位になり、やがて周辺の歩道は帰る人で一杯になった。
抗議行動が終わる午後8時だった。
抗議のコールやドラムの音はまだ鳴り響いていたが、帰りを急ぐ人たちは黙々と歩いていた。杖をついて歩く老夫婦がいる。新党日本の田中康夫衆院議員が自ら現場で配った白い風船を手にした母子連れがいる。彼らはもうシュプレヒコールも上げず、興奮した様子もなく淡々と地下鉄の駅や交差点に向かっていた。整然とした帰り姿。私は、こういう終わり方を予想していなかった。
帰る彼らを見ながら、これは私が経験した70年代のデモとはまったく違う、と思った。かつてのデモは文字通り「闘争」だった。現場には明確な目標があった。首相官邸だろうが街頭だろうが、警察が阻止線を張っていれば、そのバリケードを実力で突破する。突破できなくても体当たりする。それが70年代の戦いだった。
だが、今回の抗議行動にそんな目標はない。街頭で声を上げる。時間が来ればそれぞれ勝手に帰る。それだけだ。声すら出さず、ただ来ただけの人も大勢いる。そもそも、官邸前の抗議行動はデモですらない。だれかが警察にデモや集会の届けを出しているわけではなく、警察から見れば、路上に集まった大勢の群衆にすぎない。その意図は明確なのだが。
70年代のデモはしばしば暴力的な行動を伴った。だが、今回はまったくといっていいほど衝突ざたがない。参加した人々にとっては「バリケードを突破する」ことなど、初めから目的ではないからだ。
リーダーもいるようでいない。毎週の抗議行動を呼びかけている首都圏反原発連合のホームページをみると「首都圏反原発連合は団体ではなくネットワークです」と書いてある。
かつては「前衛と大衆」という言葉もあった。前衛による「先鋭的な行動」が無知な大衆を「覚醒する」といった「もっともらしい理論」が幅を効かせていた。だが、いまの抗議行動には前衛も大衆もない。あるのは勝手に路上に立つ「個人」である。
それを確信したのは16日の10万人集会だった。
■「自分で行動しなきゃと思って来ました」
私は開会まで1時間以上もある午前11時前に会場の代々木公園に入った。市民団体や非政府組織(NGO)の運営する第1ステージが設けられたサッカー場は、地面に敷いた巨大なブルーシートの大部分がまだガラガラで「これで人が一杯になるだろうか」と心配になるほどだった。
強い日差しを避けて、木立の中でフェンスを背に座った。斜め前では早くも「原発反対、いますぐ止めろ」とシュプレヒコールが飛んでいる。すると背中越しにフェンスの向こう側から年配とおぼしき人たちの声が耳に入った。女性2人と男性1人だ。
「『いますぐ止めろ』って言ったってねえ。それで止まるわけないわよねぇ」と女性の1人。「そんな簡単にはいかないのよ」ともう1人の女性。原発反対の集会のまっただ中で、醒めている。その通りだ。
主催者が「大きなフラッグを広げたいので、みんな中央に集まってください」と何度もマイクで呼びかけている。すると1人が「『中に集まって』って言ってるけどねぇ、暑いから大変よ〜」。ここは木陰なのだ。中央に出たら直射日光を浴びてしまう。そう思った瞬間、1人が言った。
「木の下は放射能が強いのよ。私のところなんか、みんな木を除染してるんだから」。これを聞いて、ぎょっとした瞬間、左隣にいた女の子と一緒のお母さんが「うん、うん」と小さくうなづいている。思わず木の上を見上げた。それで放射能が見えるわけでは、もちろんないが。
そのうち、1人が問わず語りに言った。「マスコミが少ないわねえ」。たしかに思ったより少ない。カメラもペンの姿もほんの数えるほどだ。すると別の1人が続けた。「だいたい日本のジャーナリストは危ないところには行かないのよ」「そうそう」「いのちを懸けてペンを持ってる人なんていないんだから」
これを聞いて、私は意を決して後ろを振り向いた。「すみません、さっきから話を聞いてました。私もマスコミの1人なんです」
「あら、そう」と言って「ふーん」という顔をした。私は恐縮ながら年齢を聞いてみた。1人の女性が64歳、もう1人は63歳で「小田原から来た」という。男性は65歳だ。彼は地元の代々木に住んでいるという。ついでに左隣の母子連れにも聞いてみると、東京に住む28歳の母と3歳の長女である。母親が後ろを振り返って話の輪に加わり始めた。
「私はついこの間までワーキング・プアだったんです。いまの世の中、大企業とか上の方の人ばっかし良くて、私たちは苦しい生活を強いられている。この子だって、このままじゃきっと公立の学校だし。貧困って伝染する。増税も反対です。子供が心配です。自分で行動しなきゃと思って来ました」
米国で暮らした経験があるという65歳の男性は、マスコミ批判を続けた。
「○○新聞とか××新聞とか。あんなのはダメだな。学者だって東大の先生は信用できないね。日本には民主主義が根付いてないよ」
■「結局、大事なのは個人の1人1人なんです」
そのうち集会が始まった。作家の大江健三郎や音楽家の坂本龍一らが壇上でスピーチをしているが、スピーカーの具合が悪いのか、よく聞き取れない。作家の落合恵子になったら途端に明瞭になった。
「落合さん、滑舌がいいわねえ、よく聞こえるわぁ」と64歳。落合が「コンクリートから人へと言ってた人たちが、命より原発になってしまいました」とスパッと言い切ると、隣のお母さんは思わず「そうだっ!」と小さく叫んだ。落合のメッセージは鋭かった。
前のほうを「日本共産党」という旗を持った人が歩いている。白地にくっきり、さわやかな青い文字。すると女性たちが「なんで赤くないの?」「このごろはああなんじゃないの?」。私も意外に思った。イメージチェンジなのか。
後ろの右隣には学生の3人連れもいた。
「さっきから何機もヘリコプターが飛んでるでしょ。あのうちの1機はみんなのカンパで飛んでるんだよ。余ったお金は福島原発を訴えた人たちに寄付したんだって」と男性の1人。この話、実は東京新聞が7月6日付で報じている。「やけに詳しいな」と思って聞いてみたら「私は東京新聞を購読してます」といった。千葉大学の大学院生(25)だった。
「先日の雨の金曜日、初めて首相官邸前に行ってみたんです。荒れるようだったら嫌だけど、平和的な感じだったし。それで今日も来てみました。来て良かった。みんなの気持ちが分かった」
私の周囲にいた人たちは、こういう人たちである。みんな勝手に喋っていた。
たしかに、労働組合の旗はたくさんあった。「三里塚・芝山空港反対同盟」という懐かしい旗を掲げる人たちや「日本革命的共産主義者同盟・革マル派」の機関紙を配る人たちもいた。これには少し驚いた。「新自由主義と対決する総合雑誌」とか「薬害イレッサ訴訟」とか種々雑多なビラを受け取った。なかには組織動員もあったに違いない。
しかし、私の耳には64歳女性が言った言葉が残っている。
「官僚だってみんな悪いんじゃないの。これまでの日本は、官僚ががんばって良くなったんだから。いい人だっているわよ(古賀茂明さんとか、と隣が合いの手)。組織になるとダメなのよねえ。みんな『長いモノには巻かれろ』になっちゃうのよ」
「でも、それじゃダメ。結局、大事なのは個人の1人1人なんです。私たち年配ががんばらないと、若い人がかわいそう。それを言いたくて、あえて今日はここまで来たんです」
彼女の毅然とした発言が、いまの反原発運動を象徴しているのではないか。
(文中敬称略)
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