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東日本大震災で、非常用発電機を冷やす海水ポンプが浸水した(日本原電東海第2原発)
9/10 揺れる「原発発祥の地」東海村 村長が反旗 日経
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2012年06月10日13:44 Nuclear F.C : 原発のウソ
廃炉求める署名17万人超す
1957年、国内で最初に「原子の火」がともった茨城県東海村。多くの原子力施設が集積し、全国の原発立地自治体のモデルになってきた。しかし東日本大震災後、村上達也村長(69)が「脱原発」を打ち出し、日本原子力発電の東海第2原子力発電所の再稼働中止・廃炉を求める署名が17万人を超えた。「原発発祥の地」で何が起こっているのか――。
■JCO事故から募る不信感
「東海第2原発も危機一髪、あわや福島の二の舞いだった」。村上村長は5月26日、都内での講演で訴えた。あの日、同原発にも想定を超える高さ5.4メートルの津波が押し寄せて、3台ある非常用発電機のうちの1台が使えなくなり、原子炉の冷温停止まで3日半かかった。
高さ6.1メートルの防護壁が完成したのは震災の2日前。工事が終わっていなければ、被害はさらに広がるおそれがあった。
村上村長は1999年、作業員2人が死亡、約670人が被曝(ひばく)したジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故に直面し、国の判断を待たずに住民避難を指示した経験を持つ。
JCO事故後、原子力災害対策特別措置法や経済産業省原子力・安全保安院、オフサイトセンターなどの法制度・組織が整備された。それでも村長の国の原子力政策に対する不信感は消えなかった。
そして起こった東京電力の福島第1原発事故。「この国は原発を持つ資格も能力もない」と東海第2原発の廃炉要求に踏み切った。4月に64市区町村長が賛同して結成された「脱原発をめざす首長会議」に、原発立地自治体で唯一参加。
5月には長年務めてきた全国原子力発電所所在市町村協議会の副会長も辞任し、脱原発を訴えて全国を飛び回る。
だが村長の“反乱”は、村内では表向き大きな話題になっていない。原子力は地域経済に深く入り込んでいる。55年に2つの農村が合併して誕生した東海村は、原子力施設の集積とともに人口が3倍の3万8000人に急増。村民の3人に1人が原子力関連の仕事に就いているとされる。
■村議会、請願採択先送り
「わたくしたちはゆかしい歴史と原子の火に生きる東海の村民です」。東海村の村民憲章には原子力との共生がはっきりうたわれている。村内には「原研通り」「原電通り」「動燃通り」と原子力事業者の名前を冠した道路が通る。
原子力関連の交付金や固定資産税、法人税は年間約60億円で、村予算の3分の1近くを占める。財政力指数は県平均の2倍で、子どもの医療費は無料、介護保険の自己負担分の7割を村が補助する豊かな村だ。
ある会社員(42)は「原発はあるが、福祉が充実しているので引っ越してきた。村長の反旗で村が貧しくなるのは困る」と心配する。
今年1月の村議選(定数20)は、選挙前まで過半数を占めていた原発推進派と慎重・中立派が10人ずつで並んだ。推進派議員が上位当選した一方で、脱原発を長年訴えてきた相沢一正村議(70)も前回から得票を5割も伸ばした。相沢村議は「女性を中心に村民の反応は確実に変わってきている」と話す。村の商工会有志と女性らは3月から、原発に関する勉強会を始めている。
6月1日に開いた村議会の原子力問題調査特別委員会。3月議会から継続審査になっていた東海第2原発の再稼働中止・廃炉を求める請願3件、再稼働を前提に安全対策を求める請願1件について議論したが結論が出ず、再び継続審査にした。
委員からは廃炉を求める意見が複数出たが、「廃炉の地元への影響がわからない」「国の方向性が決まっていないのに時期尚早」として結論先送りを求める声が多かった。終了後、豊島寛一委員長(67)は「支持者の間でも賛否が分かれており、判断が難しい」と語った。だが、傍聴者からは「議員一人ひとりが態度を明確にすべき時に来ている」との声が漏れた。
茨城県の試算によると、東海第2原発の半径20キロメートル圏内に72万人、30キロメートル圏に94万人の住民がいる。
村上村長は「東京まで110キロメートルしかない。こんな人口密集地にある原発は廃炉にするしかない」と訴える。
同原発の廃炉を求める署名は約17万2000人にのぼり、10を超す市町で再稼働中止・廃炉を求める意見書や請願が採択された。
7月末には同原発の運転差し止めを求める県内外の住民約200人が国や日本原電を相手取り、提訴する予定だ。
■茨城知事も「減原発」強調
茨城県の橋本昌知事は5月17日、廃炉を求める署名簿を提出した市民グループの代表と初めて面会した。知事は「減原発」の姿勢を強調しながら「停止中の原発の中で、東海第2は再稼働するにしても一番遅くなる。今は廃炉で動くより、周囲を見ながら中立でいたい」と述べた。
知事は同月30日、枝野幸男経産相を経産省に訪ね、東海第2原発の30キロ圏内の14市町村の人口が106万人にのぼることを説明して「やめるもの(原発)はあらかじめきちんと示すべきだ」と求めた。枝野経産相は「6月に入ったら全体の方針を定め、個別の原発をどうするか決めたい」と答えた。
東海第2原発の隣では、国内初の商業用原子炉として66年に稼働して98年に運転を終了した東海原発の廃炉作業が進んでいる。第2原発も今年、稼働34年目に入った。政府は原発の運転を原則40年とする原子炉等規制法の改正案を国会に提出した。「元祖・原発の村」で原子の火が消える日が来るのだろうか。
(編集委員 杉野耕一)
日本経済新聞 2012/6/10 8:56
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