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株式日記と経済展望
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たとえSPEEDIが作動していなくても、私なら事故の規模を5秒で予測して、避難の
警告を出せると思います。(全国の原発事故の対策システムを設計した元責任者)
2012年6月3日 日曜日
◆福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者 5月31日 鳥賀陽弘道
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35339
──「全交流電源喪失」はどの時点で分かるのですか。どこから起算すればいいのですか。
「簡単です。『原子力災害対策特別措置法』第15条に定められた通り、福島第一発電所が政府に『緊急事態の通報』をしています。3月11日の午後4時45分です。このときに格納容器が壊れることを想定しなくてはいけない。つまり放射性物質が外に漏れ出すことを考えなくてはいけない。ここからが『よーい、スタート』なのです」
私はあっけにとられた。そういえばそうだ。法律はちゃんと「こうなったら周辺住民が逃げなくてはいけないような大事故ですよ」という基準を設けていて「そうなったら黙っていないで政府に知らせるのだよ」という電力会社への法的義務まで作っているのだ。「全交流電源喪失・冷却機能喪失で15条通報」イコール「格納容器の破損の恐れ」イコール「放射性物質の放出」なのだ。
そして、それは同日午後2時46分の東日本大震災発生から、わずか1時間59分で来ていたのだ。すると、この後「全交流電源喪失〜放射性物質の放出」の間にある「メルトダウンがあったのか、なかったのか」という論争は、防災の観点からは、枝葉末節でしかないと分かる。
「15条通報」があった時点で「住民を被曝から守る」=「原子力防災」は始まっていなくてはならなかったのだ。
原子炉を助けようとして住民のことを忘れていた?
「甲状腺がんを防止するために子どもに安定ヨウ素剤を飲ませるのは、被曝から24時間以内でないと効果が急激に減ります。放射性物質は、風速10メートルと仮定して、1〜2時間で30キロ到達します。格納容器が壊れてから飲むのでは意味がない。『壊れそうだ』の時点で飲まないといけない」
ところが、政府が原子力緊急事態宣言を出すのは午後7時3分である。2時間18分ほったらかしになったわけだ。これが痛い。
「一刻を争う」という時間感覚が官邸にはなかったのではないか、と松野さんは指摘する。そういう文脈で見ると、発生から24時間経たないうちに「現地視察」に菅直人首相が出かけたことがいかに「ピントはずれ」であるかが分かる。
──首相官邸にいた班目春樹(原子力安全委員会)委員長は「情報が入ってこなかったので、総理に助言したくでもできなかった」と言っています。SPEEDIやERSSが作動していないなら、それも一理あるのではないですか。
「いや、それは内科の医師が『内臓を見ていないから病気が診断できない』と言うようなものだ。中が分からなくても、原発災害は地震や台風より被害が予測できるものです」
「もとより、正確な情報が上がってきていれば『専門家』は必要ないでしょう。『全交流電源喪失』という情報しかないから、その意味するところを説明できる専門家が必要だったのです。専門家なら、分からないなりに25時間を割り振って、SPEEDIの予測、避難や、安定ヨウ素剤の配布服用などの指示を出すべきだったのです」
ひとこと説明を加えるなら、福島第一原発が全交流電源を失ったあと、首相官邸が必死になっていたのは「代わりの電源の用意」(電源車など)であって、住民の避難ではなかった。本欄でも報告したように、翌日3月12日午後3時前の段階で、原発から3キロの双葉厚生病院(双葉町)での避難すら完了せず、井戸川克隆町長を含む300人が1号機の水素爆発が噴き出した「死の灰」を浴びたことを思い出してほしい。
「ERSSの結果が出てくるまでの間は、SPEEDIに1ベクレルを代入して計算することになっています。そのうえで風向きを見れば、避難すべき方向だけでも分かる。私なら10の17乗ベクレルを入れます。それで住民を逃がすべき範囲も分かる」
──どうして初動が遅れたのでしょうか。
「地震で送電線が倒れても、津波が来るまでの1時間弱は非常用ディーゼル発電機が動いていたはずです。そこで東京にあるERSSは自動起動していたはずだ。このとき原発にはまだ電源があったので、予測計算はまだ正常に進展する結果を示していたでしょう。しかし、ERSSの担当者が、非常用ディーゼル発電機からの電源だけで原子炉が正常を保っている危うさを認識していれば、さらに『ディーゼル発電機も故障するかもしれない』という『全電源喪失』を想定した予測計算をしたと思います。この計算も30分でできる。私がいた時はこのような先を読んだ予測計算も訓練でやっていた。原子力安全・保安院のERSS担当部署がそれをやらさなかったのではないか。この最初の津波が来るまでの1時間弱のロスが重大だったと思う」
──すべてが後手に回っているように思えます。なぜでしょう。
「何とか廃炉を避けたいと思ったのでしょう。原子炉を助けようとして、住民のことを忘れていた。太平洋戦争末期に軍部が『戦果を挙げてから降伏しよう』とずるずる戦争を長引かせて国民を犠牲にしたのと似ています」
──廃炉にすると、1炉あたり数兆円の損害が出ると聞きます。それでためらったのではないですか。
「1号機を廃炉する決心を早くすれば、まだコストは安かった。2、3号機は助かったかもしれない。1号機の水素爆発(12日)でがれきが飛び散り、放射能レベルが高かったため2、3号機に近づけなくなって14日と15日にメルトダウンを起こした。1号機に見切りをさっさとつけるべきだったのです」
──その計算がとっさにできるものですか。
「1号機は40年経った原子炉なのですから、そろそろ廃炉だと常識で分かっていたはずです。私が所長なら『どうせ廃炉にする予定だったんだから、住民に被曝させるくらいなら廃炉にしてもかまわない』と思うでしょう。1機1兆円です。逆に、被害が拡大して3機すべてが廃炉になり、数千人が被曝する賠償コストを考えると、どうですか? 私は10秒で計算します。普段から『老朽化し、かつシビアアクシデント対策が十分でない原子炉に何かあったら廃炉にしよう』と考えておかなければならない」
このままうやむやにすると、また同じことが起きる
私にとって不思議だったのは、これほど事故を予見し尽くしていた人材が電力業界内部にいたのに、その知見が無視され、死蔵されたことだ。松野さんにとっても、自分の長年の研究と専門知識が現実の事故対策に生かされなかったことは痛恨だった。
「私の言うことは誰も聞いてくれませんでした。誰も聞いてくれないので、家で妻に話しました。しかし妻にもうるさがられる。『私の代わりにハンガーにかけたセーターにでも話していなさい』と言うのです」
松野さんはそう言って笑う。
「このままうやむやにすると、また同じことが起きるでしょう」
「広島に原爆が落とされたとき、日本政府は空襲警報を出さなかった。『一矢報いてから』と講和の条件ばかり考えていたからです。長崎の2発目は避けることができたはずなのに、しなかった。国民が犠牲にされたんです」
「負けるかもしれない、と誰も言わないのなら(電力会社も)戦争中(の軍部)と同じです。負けたとき(=最悪の原発事故が起きたとき)の選択肢を用意しておくのが、私たち学者や技術者の仕事ではないですか」
そして、松野さんはさらに驚くような話を続けた。
そもそも、日本の原発周辺の避難計画は飾りにすぎない。国は原子炉設置許可の安全評価にあたって、格納容器が破損して放射性物質が漏れ出すような事故を想定していない。もしそれを想定したら、日本では原発の立地が不可能になってしまうからだ。
そんな逆立ちした論理が政府や電力業界を支配している、というのだ。
(私のコメント)
福島第一原発事故に対する菅前総理や枝野前官房長官の発言がニュースになっていますが、どうも腑に落ちない事ばかりだ。しかしJBプレスの記事を見れば分かるように緊急時の支援システムは出来上がっていた。しかし今回の福島第一ではそれがほとんど機能しなかったのはなぜなのだろう? いったん事故が起きれば待ったなしにしなければならないことが決められていたにも拘らず機能しなかった。
松野氏はそのシステムの室長だった人ですが、3,11当時は既に退職していなかった。なぜ情報を共有できなかったのだろうか。記事によれば『原子力安全基盤機構(当時は原子力発電技術機構)の緊急時対策技術開発室長だった当時、「ERSS」(緊急時対策支援システム)の改良と実用化を担当したという。ERSSは、原発事故が起きたときに、原子炉の圧力や温度、放射性物質放出量の予測といったデータをオフサイトセンターや東京の関係部署に送る重要なシステムだ。』とあるように、事故マニュアルは出来ていた。
各電力会社では防災対策の研修なども行っていたと言うことですが、福島第一ではそれが生かされた形跡が無い。原子力安全委員会も原子力安全保安院も適切な助言が出来なかったことは不思議でならない。記事によれば、『また「原子力防災研修」の講師もしていたという。この研修には、原子力発電所の防災対策を「監督」する経産省の原子力防災専門官も参加する。つまり松野さんが書いた本は「教科書」であり、3.11で国は「教科書レベル」のテストにすら落第したということなのだ。』と言うように機能しなかった。
松野氏のような原子力災害の専門家がいたにも拘らず、当時は現場も官邸も電源の復旧にかかりきりで住民の避難は後回しにされてしまった。記事では、「率直に言って、たとえSPEEDIが作動していなくても、私なら事故の規模を5秒で予測して、避難の警告を出せると思います。『過酷事故』の定義には『全電源喪失事故』が含まれているのですから、プラントが停電になって情報が途絶する事態は当然想定されています」と言うように最悪の状況が想定されていた。
原発災害は一刻を争う問題であり、官邸が専門家の助言を得て次々と指令を発しなければなりませんが、菅総理は情報が上がってこないと言うことで、直接現場に出向いた。次々と指令を発しなければならない司令官が官邸を留守にして現場に行ってしまうのは、松野氏の発言でも「ピンと外れと」言うことだ。つまり松野氏のような原発災害の専門家が官邸にいなかったというのはどういうことなのだろうか?
記事では、『首相官邸にいた班目春樹(原子力安全委員会)委員長は「情報が入ってこなかったので、総理に助言したくでもできなかった」と言っています。』と言う質問に、「もとより、正確な情報が上がってきていれば『専門家』は必要ないでしょう。『全交流電源喪失』という情報しかないから、その意味するところを説明できる専門家が必要だったのです。専門家なら、分からないなりに25時間を割り振って、SPEEDIの予測、避難や、安定ヨウ素剤の配布服用などの指示を出すべきだったのです」と批判していますが、そのとおりだ。
SPEEDIにしても枝野官房長官は、漏洩した量がわからないのだからSPEEDIで計算できないことを公表できなかった理由にしていましたが、松野氏によれば、「ERSSの結果が出てくるまでの間は、SPEEDIに1ベクレルを代入して計算することになっています。そのうえで風向きを見れば、避難すべき方向だけでも分かる。私なら10の17乗ベクレルを入れます。それで住民を逃がすべき範囲も分かる」のに、政府は何の手配もしていない。
東電サイドでは、何とかして廃炉にするような事態を避けることに注意が集中してしまって、周囲の住民への配慮が東電では考えが及ばなかったらしい。それがごてに回った原因であり、「何とか廃炉を避けたいと思ったのでしょう。原子炉を助けようとして、住民のことを忘れていた。太平洋戦争末期に軍部が『戦果を挙げてから降伏しよう』とずるずる戦争を長引かせて国民を犠牲にしたのと似ています」と言う理由なのだろう。
原発を一基を廃炉にすると1兆円が無駄になるから東電のトップの決断が遅れたのだろう。1号基の廃炉にする決断が遅れたことで水素爆発が起きて、2号基と3号基の作業が出来なくなり3号基の水素爆発や2号基の破損にまで広がってしまった。現場がいかに混乱していたかは想像がつきますが、松野氏の書いた「原子力防災」を読んだ人はいなかったのだろうか?
少なくとも原子力安全委員会や経済産業省の原子力安全保安院にはいなかった。5秒で予測がついて、30分もあれば全停電事故が起きればどれだけ被害が広がるかが計算が出来るそうですが、現場からデーターが上がってこないことを理由にして東電も保安院も安全委員会も官邸も動かなかった。動いたのは動いてはいけない菅総理であり、司令部から司令官が消えてしまった。
全停電事故が起きれば格納容器が壊れることはすぐに分かることであり、そうなれば放射能が漏れ出すから住民の避難が最優先のはずだ。大戦の末期も、「広島に原爆が落とされたとき、日本政府は空襲警報を出さなかった。『一矢報いてから』と講和の条件ばかり考えていたからです。長崎の2発目は避けることができたはずなのに、しなかった。国民が犠牲にされたんです」と言うように、政府は国民の生命財産の事など考えない。
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