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(Fukushima : «un désastre créé par l'homme» : RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20120705-fukushima-desastre-cree-homme
日本/原子力−記事発表:2012年7月5日木曜日−最終更新:2012年7月5日木曜日
フクシマ:「人が作った災害」
記者 RFI
REUTERS/Air Photo Service/Files
「人が作った災害」、7月5日木曜日に公表された日本の国会の報告は、昨年の福島の大災害をこのように表した。発電所を運営する東電はこれまで、フクシマは一種の自然災害だったとして、地震や津波に責任を転嫁していた。国会が示唆したのは、全く逆のことだ。
「圧巻だ」。報告書の結論を開いたとき、最初に意識に浮かんだのがこの言葉だ。報告書は明確に非難している。東電と規制当局は長い以前から、地震と津波のリスクを認識していたが、彼らはわざと、何もせず、自分たちの判断を何も報告せず、それらに備える措置を何もとらなかった。さらに、報告書の執筆者たちは、「彼らは確かに、原子力事故から防護する国の権利に背いた」と、事故が事実上、東電と規制当局と、それだけでなく政府との共謀の結果であるとの評価を示し、ダメを押した。
これは、この大災害についての最初の報告にあった結論と程遠い。最初の報告によれば、地震と津波があまりに巨大だったために、それを適切に予測することが誰にもできなかった。全体として、この最初の報告では、自然以外の全てのものは潔白であるとされたが、この最初の報告には「東電」の署名がある。
その後、ジャーナリストと大学研究者がまとめた別の研究では、この企業にはもっと多くを為すことが可能だったとの結論が既に出されているが、今日、状況はもはや同じでない。東電の経営陣は変わり、企業は国有化された。新たな規制当局が9月に設置されることになっている。国の首相も替わった。しかし、もし、この報告が本当に検討されるなら、法的追求なしで済まされるのは、難しいように思われる。
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(投稿者より)
RFIサイトに掲載された記事です。誤訳があるかもしれません。ご容赦下さい。
「委員会は茶番、報告書は作文」と頭から決めてかかっていたので、この記事を読むまでは、報告書の存在は無視していました。私が読んだのはダイジェスト版ですが、失礼な言い方ですが、まともな報告が出たことに驚きました。記事の表現は直截ですが、報告書の表現も直截でした。このメディアの流儀どおり、記事は報告書の核心・背景・この後の展望を一言で書いてくれています。日本の新聞記事は読んでいませんが、ここまで書いてくれたでしょうか?
ただ、「法的追求」が行われるは、微妙に思えます。野田首相は、特定の個人に責任を求めない方針を既に示しています。私個人としても、今後の教訓とするためには、問題を技術論に限定し、原因を正しく究明してくれるなら、個人を裁くのは天に任せればいいと思っています。少なくとも、原発には「廃炉」の作業が今後残っています。責任を厳しく問うあまり、技術者が逃げ、作業者がいなくなるのは困ります。
ただ、やるべきことをしなかったのだから、しなかった本人の責任を法廷で問え、というのは正論です。「お咎めなし」では、「原子力村」も頭に乗るでしょう。議論が必要なところだと思います。
いずれにせよ、原発は全機廃炉に追い込まなければなりません。
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