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福島第一原発4号機の爆発について、多少、考えたことを書いておこうと思います。
まず、次の8枚の写真を基礎資料とします。
No.1
4号炉原子炉建屋の屋根にパネル状のものが一面に残っている写真http://photo.tepco.co.jp/library/110317/110316_1f_sora_2.jpg
*少なくとも4号炉の「火災」当初は4号炉の屋根は一面にパネル状のものが乗っている状態だった。これらのパネルは数日中に何らかの方法で除去された様子だ。東電のサイトにある写真。
No.2
4号炉の南側側面の写真(3号炉とは反対の方向からの写真)http://photo.tepco.co.jp/library/110316/110316_1f_chijou_1.jpg
*4号機の最上階のパネルが建物の内側に傾いていること。最上部から三階分はパネルが崩落しないで残っていること。上から4階目と5階目のパネルが2枚ずつ崩落していること。
No.3
3号機と4号機の海側からの写真http://media.oregonlive.com/oregonian/photo/2011/03/9434903-essay.jpg
*4号炉は最上部のパネルが6枚中真ん中の2枚残っているが3号炉は最上部から二階分がすべて崩落している。4号炉は最上部の下の階から三階分のパネルがすべて崩落している。
No.4
1号機から3号機までのタービン建屋を含んだ上空からの写真http://media.oregonlive.com/oregonian/photo/2011/03/9434904-essay.jpg
*1号炉や3号炉のタービン建屋の屋上に何らかの残骸が残っている。
No.5
3号機と4号機の陸側からの写真http://media.oregonlive.com/oregonian/photo/2011/03/9434902-essay.jpg
*4号炉の西側(陸側)の壁のパネルが6枚中3枚は残っていることや、北西の隅は上から4階分までパネルが崩落していること。そして、3号炉の場合は上から3階分までしか崩落していないこと。
No.6
4号炉側から1号炉までを南側から見た写真http://media.oregonlive.com/oregonian/photo/2011/03/-352eed96d4694c3c.jpg
*4号炉の屋根にパネル状のものがない。3号炉と4号炉の南側の壁を見ると4号炉の一番上部のパネルが一枚残っていることや4号炉のパネルの崩壊は最上部だけではなくその下の階のパネルが一枚崩落していることがわかる。1号炉は上から二階分のパネルが四方とも均一に崩落しているし、3号炉もほぼ同様に上から二階分が崩落している。更に、4号炉のタービン建屋の屋根には1号炉や3号炉のタービン建屋の屋根に残っているようなパネルなどの残骸がない。
No.7
1号炉から4号炉までをタービン建屋側(海側)から見た写真http://media.oregonlive.com/oregonian/photo/2011/03/9434898-essay.jpg
*3号炉は上からパネルが2枚分完全に剥がれ落ちているが、4号炉は上からパネルが3枚分完全に剥がれ落ちている。更に、1号炉から4号炉の中で4号炉の壁の崩落が最も酷いことが解る。
No.8
3号炉と4号炉を北側から見た写真http://photo.tepco.co.jp/library/110321/110321_1f_kokuen2.jpg
*3号炉と比べて4号炉の壁があまり壊れていないことが解る。3号炉は上から2階分がすべて崩落しているが、3号炉は北側の壁の上から三階分のパネルがすべて残っていることがわかる。
これらは2011年の3月中に撮影された写真です。それぞれの写真から観察できることを既に述べてありますが、それらを総合すると、4号炉は建物の上部で水素爆発があったとはとても思えません。まず、火災(爆発)当初は、No.1の写真で解るように4号炉の原子炉建屋の屋上にはパネル状のものが一面に残っていたのです。1号炉の様子を見れば解るように、こういったパネル状のものは水素爆発で吹き飛んでいるはずなので、4号炉の少なくとも最上階での爆発は通常の水素爆発ではないことがわかります。更に、1号炉や3号炉では最上部から二階分のパネルがほぼ四方均一にすべて崩落しているのに対し、4号炉は南北の壁、つまり、3号炉に面した壁やその反対側の壁の損傷があまり無く、東西の壁、つまり、海や陸に面した側の壁の損傷が激しく、しかも、最上部よりも中間の階の損傷が明らかに激しいことが観察できます。4号炉の屋上にパネル状のものが当初は残っていたことや中間階の損傷が激しいことを考え合わせると、4号炉の爆発が複数回あったと推測されます。しかし、全体として3号炉に比べると4号炉の損傷の具合はずっと軽微であるようにも見えます。3号炉であったとされるような核爆発は少なくとも4号炉では起こっていないのは確かです。
4号炉の原子炉建屋の最上部のパネルがある程度の残っていて、中間部のパネルがかなり崩落していることから、4号炉での爆発が建物の下部で起こったと考えるほうが自然です。
陸側に通路があるため、原子炉建屋への出入り口は普通陸側にあると思えます。そうであれば、原子炉建屋内部の通路も陸側から海側へという東西方向に主に配置されていたはずです。つまり、原子炉建屋全体が、東西方向(陸側から海側への方向)の壁が強く作られていて、南北方向の壁は通路などがあるため数自体が少なかったはずです。多分これが、南北の壁が余り損傷が激しくなく、東西の壁がかなり崩落したことの理由でしょう。
4号機は定期点検中でした。一部の主張によると、定期点検を早めに終わらせて発電を開始していたために爆発映像の隠蔽がされているということです。しかし、もし発電がされていたなら、格納容器の蓋は閉じられていなければいけません。事実は、蓋は開いていて、その写真も公開されているのですから、少なくとも発電をしていたということは違うでしょう。
3号機の爆発で、ある種の核爆発があったことはほぼ確実です。だからこそ、東電は総員撤退を言い出したはずですし、アメリカなどの外国勢が、自国民に日本からの出国を命じたはずです。更に、スピーディのデータが飯館村などの避難されていた方々に知らせれなかったのは、本格的な爆発が予測されていて、より広範囲の避難が必要、つまり、原発80キロ圏の避難などが必要とされていて、下手に移動すればよりひどい被曝をすることが予期されたからでしょう。そして、これらの大規模な被曝はほぼ全て4号機爆発を原因として考えられていたはずです。
地震後、津波が4号機側から侵入して来たということはほぼ確実でしょうから、4号機のディーゼル発電機が壊れたことも、地震当日には分かっていて、手当てをしようとしていたはずです。はっきりとは言えませんが、どうも、電源喪失はまず4号炉から始まったのではないでしょうか。4号機はプールに燃料が多量にあったため、プールの冷却がうまくいかなければ水素爆発することが多分一番最初に意識されたのだと思います。原子炉内部の水素発生なら、ベントで対処出来ますが、プールからの水素発生は停電時には対応のしようが無いからです。
多分、最初は、報道されたとおり、外部から電源をつなぐことに全力を傾けたのでしょう。しかし、うまくいかないので、1号機の爆発後は、4号機の建屋上部に水素ガスを大気中に逃すための通気口を開けることが検討されたはずです。
そして、1号機爆発の頃には、4号機のプールで水位の低下が始まっていたのではないかと思います。つまり、水による中性子線の遮蔽が出来なくなっていて、建屋最上部へは立ち入りが出来なくなったのではないでしょうか。このことは、福島第一原発の5号機や6号機の原子炉建屋の屋根に水素ガスを逃すための通気口が開けられたことからも解ります。
ともかく、4号炉で1号炉と同じような水素爆発が起こると、核燃料が比較にならないほど多量にあり、しかも、何らかの方法で建屋の屋根を吹き飛ばす方法が検討されたはずです。
そのために、何らかの方法で建屋の屋根を吹き飛ばす方法が検討されたはずです。そして、4号機の空になっていた原子炉の下部から発破をかけることで建屋の屋根を吹き飛ばすことが計画されたのでないかと思います。原子炉そのものを一つの大砲として機能させようと考えたわけです。上空からの写真で、プールだけではなく、原子炉からも、熱線が発生していたとされるものがあったのは、この発破に多分とても特殊な、高温を発生して鋼鉄を溶かすものが使われたことを示しているのだと思います。
そして、それが実行され、建屋上部が破壊され、そこから注水も出来ることが分かったので、その次に、隠蔽工作がされたのでしょう。No.1の写真に見られるように、原子炉建屋の屋上にパネル状のものが残っていることは、かなり垂直上向きの爆発力が弱かったことを表していると思います。つまり、最初は原子炉の底部を破壊することから発破がかけられていったということでしょう。そして、原子炉格納容器から爆発による風圧をかけることで屋根部分を吹き飛ばすことが試みられ、かなりうまく行ったのではないかと思います。ただそれはあまりにも1号炉や3号炉の様子とは異なってしまい、そのために、原子炉建屋の上部の壁を壊して通常の水素爆発であると言う偽装工作をしたはずです。
使用済み燃料プールは原子炉建屋の最上部から一段下の階の陸側にあるので、この部分をなんとか無事に残そうとしたはずですが、かなり痛んでいるのは不思議です。
4号炉爆発の当日の正午過ぎに福島第一原発上空の飛行禁止がされています。この飛行禁止は、4号炉原子炉建屋の屋上のパネル状のものを除去する工程を見せたくなかったと言うことのように思えますが、よくわかりません。ともかく、4号炉の屋根部分の骨格は比較的綺麗に残っていたわけで、パネル状のものを除去するために、大掛かりな爆発のようなことが行われたわけではないはずです。大掛かりな爆発であれば4号炉タービン建屋の屋上に吹き飛ばされた瓦礫が残っていなければいけませんし、それがないのですから、パネル状のものをどうやって除去したのか、一つのなぞです。ひょっとしたら、ある程度注水をした後、使用済み核燃料保管プールに水がたまり、中性子線の遮蔽がある程度出来たので人手でこれらのパネル状のものを除去したのかもしれません。
以上ですが、一応、事実を比較的矛盾無く説明しているはずです。
1号機爆発の時点で4号機プールの水位低下がどの程度進んでいたのかははっきりしません。ひょっとしたら、3号機爆発までは水位低下があまりなかった可能性もあると思います。
なお、上で使った写真の多くは次のサイトで見ることことが出来ます。
3月24日に無人機で撮影した写真の数々http://photos.oregonlive.com/photo-essay/2011/03/fukushima_dai-ichi_aerials.html
*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<1121>>TC:37782,BC:3211,PC:?、 Mc:?
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