06. 2012年7月08日 05:53:12
: dwo3Oyfuho
思えば今回の「脱原発」派の動きは、あまりに手間しがいい。菅直人総理(当時)が出席して、「そんなに私の顔が見たくないのか。それなら早くこの法案を通せ」と高揚感を露わにした、あの有名な場面は、2011年6月15日に衆議院の第一議員会館で開催された「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」でのことであった。この場には、孫正義氏をはじめ、加藤登紀子氏、宮台真司氏、小林武司氏、松田美由紀氏、福島瑞穂氏、辻本清美氏などが出席していた。そしてこの会の主催には、エネシフジャパン有志、eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)、環境エネルギー政策研究所、サステナ、グリーンピース・ジャパン、グリーン・アクション、大地を守る会、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)、原子力情報室はじめ、数多くの団体が名を連ねている(参加団体や賛同者名は、エネシフジャパンのWebサイトhttp://www.sustena.org/eneshif/に詳しい)。 これらの出席者、ないし団体を一概に論じる事は出来まい。だが一つ、間違いなく言える事は、「反原発左翼」は死んでいないという事である。古色蒼然たる護憲派左翼などとは全く違い、活力があり、世代も若く、資金も組織力もある。このような「民間団体」が主催し、自らを「政商」と自虐的に語る孫正義氏も絡んできた集会に、総理大臣が喜色満面で出席して大熱弁を振るう事自体、司会者が当日語ったように、まさに「今まで、無かった事」だと言える。 また、同じ2011年6月15日には、蒲田實氏、坂本龍一氏、内橋克人氏、大江健三郎氏、澤地久枝氏、瀬戸内寂聴氏、落合恵子氏、辻井喬氏、鶴見俊輔氏らが呼び掛け人になって、「『さよなら原発』1000万署名 市民の会」を結成し、国に「脱原発」への政策転換を求める1000万人の署名運動を始める、と記者会見で発表した。これを報じた『朝日新聞』(2011年6月16日夕刊)や『毎日新聞』(2011年6月16日朝刊)によれば、この運動も「原水禁」などで作る実行委員会が支えており、2011年9月19日には東京・明治公園で5万人規模の「原発にさよなら集会」も開いた。 http://matome.naver.jp/odai/2130148259763568501 ちなみに、「原水禁」は、2011年8月6日の原水爆禁止世界大会・広島大会に先立って、2011年7月31日に原水爆禁止世界大会・福島大会を福島で開いた。 http://www.asahi.com/national/update/0731/TKY201107310276.html このような符号を見れば、多くの心ある人々は、「これは左派が組織的に動き出している。左の巨大なマシーンが唸りを上げている」と直感するはずである。 そして、このような動きに菅直人総理(当時)はとりわけ「乗りやすい」。2011年7月10日付の『日本経済新聞』の記事中に、「親しい議員や部下たちも『首相は共産党や社民党に親近感を抱いているようだ』『政治家ではなく、市民運動家に戻った』といぶかるほどという印象深い事実が紹介されている。民主党の最高幹部の中で、共産党や社民党、そして一部の新左翼系市民団体と最後まで切れていないのが管直人元総理なのである。彼はそこに裏人脈を残し続けている。 例えば菅直人元総理の資金管理団体「草志社」は、よど号ハイジャック犯のリーダーと日本人拉致容疑者の夫婦の間に生まれた北朝鮮から帰国してきた長男を2011年4月の三鷹市議選に立候補させた地域政党「市民の党」の派生団体に対し、2009年(平成21年)までの3年間で6250万円もの多額の政治献金を続けていた事が報じられている(『産経新聞』(2011年7月2日、同8日、同18日付。『週刊文春』2011年7月21日号など)。 多くの新聞は、菅直人元総理が官邸で「孤立」していると書いたが、確かに民主党内では孤立していても、本当は全く「一人ぼっち」ではなかったのである。国会内だけを見ていたら、民主党内からさえ総スカンを食っている菅直人元総理の「手勢」が誰なのか見えにくい。だが、目を外に転じた時に見えてくるのは、実は恐るべき光景かもしれないのだ。 仮に、菅直人元総理がこうした「マシーン」の動きに乗るシナリオを想定した場合、そこにはいかなる景色が現れるだろうか。あるいは場合によっては、例えば菅直人元総理が後ろに控える形で、若手イケメンの第二、第三の人物がこのシナリオの顔になって、神輿に乗ったたらどうなるか。 岡田克也氏ら民主党執行部は、代表を解任するほどの最大限の抵抗をしていたかもしれない。だが、それも恐れるに足りない。たとえ民主党代表でなくても、総理である限り解散は打てる。ここまで来れば、後の祭りだったかも知れぬ。そうなったら、脱原発の「国民連合」でも作って、エコ・市民派の「闘士」や、同調する芸能人、文化人たちを「刺客」として立候補させればよい。 菅直人元総理はあまりに支持率が低かったという。だが、その自分の顔を総選挙の看板にするような愚かな事はすまい。スっと一歩引いて、先ほど名前が挙がったような著名な文化人たちが看板となったらどうか。 瀬戸内寂聴氏や大江健三郎氏、坂本龍一氏のような著名な文学者・芸術家をバックにすれば、プロの「エコ市民」の運動も冴え渡るであろう。彼ら「プロ」は、「抑圧的な国家を潰す」ためには、そんな国家を活かしてきた「エネルギー」を絶てばいい、直感的に理解している。彼らの動きが、かつての「勝手連」のように盛り上がった場合、マスコミが掌を返して「熱狂モード」に入るのは容易に想像できる。日々、これだけ悲惨な原発事故の状況が報告され、既に十分な下地は出来ている。 この時に自民党は「自分たちも長期的には脱原発」などと主張するかも知れないが、そうなれば完全に相手ペースである。民主党内でも、菅直人元総理側に加担するであろう旧社会主義系の事務局員や政策スタッフたちは、脱原発運動家や反原発NGOとかねてから濃密な関係にある。いくらでも統計数字や政策論などの「理論武装」を打ち出し、「国民の命を弄ぶ電力利権の守旧派」を炙り出して糾弾出来る。その裏側では、自治労や日教組などがフル回転する。 そうすれば、小泉選挙ほどの圧勝ではなくても、「脱原発・人民戦線」が勝利を収める可能性は十分にある。そして、場合によってはその後に、共産党や社民党を寄せ集めて、反原発の「人民戦線内閣」を作ってもいい。その状況を見て、民主党の主流派や自民党からさえ脱党者が出て、公明党も秋波を送るようになるかも知れない・・・。 「そこまでの事は?」と多くの人は言うかも知れない。だが、「脱原発」は、保守を叩き、「左からの政界再編」を実現するためには、極めて好都合の問題であり、長らく退潮が囁かれてきた左派陣営からすれば、決定的な反転攻勢のチャンスである事も忘れるべきではないのだ。 本来、エネルギー戦略は単なる経済政策ではない。かつて石油を止められた日本が対米戦に突入せざるを得なくなった事に象徴されるように、これは国民の生命・財産のギリギリのものが懸かっている話であり、国家の独立と主権の本質に関わるーつまり、この国が滅びるか、生き延びるかのギリギリの話である。だが、「仮面元総理」たる菅直人氏に「国家的なエネルギー政策をどう考えるか」と聞く事自体が、無益な事であろう。古来、政治の要諦は、第一に、国家の安全保障の維持、第二に、国家としての信頼(精神的支柱・精神的充足)の提供、第三に、豊かさの増進であったが、国家という意識を払拭し、あえて「市民社会」の優越を唱える人間には、この三本柱はそもそも考えるに値しない事だからである。 「仮面元総理」が繰り出してきた悪魔的なトリックに誤魔化されぬために、我々に求められているのは常に「常識」に返る事なのである。様々な夢物語と「目眩まし」に対抗するためには、決して同じ土俵に乗ってはいけない。しかし、インテリほど、このようなトリックに引っ掛かる。このようなまやかしに対抗するためには、そのトリックを語る人物の「人間性」が信じられるかどうかだけを徹底的に問い直し、「もう、騙されはしない」と心に定めるしかないのである。 そもそも、今の原発論議は、あまりに内向きな議論に終始している。よしんば日本が原発を全廃したとしても、韓国は日本海側にこれから次々と原発を建設し、中国は東シナ海沿岸に、そしてロシアも沿海州で、数多くの原発を建設する計画を進めている。このうちどこか1ヵ所でも事故が起これば、偏西風や海流に乗って放射性物質が日本に到来する可能性がある。その時日本が受ける被害は、福島第一原発のそれよりもずっと大きい可能性も「想定の範囲内」に置いておかねばなるまい。今でも中国のタクラマカン砂漠の原爆実験場で放射能に汚染された黄砂が日本にまで飛来してきているのだから、それは容易に想像できる。さらに言えば、日本の近海には、小型の原子炉を積んだ各国の原子力潜水艦が数多く遊弋している。このうち1隻でも事故を起こしたら、どうなるか。 フランスの経済学者ジャック・アタリ氏が、いかにもフランス人らしい尊大さで、福島の事故について、所詮「この危機は地震と津波によって引き起こされたもの」「原子力エネルギーの問題ではなく、日本政府や東電の運営の問題」と語っていたが、それが今後もずっと原発を推進しようとする世界の有識者たちの典型的な考え方でもあるのだろう。 ならば日本は、今一度、原発の技術水準や安全水準を画期的に引き上げる事に注力し、「さらなる進歩への可能性」をあくまで追求していくべきではないか。今日本の原子力発電所建設技術は、現時点では世界でも群を抜いているのである。ここで原子力技術の進歩を止めたら、それは回り回って、他国の事故という形で自らの上に再び降りかかりかねない。 さらに言えば、今世界の秩序は音を立てて大きく変わりつつある。最近、アメリカでシェールオイルやシェールガスなど、これまで採掘出来なかった石油資源を採掘する技術が実用化し、資源供給に楽観的な意見も聞かれるようになった。だがそれでも、お金さえ出せば国際市場で石油をいくらでも買えるという状況は、中国はじめ新興国の急激な消費増やその他の国際環境の変化によって、もはや「過去のもの」になりつつある。 中東の民主化が大きなうねりとなっているが、これがサウジアラビアやイランに決定的に波及したら、どのような事になるだろうか。さらにイスラエル・パレスチナ問題も激変しつつある。中東紛争の基本構図が変われば、石油需給体制も変わらざるを得ない。 中央アジアにも、ロシアや中国が勢力圏を伸ばし、もはやかつてポスト冷戦時代に西欧諸国が思い描いていた構図は大きく様変わりしている。 また中国は、大変な勢いでアフリカに進出し、スーダンやアンゴラなどで膨大な石油の抱え込みを始めている。一方、これに対抗すべく欧米諸国では、人権侵害国や紛争国から輸出された鉱物資源を使っている企業を国際市場から締め出したり、制裁する動きが広がっている。これは明らかに、そのような国々に肩入れする中国を牽制する目的を帯びたものであるが、このような動きが嵩じてくれば、資源市場に不測の事態も起きかねない。 2010年の尖閣事件の時に、日本は中国からのレアアース問題で痛い目に遭わされたが、同じような状況がいつどこで起こっても、おかしくないのである。 世界の金融システムも激変しようとしている。欧州の財政金融危機は、イタリア、スペインなどへの波及も取り沙汰されつつ、全く予断を許さなぬ状況になってきている。 だが、G20体制では、船頭が多すぎて、時には議題さえどうにも決まらない。かつてのG7のような「密室協議」が出来ないからである。WTOのルール(ドーハ・ラウンド)も、もはや進む気配がない。アメリカも、「自分のものは自分で調達せよ」と言い始めている。つまり、日本が国際社会の後ろからついていけば間違いなく資源にありつけた時代は過去のものとなり、今や世界は「資源争奪の戦国時代」と言えるような様相を呈し始めたのである。 そのような世界秩序の変動が、日本のエネルギー政策にも直に響いてくるのだ。資源国ではない日本の宿命は、大きく外の動きに影響される。外界の動きに大きく影響される資源に頼ったら「悲劇の始まり」になる、という歴史的な国家としての教訓が日米開戦であり、あるいは1973年のオイルショックなのだ。日本は努めて海外から輸入する資源への依存度を減らしていかねばならない。 自然エネルギーに次いで、外に依存しない自己充足性を貫徹させられるエネルギーは、原子力しかない。日本には今、輸入せずともいいだけのウランやプルトニウムがある。これは国家としての「最後の保険」なのだ。自然エネルギーが早期に原子力の代替えとして成功するかどうか、未だに疑わしいこの段階で、外に依存しない資源として原子力を捨て去る判断をすべきなのかどうか。何があっても「国家を存続させる」という意思を持つ人間ならば、その答えは自ずと明らかではないか。 「仮面元総理」管直人氏の悪魔性、と言って悪ければ、「ペテン師性」が、『脱原発』という切り口を突破口として、戦後ずっと続いてきた「総左翼と総保守の戦いの最終局面」を導き出そうとしている。そうした時に、日本の良識派が子供っぽい感情論に流れてしまう事は、あまりに危険である。 大きな危難を前に茫然自失となっている我々の隙を突いて、いや、この危機をむしろ好機と考えて様々な「仕掛け」がなされている可能性がある。この事をしっかり見据えるなら、我々は今こそ正気を取り戻し、一致団結して正しい手を打っていくしかない。このような政治家を首相に仰いでしまった「平成日本の悲劇」に一刻も早く幕を下ろさなければ、日本はもはや立ち直れない究極の衰退へと堕ちていく。この事を、我々はしっかりと、何にも増して肝に銘じる時である。
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