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大飯原発再稼働/「福島」を忘れ去るつもりか
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2012/06/20120617s01.htm
2012年06月17日 河北新報社説
これでは「喉元過ぎれば…」ではないか。
関西電力大飯原発(福井県)の再稼働が、きのう決まった。経過をたどると、まるで福島第1原発事故がなかったかのような錯覚にとらわれる。
原発事故で故郷や仕事を失ったままの人たちや、放射性物質の危険にさらされて暮らす人たちの視点は、どこにもうかがえない。地元のおおい町から福井県、そして国へと何事もなかったかのように淡々と手続きが進められた。
再稼働をめぐる一連の動きのポイントになったのは8日の野田佳彦首相の記者会見だった。だが、その内容は「福島のような事故は起きない」と意味もなく繰り返したにすぎない。
事故への何の反省も示さないまま、この期に及んでなお「安全神話」を振りまく。原発事故の影響は生易しいものではないし、一体いつまで続くのかも分からない。一国のリーダーとして、その重大性をどこまで理解しているのか甚だ疑問だった。
今、国民の前で原子力を語るのであれば、事故の原因と教訓、国策として取り組んだ原子力開発への評価、さらに将来の選択肢などについて丹念に説明すべきだった。その上で、再稼働の是非に言及すればいい。
そうした理念が欠落しているばかりか、具体的な根拠も示さないまま「原発を止めてしまっては社会は立ち行かない」「東日本大震災のような地震と津波が来ても事故は防止できる」などと言ったところで、まったく説得力がない。
福島第1原発が立地している福島県双葉町の井戸川克隆町長は「何十年も安全と言われ続けてきた。今回も同じような判断でしかないのかと、非常に残念に思う」と話したが、まさしくその通りだ。
多くの原発事故被災者も同様に感じたのではないだろうか。それほど、被災地の人たちの心情と懸け離れている。
福井県の同意によって、原発事故後初めて再稼働に向けて動き始めることになるが、関西地方の夏場の電力需要に備えた緊急避難と位置付けるべきだ。
夏さえ乗り切れば当面、電力は足りるはずであり、安全性の追求を犠牲にしてまで急ぐ理由は見当たらない。そして全国のほかの原発については、福島第1原発事故の検証と原子力政策全体の見直しを踏まえ、あらためて考えた方がいい。
原発事故には依然、未解明の部分が多すぎる。どの原子炉がどんな損傷を受け、どれほどの量の放射性物質を放出したのかという、基本的なことすらよく分かっていない。
大量の放射性物質が放出された原因と経過を究明し、住民を被ばくから守る避難対策に反映させなければ、あの事故から教訓をくみ取ったとは言えない。
原発事故は決して福島県だけの問題ではない。事故で放射性物質がまき散らされたら、どこまで広がるか予想もつかない。その教訓を置き去りにした原子力政策はあり得ない。
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