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世に倦む日日
7/6の官邸前デモ - 警察の政治、主催者の原理主義
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7/6の官邸前デモ - 警察の政治、主催者の原理主義
長谷川幸洋が、7/6のデモについて「警察の勝ち」だと言っている。他人事の目線ではあるが、客観的に政治戦として見たとき、この評価と判定は当たっているだろう。警察は、まず道路反対側の歩道を立入禁止にし、次に内閣府下から官邸前に続く坂道の歩道を通行禁止にし、さらには地下鉄国会議事堂駅の出口を閉鎖し、デモが行われている官邸前周辺の路上に人が進入できないように完全封鎖、現場は前回(6/29)とは全く違う風景になっていた。後ろへ追いやられた人の列は、はるか外務省まで長く伸び、一部は憲政記念館にまで達していたという情報もある。私自身は早い時間に到着して、交差点角に至近の位置にずっといたため、後方の様子を窺い知ることはできなかったが、前回よりも警察の規制が厳重になり、歩道の列をコーンとバーで仕切って分断しまくっていたらしい。さらに上空に飛ばすヘリにも許可を出さず、今回はIWJによる空撮映像が提供されなかった。また、デモ終了時に、官邸前交差点の手前40メートルの地点で、路上に広がって前進を試みた人々を警察がブロックし、解散も速やかで、前回のように警察車両を縦列させたバリケード線まで群衆が詰め寄る図もなかった。したがって、6/29のデモを翌日紙面で空前の出来事として興奮して伝えたような報道も7/3にはなく、そうした記事の証明として添付するに相応しい、圧倒的群衆の集結を図示する俯瞰写真も得られなかった。
デモが終わった直後に、IWJが主催者をインタビューした映像がある。それを見ると(08:30-09:00)、当日の警備の内容について警視庁が主催者に情報を伝えている内情が窺われる。それを当日まで口止めされている気配も察知される。その連絡の場面や経緯がどのようであり、そこでどのような交渉があったかは主催者と警視庁との間の機密事項となっていて、外部一般に漏らさないという取り決めなのだろう。主催者も、道路対面の歩道から人を排除した措置に対して不満の旨を語っているが、この規制を事前に知っていた事実を隠しておらず、警備と規制について二者間で何らかの交渉機会があったことは明らかだ。ここに長谷川幸洋的な「勝ち負け」の政治戦の視角を投射した見方を示せば、警察はこの交渉過程で首尾よく勝利を収めたと言える。戦わずして勝つというか、7/6当日のデモの現場に出陣する前に、交渉によって、6/29のデモで市民が達成した示威の中身を後退させ、政治情報として結果される示威価値(事実・写真・サプライズ)を半減させることに成功している。警察(政府)の狙いは、一にも二にも、官邸前交差点とそれに続く道路をタハリール広場的な「解放区」にしないことだ。デモ群衆による解放区化を抑止し、示威の高揚を殺ぐことが警察(政府)の政治目的である。なぜなら、示威の高揚はマスコミを動かし、世論を動かし、政治を動かし、政策を動かされる事態に繋がるから。政府が敗北するから。
公安は政治警察である。地域で小学生の朝の登校を補導する善良な交通警察ではない。性格が本質的に違う。われわれは、公安警察の思惑とは逆に、原発政策を変えるため、政治を動かさなくてはならず、そのため世論を動かさなくてはならず、世論を動かすに十分な示威情報をマスコミから社会に発信させなくてはならず、全ての抗議行動をその目的に準拠させなくてはならない。デモの方法は、合法性の限界で条件づけられつつ、政治目的の実現のために合理的にオプティマイズされたものでなくてはならない。デモはあくまで政治の手段である。とすれば、主催者と警視庁の間での警備をめぐる交渉過程というのは、対立する二者の利害が正面からぶつかる政治戦の正念場であり、一歩でも退けば陣地を奪われ、一歩でも押せば獲得目標に近づくという戦場の攻防の関係だ。二者で共に仲良く、デモが平穏無事に終わるよう協力しましょうという関係だけではないのである。こうした二重の関係性について、主催者がどこまで正確に真実を捉えているのか、6/29と7/6のデモの運営とその後の主催者の発言から疑念を感じざるを得ない点が多く、実際にネット上で議論が続く奇妙な展開となっている。7/6デモの事前交渉で、道路対面の歩道域の立入禁止制限を含む規制強化を警察から通告され、主催者がそれに抗わずに従ったとすれば、そこにはどんな事情と背景があり、判断と論理があったのだろう。その意思決定の構図に関心が向かう。
おそらく、6/29デモの19:30-20:00の出来事の評価について、警察と主催者の認識が共通なのだ。その時間と空間で発生したデモ群衆の行動について、それが混乱状態であり、危険状態であり、逮捕者や怪我人が出て次からのデモ開催が不可能になると、そういう異常で憂慮するべき深刻な騒乱状態だったという状況認識の一致がある。その共通認識があるから、それでは、7/6は6/29の再現は絶対に回避しましょうという前提が二者に共有され、警備強化をすんなりと受諾したのではないか。警察側の不当な規制のエスカレーションを受け入れる交渉になったのではないか。7/6の過剰な警備強化は、6/29の事実認識から出発しているのだ。デモ市民の代表者である主催者が、6/29の19:30-20:00の事実を「混乱」と捉え、「危険」と認識し、「最も恐れていた事態」と定義する以上、6/29を上回る参加者が予想された7/6については、警察と主催者が協力して万全の抑え込み体制にシフトしなくてはならず、警察が計画し要求してきたデモ封殺のオペレーションにも唯々諾々と従わざるを得ない。そうなる。そうした論理と過程があり、あの異常きわまる警察による分断と封鎖と排除が執行されたと考えられる。デモに参加した一市民の目から見れば、これは明らかな弾圧であり、市民の権利の侵害であり、言論・集会の自由を保障した憲法21条に違反する行為だ。何となれば、6/29には警察はそのような露骨な妨害行為に出ていない。
警察が対面歩道を立入禁止にしたのは、全車線(6車線)開放直後に、両側の歩道から市民群衆が車道に雪崩れ込み、道路全体を占拠する状態になるのを防止するためである。それなら、車線全体を開放せずに車両を通行させればいいではないかと思うかもしれないが、これは警察の都合なのだ。デモ終了前、19:30頃には、警察は官邸前の交差点に機動隊車両をバリケードとして縦列駐車させ、群衆が官邸に侵入するのを物理的に阻止する最終防衛線を引く。そうすると、交差点が塞がれるため、官邸前交差点に東西にクロスする道路は否が応にも通行止めせざるを得ず、警察が前方(財務省上交差点)から車両を進入禁止にする結果、道路が必然的に開放空間になるのである。一般車両の通行が止まり、開放空間になった途端に歩道の市民が車道に雪崩れ込む。6/29は、開放空間になった車道上に市民が溢れ出るのを警察は阻止しなかった。「どうぞ」という感じで開放した。私は、溢れ出た一人である。証言できる。7/6は、私は最前列の位置だったので目視できなかったが、6/29とは様子が違い、警察の(事実上の)誘導で市民が車道に出たのではなく、規制線が決壊して溢れ出ている。突破されている。車道が車のない開放状態になりながら、警察は(おそらく主催スタッフも)市民を歩道の上に置き続けようとしたらしい。それは、6/29のような群衆の俯瞰図を阻みたかったからだし、群衆の官邸への前進行動を抑え込むためだ。
果たして、主催者と警察との事前交渉の中で、どこまでの規制と自制の線が合意されていたのかはよく分からない。その事情を教える一つの資料が、7/8の朝に放送されたテレ朝の番組の映像で、そこでは、警官隊のピケと市民最前線の押しくら饅頭する緊迫した絵があり、ピケの裏側で公安の刑事が真っ赤になって主催者を怒鳴り、「早く解散させろ」と喚いている。そこで、主催者スタッフが「打ち合わせどおりにやらないからこうなるんだ」と言う。公安刑事が「そんなのいま言う問題じゃねえだろ」と応じ返す。非常に興味深い映像で、ここで、両者の間に何かしら事前の打ち合わせがあった事実が暴露されている。テレ朝のカメラにこの修羅場を撮らせた主催者スタッフも、なかなかしたたかな立ち回りだ。公安刑事の狼狽が看て取れる。顔も露出しての全国放送になった。デモに参加した市民として疑問に思うのは、交差点から40メートルもの手前で引かれた阻止線(警察のピケ)が、どのような法的根拠のものなのかということで、また、前回とどうして規制内容が異なるのかという点だ。根拠は、主催者との合意(協定)なのか、それとも警察による条例等の解釈によるフリーハンド(裁量)なのか。主催者(首都圏反原発連合)の一人は、車両のバリケードがあるから突入は困難で、だったら警察が無理にピケを張る必要はないではないかとも言っている。であれば、事前交渉でハッキリとそう主張すればよかった。歩行者天国の状態を警察が作っているのだから自由にさせろと。無理にピケを張るから、騒然として危険な状況になるのだと。
映像を見てもわかるが、あの最前列で警察と押し合いをやっているのは、主催者が決めつけているような「ロートル左翼」ではない。もっと若い者が多数いる。狭い歩道の一隅に何時間も窮屈に押し込められた身になれば、フラストレーションが溜まっていて、目の前が開放空間になった途端、広い場所に飛び出て自由に前へ進もうという衝動は誰にも起こる。また、後方の列に連なっていた者は、政治家や有名人がスピーチをしていたメインのスポットに辿り着こうとして、デモ先端の場所を目指して前へ進む。全体が前へ前へ動き、自由に横へ広がろうとするのは、あのデモの構造と人間の心理から考えて必然の法則だ。それならば、デモの主催者は最初から道路の全開放を目標とし、正面から交渉し、タハリール広場化することを目的意識的に追求すればいい。主催者がそれを追求しないのは、デモの目的が政治になく、自分たちの主義主張(シングルイシュー原理主義)の貫徹にあり、敢えて言えば、ノンセクト・ラジカル的な思想スタイルの布教にあり、デモの参加者を自分たちの宗教の信者にしようとしているからだ。だから、状況に応じて柔軟に戦略戦術を変えようとせず、最適な方法を選ぼうとせず、政治の効果は二の次にして、同じことを何度も繰り返すことに主眼を置くのである。しかし、警察の方はそうではない。警察の目的は政治だ。だから、警察の方は手段を変えてくる。もっとも効果的に規制を方法化する。示威を封殺するという目的の実現に全力を傾ける。
当然、7/6の経過と結果を見て、警察は7/13の手を打ってくるだろう。規制を強化し、デモの無力化を一歩進めるだろう。事前の交渉でそのオペレーションの了解を得ることだろう。
コメントを見る(3件).......
1. liberalist2012-07-10 20:46X
筆者様の仰る通りで、6日のデモは、まさに警察の勝利だったと私も思います。あの分断は、人の移動の自由を不当に奪っているようにすら感じました。
そこで私からの提案ですが、主催者側は警察との交渉の窓口として、元警察官僚で、かつてはデモを”取り締まる側”だった、亀井静香議員に直訴してみたらどうかと思います。
亀井静香議員も、田中康夫議員の声に応えて、遂にデモの場で演説をするようになりました。
今、最も交渉術の優れた現役国会議員として、デモをする市民側は亀井静香議員に三顧の礼を尽くして、警察との交渉をお願いしてみたら良いと思います。亀井さんとデモ主催者との間は、田中康夫議員に取り持って貰えば良いでしょう。
警察の裏の裏まで知る、タフ・ネゴシエーターを味方につけるべきなのです。
2. haku2012-07-10 23:01X
官邸前デモは確かに警察がうまくやっている面があると思います。でも別のいろいろな評価もあると思います。デモの列が分断されるほど、「再稼働反対!」の声は一般人の少ない永田町や霞ヶ関を越えて、日比谷や新橋のような繁華街に広がっていくと思うのです。それはそれで強いアピールです。警察は繁華街にあふれるのを防ごうとするのでしょうが、それでも参加者が増え続けてあふれ出したら・・こういうのも有りかなと思います。私は仕事のために出遅れるので財務省前ですが、7/6は前週に比べ対岸の外務省前と併せて控えめに見ても3-4倍になっていました。
3. ゆたか2012-07-11 02:48X
>ピケの裏側で公安の刑事が真っ赤になって主催者を怒鳴り、「早く解散させろ」と喚いている。そこで、主催者スタッフが「打ち合わせどおりにやらないからこうなるんだ」と言う。
事前の打ち合わせがあったとしたら、警察(つまり野田政府)は「そこそこのデモならガス抜きのベントになるから大いに結構、だけど結界を超えるようならダメだぜ」と主催者に、含意ではあっても告げていたことが想像できます。その辺を感じ取るセンスが主催者にあったのかどうだか。
もし本当に原発に反対でしたら、左翼まで紛れ込んでるからどうだとか、ガレキの処分に反対してる奴は本筋じゃないとか言って排そうとするのは想像力不足。左翼だろうなんだろうが、原発の復権を面白く思わない人はみんな仲間、同士です。
たとえば、官邸前或いは議事堂前に100万人が集まれば倒閣できます。とにかく、今は何がなんでも数を集める事。
些末な違いでの内ゲバが起きたら原発利権でトクをしてる連中の、思うつぼです。
集まれ、集まれ、そして集まれ!
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