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クローズアップ2012:国会事故調、菅氏聴取 東電批判と自己弁護/情報伝達の混乱露呈(その1)
http://mainichi.jp/opinion/news/20120529ddm003040117000c.html
毎日新聞 2012年05月29日 東京朝刊
菅直人前首相は28日、国会事故調の参考人招致に応じ、福島第1原発事故への対応について説明した。聴取で目立ったのは、政府とともに事故の収束作業にあたった東京電力、経済産業省原子力安全・保安院を「原子力ムラ」と指弾する強い不信と、自身の判断や言動の釈明だった。【田中成之、笈田直樹】
◆「全面撤退」打診
◇「とんでもないことだ」
東電は福島第1原発からの全面撤退を政府に打診したのか、それともしていないのか。
菅氏は全面撤退の打診だったと受け止めていたことを明らかにし、当時の経産相、海江田万里氏と官房長官だった枝野幸男経産相と同じ見解を示した。一方、東電側はこれを真っ向から否定。原発事故に直面していた当時の政府中枢と東電との意思疎通に問題があったことを改めて印象づけた。
菅氏によると、昨年3月15日午前3時ごろ、海江田氏から「東電から撤退したい、との話が来ている」と伝えられた。菅氏は当時の心境を「第1と第2原発の原子炉と使用済み燃料プールの破壊が起きたら、チェルノブイリの何百倍の放射性物質が出る。『見えない敵と命がけで戦わないといけない』と考えていたため、まず『とんでもないことだ』と思った」と振り返った。
その後、東電の清水正孝社長(当時)を首相官邸に呼び出し、菅氏が「撤退はありませんよ」とくぎを刺すと、清水氏は「はい、分かりました」と答えたという。菅氏は「『そんなこと言ってない』とかの反論は一切なかった」と説明した。
菅氏はこの後、東電本店に乗り込み、「政府・東電事故対策統合本部」を設置。首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相を常駐させた。菅氏は「撤退問題があったから(設置を)言えた。民間企業に政府が乗り込むことは普通はないが、東電と政府の意思決定を統一しておかなければ大変なことになる、という思いだった。早く作れれば良かった」と語った。
だが東電側は全面撤退の打診はしていないと説明してきた。国会事故調がどう認定するかが焦点となる。
◆海水注入中断指示
◇「私の意向と全く違う」
「東電から官邸に派遣された人が自分の判断で言ったことについて、官邸の意向、まして私の意向とは全く違うので、きちんと区別して検証してほしい」
菅氏は昨年3月12日夜の福島第1原発1号機への海水注入をめぐる現場への「中断」指示について、東電側が「官邸の意向」と主張していることに強く反論した。
当時、第1原発の吉田昌郎所長に伝えられた中断指示は東電の武黒一郎フェローの判断だったとし、注水継続の判断を含めて「私が分かったのはずっと後だ」と述べた。海江田氏も「白熱した議論をしている場所から武黒フェローが抜け出て本店に電話した。東電側の事情だ」と述べ、官邸側の認識は一致している。
一方、東電の勝俣恒久会長は14日の国会事故調での聴取で菅氏の意向だったとの認識を示し、主張は真っ向から対立している。
東電が海水注入の開始を原子力安全・保安院に報告したとされる点について、菅氏は東電の説明が二転三転したことに不信感を示し、「武黒フェローが認識したなら、私に直接なり、経産相なりに伝えるのが当然だった」と批判した。
菅氏が海水注入によって再臨界が起きることを懸念したため遅れたとされた点に関しては「淡水がなくなった場合、海水注入が必要という点で関係者は一致していた」とした。12日午後6時からの会議で、海水注入の準備に「1時間半から2時間かかる」との説明があり、当初起きないとされた1号機の水素爆発が起きた直後だったため、「いくつかの事象について、時間があるなら聞いておいた方がいいという認識で議題になった」と述べ、再臨界が起きる一般的な可能性について議論していたと主張した。
◆現場への過剰介入
◇「叱責のつもりなかった」
事故調では、「イラ菅」とも称される菅氏の気性が事故対応に影響したとの指摘も出た。やり玉にあげられたのが、昨年3月15日早朝の東電本店で「撤退はあり得ない」と激しく東電を批判した行動だった。
野村修也委員は28日の国会事故調で「(菅氏が)怒鳴る姿が(テレビ会議システムで)福島(第1原発)の作業員にも届いていた。国のために命を張っている人への態度として、人として反省すべき点はないか」と追及。 菅氏は「叱責というつもりはまったくなく、(現場の)皆さんが聞いていたのはあとで気付いた」と釈明した。菅氏は「東電上層部では(直前に打診された第1原発撤退方針が)共有されてると思っていた。考え直し、命がけで頑張って、という気持ちだった」と語った。
菅氏の大学時代の友人の日比野靖内閣官房参与(当時)が第1原発に問い合わせを繰り返したとされる問題も取り上げられ、野村委員は「極めて初歩的な質問で仕事の邪魔だったと言う人がいた」と指摘。だが、菅氏は「抽象的な質問で答えに困る」とかわし、「私が第1原発の吉田所長と電話で話したのは2回だ」と話した。
菅氏は「原子力の中身を説明できる保安院職員が私の前に来たのは(震災から)3日目。東電の方もほとんどのことが分からなかった」と情報不足に陥った状況を振り返った。
また、当時、頻繁に官僚を怒鳴っていたとの声があることを念頭に置いてか、菅氏は「夫婦げんかより小さい声でしゃべったつもりだ。怒ったつもりはなく、はっきりものを言うため多少声が大きくなった」と釈明。「不快に受け止めた方がいたら申し訳ない」と陳謝した。
◇「脱原発、最も安全」 原子力ムラを指弾
菅氏は聴取の最後に、原子力政策を推進する電力業界などの「原子力ムラ」を「事故への反省をしないまま原子力行政の実権を握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た構造だ」と批判。「事故を体験し最も安全なのは原発に依存しないこと、脱原発の実現だと確信した」と訴えた。
菅氏は「(事故までは)安全性を確認して原発を活用する立場で首相としても活動した。事故を体験し根本的に考え方を改めた」と強調。原発事故は「我が国の病根を照らし出した」とし、東京電力と電気事業連合会(電事連)について「原子力行政の実権をこの40年間に次第に掌握し批判的な専門家や政治家、官僚はムラの掟(おきて)によって主流から外されてきた」と批判した。
一方で「関係者は自己保身と事なかれ主義に陥って眺めていた。私自身の反省も込めて申し上げている」と述べた。【岡崎大輔】
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◇国会事故調の委員(敬称略)
委員長=黒川清・元日本学術会議会長
委員=大島賢三・元国連大使▽桜井正史・元名古屋高検検事長▽田中耕一・島津製作所フェロー(ノーベル化学賞受賞者)▽石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)▽蜂須賀礼子・福島県大熊町商工会長▽田中三彦(科学ライター)▽崎山比早子・元放射線医学総合研究所主任研究官(腫瘍細胞生物学)▽横山禎徳・元マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社長▽野村修也・中央大法科大学院教授(会社法)
クローズアップ2012:国会事故調、菅氏聴取(その2止) 情報伝達の混乱、露呈
http://mainichi.jp/opinion/news/20120529ddm002040121000c.html
毎日新聞 2012年05月29日 東京朝刊
◇保安院経由が障害に
国会事故調による菅直人前首相の聴取では、原子力事故発生時の緊急対応体制も取り上げられた。事故の教訓を生かした組織づくりが急務だが、原子力規制庁をめぐる国会審議が29日からようやく始まるのみで、政府の対応の遅れが目立つ。
「通常、官僚組織からくるべき情報がほとんどなかった。保安院の(事故拡大)予測とかがなく、手の打ちようのない怖さを感じた」。菅氏は事故後の政府内状況について、こう釈明した。
原子力災害対策特別措置法では、事業者とのやりとりは経済産業省原子力安全・保安院を経由して行うと規定している。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)などによると、菅氏は「原子力に詳しい」と自任。計器を動かすために必要な蓄電池の大きさを担当者に電話で確かめるなど、細部に口を出した。事故当時、官邸で事故対応に当たった官僚は「首相の執務室からは時折怒声が聞こえ、誰も近寄りたがらなかった」と振り返る。民間事故調は「トップが現場介入することのリスクを教訓とすべきだ」と結論づけた。
事故を受け、政府は環境省の外局として規制庁を設置する法案を今国会に提出。自民、公明両党は、政府案では規制庁の独立性が不十分として、環境省所管の独立機関「原子力規制委員会」を設け、この下に規制庁を置くとの対案を決定した。
原発の立地数が世界1、2位の米仏は委員会方式を採用。米原子力規制委員会(NRC)のマグウッド委員は「事故現場は事業者、住民の避難は州知事が一義的な責任を負い、NRCはそれを支援する。ホワイトハウスが意思決定に関与することは期待されていない」と話す。
諸葛宗男・東京大特任教授(原子力法制度)は「首相の介入は望ましくないが、事故への備えをしてこなかった表れだ。政府と事業者の役割分担を明確にし、事業者が対応能力を高めるよう政府は日常的に監督する必要がある」と助言する。【岡田英、西川拓】
クローズアップ2012:国会事故調、菅氏聴取 全体統括、意識乏しく−−中西寛・京都大教授(国際政治学)
http://mainichi.jp/opinion/news/20120529ddm003040125000c.html
毎日新聞 2012年05月29日 東京朝刊
安全保障や危機管理に詳しい中西寛京都大教授(国際政治学)に聞いた。
◇
国会事故調のやり取りで感じたのは、菅直人前首相が未曽有の複合災害に振り回され、後追いを続けたということだ。早い段階で情報収集と指揮命令の系統を確立すべきだったのに、菅氏の発言からはそうした意識はうかがえなかった。
菅氏は、東京電力や経済産業省原子力安全・保安院、内閣府原子力安全委員会の幹部から「原子力ムラ」の雰囲気を感じたようだ。その猜疑心(さいぎ )から、菅氏は個人的な助言者を次々に求めた。多くのアドバイザーを得ようと考えたのだろうが、さまざまな意見が錯綜(さくそう)し、かえって官邸内の方針が混乱している印象を与えた。菅氏は今になっても、こうした行動のマイナス面に思いが至っていないようだ。活動家として先頭に立った経験はあっても、全体を統括する経験は乏しく、その能力に問題があった。
また、菅氏は1号機の海水注入中断指示をめぐる混乱について「東電の武黒一郎フェローがやめさせた。全く理解できない」と批判していたが、菅氏と東電首脳部の信頼関係の欠如を改めて印象づけた。
触れられなかった重要事項も多かった。例えば首相官邸に米国の原子力専門家を常駐させることを、菅政権が断った事案について、ルース駐日米大使との連絡を含め丁寧に検証する必要がある。核燃料プールを冷却するために消防隊、自衛隊などを投入した判断についても聞きたかった。【聞き手・中川佳昭】
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