276. 2012年6月22日 08:35:58
: esmsVHFkrM
私は>>248です。>>269に名指しで強く非難されましたので反論いたします。>>269は削除コメとなってしまいましたが、表示切替を使えば読める状態にありますので、公平のためこの問題にご興味のある方はぜひ>>269もお読みいただきたいと思います。>>269さま、 まず事実を正しておきたいと思います。 あなたの議論では私は「左翼」だという前提で、「左翼」の「醜いシステム」とか「神話」に拠っている私が批判されていますが、私は「左翼」ではありません。私は政治的には少年のころからずっとリベラルで共産主義はおろか社会主義も信奉しておりません。自由民主主義を基本にしますから当然資本主義経済ないしは市場経済の歴史的有効性を認めた上で、ともすれば暴走しがちな資本主義経済を民主的にコントロールして社会的公正を実現しようとするルーズベルト的なリベラリズムを信奉しています。これは、アメリカで言えば当然民主党、ドイツで言えば社会民主党、フランスで言えば社会党の支持者と重なります。証拠には私のコメ履歴をご覧ください。 それを日本では「左翼」と呼ぶのだ言われればそれは呼ぶ方の自由ですが、少なくともあなたがその議論で私の誤りの根拠としている「左翼」の「醜いシステム」とか「神話」とか(これは明らかにソ連型共産主義とかスターリニズムとか毛沢東主義とかの狂信的な思想を意味すると理解しますが)が私のようなリベラルには無縁でありそのような論拠による私への批判が的外れであることは明らかです。 そもそもリベラルが「左翼」に見えるような日本がいかに右傾化しているかということです。それでは戦前と同じです。先進資本主義国として異常です。 また、私が右翼保守を批判したことを持って「左翼」と言われるのであればそれも奇矯です。右翼保守を批判するものはみんな「左翼」なのでしょうか。日本の右翼保守は私が>>248で指摘したように戦前戦後を通じて一貫して官僚政府の専制支配を支えあの戦争と今はまた原発によって日本人を滅亡の淵に追いやっているわけですから、「左翼」でなくともそれを批判するのは当然です。右翼保守に反対するものは「左翼」だけではないのです。 以上のように私は政治的には中道ないしはせいぜい中道左派であって、私の日本の右翼保守に対する批判はその立場からするものです。したがって、私を「左翼」だとした上でそんなお前も「醜いシステム」とか「神話」に頼っている点でお前が批判する右翼と同じで原発と同じだと言う批判はまったく不当です。 日本においては「喧嘩両成敗」または「過去は水に流して」みんなでやり直しという風潮があります。日本人の美徳とされ一見建設的で平和的であるように見えますが、実際にはその失敗なり悪行なりの責任を不問にして曖昧にするものです。この美名の下に日本において幾多の悪人がその責任を免れてきたかは、下は学校におけるいじめから上は戦後の「一億総懺悔論」にいたるまで枚挙の暇がありません。 また、この美名の適用に非対称性があることにも注意しなければなりません。「喧嘩両成敗」なり「水に流す」は強い側の責任隠蔽のために使用されるのです。これまた、下はいじめから上は「一億総懺悔」に至るまで広く見られる事実です。弱い方がこの美名によって救われたなどという話は聞いたことがありません。 原発は官僚利権政府による一大国家犯罪ですが、それを支えて反原発運動を攻撃したのが右翼保守であったことは厳然たる事実です。そして今もなお右翼保守が、官僚利権政府による原子力利権維持と再確立を支援して反原発言動を執拗に攻撃しています。右翼保守は、私がすでに>>248で指摘したとおり、常に官僚政府とともにあってそれを言論や草の根レベルで支えるのです。 その事実に目をつぶり「反原発に右も左もない」とそんな右翼保守の過去の悪行を「水に流し」現在の右翼保守のあり方を問題にしないのは、結果として今も続く右翼保守による反原発への攻撃を助長するものです。 そもそも、その原発政策によって大失敗をしでかした官僚利権政府も原子力ムラもそんな大失敗などなかったかのように大飯を再稼動させ原発をさらに維持しようとしています。そんな亡国の原発政策を支持し反対運動を言論と暴力で攻撃し孤立させてきた右翼保守もそんな誤りなどなかったかのように今もまた原発推進の言論と暴力を続けています。彼らはともに過去の責任を問われないことをいいことに同じことを続けようとしているのです。責任が厳然と問われないならば失敗と悪行の当事者はそのまま居座り同じことを続けることができるのです。 だから、私は右翼保守の責任を問いました。それは日本の右翼保守の歴史的責任を問うと言うよりは、今現に存在する右翼保守による原発を支持する言動と反原発運動に対する暴力的な威嚇を実際にけん制しようとするものです。 おそらくあなたも私と同じく原発を止めこの日本に原発をなくすことを願うまともな日本人の一人なのでしょう。あなたは、反原発運動に広く日本人を結集して大きな力とするためには参加者にその出自を問うなとお考えなのかもしれません。 しかし、そのような主張が実際に引き起こしている事態をよくご覧いただきたいと思います。事故から1年以上が経ちますが、そのような反原発事故の開放的な姿勢にもかかわらず右翼保守陣営から反原発に参加する人間はごくわずかです。「反原発に右も左もない」と言い続けたところで「右」はまったくそれに乗ってこないのです。それは当然です。右翼保守の本質は体制擁護です。官僚利権政府を言論と暴力によって支えることなのですから。 むしろそのように反原発運動が「右も左もない」としてその歴史的責任と今日的あり方を問われないことをいいことに右翼保守は勢いづいているように思われます。ここ阿修羅にも原発推進の暴言を振り回してためらうところがありません。私が上に指摘したとおりその責任を厳正に問われない限りその悪行の当事者はそこに居座ったまま同じことを繰り返すのです。 以上が私のあなたに対する反論です。 本当はそのようなリベラルの私から原発問題の歴史を見れば、その歴史が示すことは、明らかに、原発推進を主張し反原発運動を攻撃した右翼保守が間違っていて、反原発を主張し反原発運動に加わった左翼が正しかったということですが、それを長々と書けばまたそんなことを言うお前は「左翼」だろうと言われかねないので止めておきます。 原発は実際になくさなければなりません。反原発運動は勝たなければなりません。その敵が何かと言えば、原子力ムラであり、それを一部として含む官僚利権政府であり、それを言論と暴力で支える右翼保守なのです。 私が右翼保守を厳しく批判するのはこのためです。
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