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※投稿者より(写真は、ありし日の日隅一雄さんです)
「さあこれからだ:/33 日隅さんの思い胸に」 鎌田實
悲しい、悲しい、知らせが入った。弁護士の日隅(ひずみ)一雄さんが6月12日、亡くなられた。49歳の若さだった。
東京電力福島第1原発事故の真相究明に、精力的に取り組んでいたが、事故から2カ月後の昨年5月、進行した胆のうがんが見つかり、余命半年と宣告された。彼は抗がん剤治療を受けながら、政府や東電の記者会見に通い続けた。オレンジ色のパーカを着て執拗(しつよう)に質問を続ける姿は、いつしか「オレンジ」と呼ばれるようになった。
今年3月、月刊「がんサポート」という雑誌で日隅さんと対談した時、彼はこう言っていた。
「毎日、記者会見で質問をしたが、政府も東電も、重要なことは何も答えない。ごまかしてウソをつく。マスコミは質問に対してきちんと回答が得られなくても、食い下がらない」
事故を小さくみせようとする政府と東電。それに反論しないことで、事実上加担していくマスコミ。日隅さんは、記者会見を支配している「空気」に、必死に挑み続けた。
記者会見でメルトダウン(炉心溶融)の可能性を否定しなかった原子力安全・保安院の担当者が交代させられたのは、なぜか。メルトダウンの可能性があるとの想定のもとに、もっと早く対策を立てていたら、福島県飯舘村や浪江町に避難した人も、炊き出しをして迎えた人たちも、余計な被ばくを防げたはずではないのか。
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)の発表が遅れたのは、なぜか。マスコミもそのデータを知った時、取り上げ方が小さかった。そのため、国民の健康を守ることが後手に回る結果になった−−と、日隅さんは痛烈に批判した。
対談の後、ぼくは日隅さんに声をかけた。「福島でボランティアの講演をする時、ご一緒しませんか」
「ぜひ、行きたい」
3カ月後の6月5日、ぼくと日隅さんは、福島県須賀川市の公民館を訪ねた。須賀川市は地震の被害が甚大で、市内の半数の家屋が倒壊している。放射線量は比較的低いが、野菜や果物の風評被害があり、みんな苦しんでいた。
昼食をとりながらの打ち合わせで市内の状況を聞いた日隅さんは、被災者たちの心の傷に気がついた。彼は、講演のテーマも、講演に使うため用意していた画像も、すべて変えた。日隅さんは「政府や東電の情報隠し」ではなく、胆のうがんで絶望的な状況になったにもかかわらず、どうしてもこの国のあり方を変えたいという強い思いで、政府や東電に食らいついている−−という自らの生き方をテーマに語ったのだ。
優しい男だなあ、と思った。
震災で絶望を味わってきた市民の心に、日隅さんの言葉は染み渡った。自分の体のことも正確に知っていたい、原発事故の実態も、同じように正確に知っていたい、と強調した。その言葉には鬼気迫るものがあった。
講演会の最後に花束を贈った高校生が「生きる勇気をもらいました」と語った。「負けないで生きられそうです」と語る市民もいた。命がけの言葉が、まっすぐに胸に届いたのだ。
講演の後、日隅さんは「おかげで福島に来ることができました。もうひと働きします」と言った。「今日の対談のテーマ『がんばらないけど、あきらめない』ですね」と声をかけると、ニコッと笑顔を返した。
それが最後だった。わずか1週間後、日隅さんは帰らぬ人となった。
訃報を受けて、須賀川市の公民館の掲示板には急きょ、お知らせとともに日隅さんへのお礼の言葉、講演会の写真が貼られた。知らせを聞いた何人もの市民たちが白菊を持って訪れ、掲示板の前に献花したという。
「この国の民主主義は危ない」。日隅さんの言葉が、いまも耳に響く。
ミャンマーの民主化運動のリーダー、アウンサンスーチーさんは16日、ノーベル平和賞受賞から21年たって初めて、オスロ市内で演説した。民主主義、平和、人権、自由などの大切さを語ったスーチーさんは「安心して眠りにつき、幸せに目覚めを迎えられる平和な世界をつくるために手を携えよう」と訴えた。
その演説と同じ日、日本では野田佳彦首相が関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を正式に決めた。民主主義からはほど遠い決定のプロセスだった。
大飯原発の下には活断層があるとの指摘もあるが、きちんとした議論はされていない。免震事務棟がない。フィルター付きのベント(排気)設備がつくのは2015年度。水素爆発を防ぐための処理については、いつなされるかも不明だ。
事故が起きた時、住民や災害弱者を避難させる防災計画も十分とは言えない。大飯原発に続く道は、半島を縦断する主幹道路1本だけ。これが寸断されたら、どうなるのか。
原子力委員会の3人の委員は、原発関連の組織から数百万円の寄付を受けている。原発推進派だけを集めた「秘密会議」は20回以上も行われた。相変わらず「原子力ムラ」が幅を利かせ、国民を置き去りにしたまま、大事なことが決まっていく。
大飯原発の再稼働が、スーチーさんが言う「安心」や「幸せ」を与えてくれるのかは疑問だ。
ぼくたちの国は、本当に民主主義の国であり、情報公開が行き届いた国なのだろうか。日隅さんの冥福を祈りながら、彼から受け継いだバトンをリレーし続けていかなければいけないと、自分に言い聞かせた。(医師・作家、題字も)=次回は7月14日掲載
毎日新聞 2012年06月30日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20120630ddm013070119000c.html
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※日隅 一雄(ひずみ かずお、1963年〜2012年6月12日)は、日本の弁護士・元産經新聞記者。インターネット新聞「News for the People in Japan」編集長および自由報道協会立ち上げの一人。「ヤメ蚊」を自称するマスコミ出身の弁護士である。
※情報流通促進計画by日隅一雄(ヤメ蚊)…(本人ブログ)
http://yamebun.weblogs.jp/my-blog/
※著書
・『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか』 2008年 現代人文社
・『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか(補訂版) 権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する 』2012年 日隅 一雄 (著)
・『自由報道協会が追った3.11』自由報道協会・編 (著)
・『検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』日隅 一雄 (著), 木野 龍逸 (著)
・『「主権者」は誰か――原発事故から考える』 (岩波ブックレット) 日隅 一雄 (著)
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※投稿者より 日隅さんの逝去を心より悼み、志のごく一部でも受け継いでいきたいと思います。ご冥福をお祈りします。
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