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東海原発で事故が起きたら日本は滅ぶ、原発に頼らない地域づくり目指す――「脱原発」宣言をした村上達也・東海村長に聞く
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120615-00000003-toyo-soci
東洋経済オンライン 6月15日(金)13時33分配信
関西電力の大飯原子力発電3、4号機の再稼働問題が大詰めを迎えている。福井県の西川一誠知事は6月15日までに再稼働を容認すると見られているが、京都、滋賀県両知事は再稼働には依然慎重だ。
立地する自治体にとって原発は、雇用や財政面で重要産業となっている一方、安全性の問題等から隣接する自治体と軋轢が生じる懸念もある。原発立地自治体として唯一「脱原発」宣言をしている東海村の村上達也村長に再稼働問題や原発依存から脱する道筋について聞いた。
――4月末に原発に頼らない地域づくりを掲げる「脱原発を目指す首長会議」を設立しました。会議の今後の展望は。
5月14日に柳澤光美経済産業副大臣に会って会議の主旨や決意は伝えたが、今後具体的にどのようなことをするのか行動計画はまだ定まっていない。ただ、大飯原発の再稼働問題もあるし、関西方面で会議をやってアピールするといったことは考えている。
また、国が国際原子力機関(IAEA)と福島県で会議をするとの話もあるので、それに併せて首長会議を開いてアピールをすることも考えている。首長会議は福島支援も主旨の一つとして掲げているので、実際、福島に行って現状を見ることも大事だ。
いずれにしても、「原子力ムラ」は健在だし、政府はあのとおり、「脱原発」と言いながら、もとに戻ろうとしている。いろいろな面で脱原発首長会議とは違う動きになってくると思うので、そのたびごとに意見表明をしていくことになるだろう。
――1997年に村長に就任する前は原発に対してどのような考えを持っていたのですか。
私が村長になってもいいかな、と思ったのは地方分権の流れがあったから。村長になった97年の7月には地方分権推進委員会の第二次勧告というのがあって、これは新しい風が吹いていると思った。新しい地方の時代がくるならば、私もその力になれるかな、と。私は既存の政治、特に既存の地方政治は好きではなかったから。当時は原子力についてはほとんど意識していなかった。
原発を初めて意識したのは97年3月11日に起きた動燃(動力炉・核燃料開発事業団、現・原子力研究開発機構)の再処理工場での爆発事故。95年12月にもんじゅでナトリウム漏れ事故があって、その後の隠蔽や、ぶざまな対応をしているのを見ていたが、今度は東海村で事故が起きた。
その渦中で村長になったので、私の第1期目の最大の関心は平成の大合併と原子力安全問題だった。
動燃の事故後、原因究明と再開問題に取りかかり、そのときから原発の安全性確保が最大の私の役割だと思っていた。すると、今度は99年9月にJCOの臨界事故が起きた。その時に私がいままで付き合ったことのない、原子力ムラの人たちに出会うことになり、「これは異常な世界だ」との考えを深めた。
それ以前から閉鎖的な社会だとは思っていた。たとえば、私が日本原子力産業会議で「原子力と地域社会」といったことについて発表しようとしたとき、日本原子力発電の人たちがやってきて、私に「発表文を書きましょうか」と持ちかけてきた。
私は痩せても嗄れても、選挙で選ばれた地域社会の代表。それに対して、発表文を書いてあげます、はないだろうと思った。
従前から日本が原子力科学技術を持てる能力があるのか疑問を感じていたので、JCO事故後、国がこの事故をどうやって総括して、新たな制御体制を作るのかを見ていた。原子力安全・保安院ができたので、コントロール体制は以前より改善されたようにも思ったが、福島第一原発事故ではあのざまだ。
しかも、九州電力・玄海原発や北海道電力のプルサーマル問題でも保安院が先頭に立って推進の旗を振っていた。規制機関が先頭に立って推進するなんていう国ではダメでしょう。
原子力ムラの中での地位と名誉をと組織を守る、という観点しかない中では規制はできない。できないくせに再稼働とくる。私は昨年6月18日、海江田万里経産相(当時)の「安全宣言」でこの国はダメだと見切りを付けた。
■東海原発で事故が起きたら日本は滅びる
――原発がある自治体では東海村は特殊だと主張しておられますね。
米国で原発を作ったときの1つの基準は人口稀薄地帯であること、もう1つは避難計画が立てられることだった。ところが、日本原子力発電(原電)の東海第二原発では半径10キロメートル圏内に25万人、20キロメートル圏内に70万人、30キロメートル圏内には水戸市があるから100万人が住んでいる。そもそも、そんなところに建てるのがナンセンス。まさに原理原則を無視した建て方だ。
損害賠償にしたって、福島第一原発事故では15万〜16万人が避難していて、政府は2兆5000億円程度と損害額を算定しているけれど、実際には5兆〜6兆円になるとも言われている。となれば、東海第二で事故が起きた場合本当に賠償ができるのか。そんなことやったら国は滅びてしまうだろう。
――原発の安全性うんぬんと言うより、規制する体制に問題があると。
こういう体制の国では原発の安全性を守れない。なんぼ技術者が頑張ったところで、コントロール体制、基準体制ができていない。
――東海村は周辺人口が多い一方、火力発電所などがあり、脱原発をできるだけの経済的な裏付けがある。それに対して、ほかの自治体は原発依存度が高く、そう簡単に脱原発できない事情がある。
枝野幸男経産相にも申し上げたが、政府が脱原発を掲げるならば、同時にきちんとした政策を立てないといけない。つまりは、減原発、脱原発するうえでの財政的な支援、あるいは地域を維持していく支援を考えないといけない。
――中にはこれからも原発でやっていく、と明確に宣言している自治体もあります。
それを判断する材料は何になるかというと、私は福島第一原発事故だと思う。すぐに電力需給の逼迫だとか、停電だとか、電力料金の値上げだとか、立地地域の経済的依存だとか言っていたら、何一つ変れない、変わらない。
ドイツには倫理委員会というのがあって、哲学的、あるいは倫理的な観点から原発をどうするべきか、という提言がなされた。それでメルケル政権は原発政策を変えた。あのドイツと日本の差はどこなのかを考えてもらいたい。
原発事故というのは、われわれにとって人生観、歴史観を変えるくらいの衝撃的な事故だった。しかも、遠い国の話ではなく、日本で起きた。ドイツは日本で起きたことでそういうふうに変えた。
まず原発をどうするか、という話があって、結局最小限のところで行こうじゃないか、という話ならわかるが、日本ではそういう前段もない。
確かに、これまで原発に依存してきたところが、100%原発に変わるものがあるかといったら、そんなものありっこない。しかしだとすれば、原発はいつまでも残る。
■脱原発後のビジョンを描くのは難しい
――脱原発については村民にどのように説明していくのですか。脱原発後の東海村のビジョンは。
10年くらいの長いスパンの中では、新しい原子力センターを立てる「原子力先端構想」のようなことを考えている。ただ、直ちに新たな道筋、となるとなかなか難しい。原発をやめると言っても、当面は安全性を確保するためにメンテナンスをしていかなければいけないし、その後の廃炉問題もある。
原発での仕事は残るので、直ちに仕事を失う、ということはない。問題は定期検査需要で、雇用面でそれに依存していた面はある。あるいは、東海村で事業をされている多くの方は、原発に依存してきたところもあるだろう。すぐに職が失われるといったことはないが、将来的にどうやって新しい分野を開いていくかは課題だ。
――脱原発宣言に対する村民の反応は。
私に対しては極めて好意的な話しか出てこない。だけれど、冷や冷やしている人や、心配の方もいるだろう。そういう中で東海村では今、若い実業家が中心となって新しい東海村を考えていこう、というビジョンの会を作り、将来を考え始めている。
これは私が仕掛けたわけでも何でもなく、彼らが自主的に勉強会を始めた。村長が脱原発と行っているから始まったのではなく、彼ら自身が原発の将来というものを見越して、それに依存することはもうできないんだ、と考えたのだと思います。
きっかけはやはり福島第一原発事故でしょう。あれが起きたことで、これは変わらざるをえない、と。
――原発をやめたとしても、使用済み燃料の処理の問題があります。
私は村外へ持っていけとは言わん。何で青森に持っていくんだよ、と思う。自分のところで原発を受け入れておカネをもらってきたのだから、私はその自治体が受け入れるべきだと思う。
当初は青森の再処理工場で核燃料サイクルをやるという前提だったのだろうけど、今となっては核燃料サイクルもやめる決意が必要だろう。東海村でも乾式貯蔵はやっている。スペースが足りないという話もあるが、原発を廃炉にするならばスペースはいくらでもできる。まさに中間貯蔵ということだ。
■なし崩し的な再稼働は国民の不信感を招く
――大飯原発再稼働に際しては政府のやり方に不満の声も出ています。今回の件にかかわらず、政府は原発政策についてどのようにあるべきでしょうか。
原発政策を明確することが重要だ。当面はどういう原発を廃炉、あるいは残すかを明確にすべき。今のようにひとつひとつストレステストの一次評価をやって、さらに政治判断で稼働を決めるというばかげたやり方ではなく、少なくともこういう原発は残せる、こういう原発は長期的には廃炉にするという基準を明確に示すべきだろう。
たとえば、大飯3、4号機はほかの原発や大飯1、2号機に比べてどうだとか、美浜1、2号機は廃炉にするとかそれくらい明確な違いや方針を打ち出せれば、大飯3、4号機は動くのだろうと思う。
ところが、そのあたりをあいまいにしたまま、あわよくばなし崩し的に全原発50基を動かそう、あわよくば、上関(山口県)に新たな原発を作ろう、というのが見え見えだから、国民が不信感を持ってしまう。
そもそも、今の9電力それぞれに原発を持たせる政策が間違いだ。それぞれに原発を持たせた結果、この地震列島に54基も原発ができて、そのうえ減らせないという話になっている。
電力の地域独占体制というのは極めていびつな形を招いた。終戦後に電力供給が経済成長の基礎だった時代はそれでよかったのかもしれないが、いまだに東西で周波数が違うなど、電力供給をきちんとやるにもパイプが不十分なままになっている。
欧州では国をまたいで電力供給を行えるのに、日本では国内の電力会社同士間でさえまともにできない。今のような地域独占、集中生産、集中供給というのは、エネルギーの安全保障に極めて欠ける。何かが壊れたら、すべてがアウトになってしまう。
――原子力規制庁法案の審議も進んでいますが、新たな体制になれば規制体制は改善するでしょうか。
私ももともと、(国家行政組織法3条に基づいて設置され、独自に強い権限を有する)「3条委員会」にするべきだと言っていたけれど、国民からどれくらい「見える」のかがわからないのは不安だ。
実際、既存の3条委員会である国家公安委員会や公正取引委員会は、内情が見えにくい。政府や原発推進機関から独立しているのはよいが、国民から見えにくいのであれば問題だ。
加えて、そのトップにそれだけの見識を持ったリーダーが就くのかどうかも心配だ。結局、財界か原子力ムラから引っ張り出してくるのだろうけど、哲学を語れる人なのかどうか。独立して行動をとれる人がいいけれど、日本社会ではそれは難しい。外国人を呼んでくるという話もあるが、結局は推進側に都合のよい人物を連れてくるのだろう。
――村上村長が就いたらどうですか。
やってもいいけど、選ばれればね(笑)。人生最後の奉公になるでしょう。
むらかみ・たつや
1943年茨城県東海村生まれ。66年一橋大学卒業後、常陽銀行入社。97年9月東海村村長就任。現在4期目。
(倉沢美左 =東洋経済オンライン)
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