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医と法:被曝を機会に深くやさしく考える(1)・・・法を無視する医
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平成24年5月26日 武田邦彦(中部大学)
【307】 医と法 : 被曝を機会に深くやさしく考える (1) ... 法を無視する医
原発事故以来、緊急避難の方法として私は「被曝限度は法律を守ること」というのを第一にしてきました。この法律とは「事故後の特別措置」ではなく、「事故前に国民を被曝から守る日本の法体系」を信じようということでした。
でも、すでに原発事故から1年余が経ち、緊急避難というより「本当に、福島や関東は危険なのか? それ以外の土地はどうなのか?」を考える時期に来たと思います。つまり、法律ばかりではなく、本当の医療として被曝と向き合う必要が生じてきたということです。
これを「専門職」という点から整理をしてみたいと思います。
この世には「専門職」、もしくは「聖職」というものがあります。たとえば、人の魂を救う宗教家、人の体を傷つけて治療する医師、時によって人を死刑にする裁判官、そして、人の魂を育てる教師などです。これらの人が「人格の低い人」だったり、「自分のことだけを考える利権派」だったら、専門家に何かをしてもらう人はとんでもないことになります。
たとえば、医師が出血を止めれば命を救うことができる救急患者を前にして、「5時になったから帰る」と言って去ってしまったり、それほど極端ではなくても、「おそらく後、2時間でお亡くなりになる可能性がありますが、今日は私は会合があるのでこれで治療は止めます。治療を続けたらお亡くなりにならないかも知れませんが、私も労働者なので」などと言って帰ったらご家族はどんな気持ちになるでしょうか?
でも、その医師も言い分があります。実は重症患者が続き、昨日からすでに36時間も連続的に治療をしており、ヘトヘトです。世の中の人は退勤時間になれば帰ることができるのに、なぜ自分だけが仕事を終わることができないのか? そんなに給料も多くないのに・・・と思うのですが、それこそが「聖職」なのです。
私も教育者として、医師ほどではないのですが、学生の人生相談でどんなに疲れ切っていても夜、10時、11時と帰ることが出来ないことあります。目の前に悩んでいる学生を前にして離れることは出来ないのです。
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このような専門家は、社会の尊敬を得ることができることと、その専門性から自分たちが守るものが決まっています。それが私がいつも使う次の図です。
詳しいことはすでにこのブログに載せたので割愛しますが、裁判官は「正義」、医師は「命」、教師は「知」が、その専門家の命令者です。国立病院の医師が野戦病院で治療に当たっていたときに、敵兵が負傷して担がれてきた。この敵兵を助けるのか、殺すのかという問題を考えてみるとすぐわかりますが、医師は「国家」の上に「命」がありますから、敵兵を助けます。
高等学校の教科書に「温暖化すると海水面が上がってツバルが沈んでいる」という記述があり、私が教科書会社に「これは「知」から言って事実ではない」と言いましたら、教科書会社は「環境白書に書いてある」と言い、私は「教育は「知」であり、政治は無関係」と抗議したことがあります。
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これと同じ難しい問題は「医は違法行為ができる」という問題で、これを「医の法への不服従」と言います。ナチスドイツの時代に多くの医師が「ナチスの法律を守る、人の命を殺めた」と言うことがありました。今での「医は法に従うべきか」という議論が残っていますが、もちろん、「医の命令者は命だけ」ですから、命に反したら医師は法を無視しなければなりません。
その意味では簡単なことで、医師の最高指導者は「命と健康」だからです。それと法律が相反したとき、医師は無条件に「命」に従う必要があり、それを社会は批判できません。つまり、「足を切断するべき患者さんの足を切断するのは「法律に認められているから」ではなく、「医の命令者が命だから」なのです。
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ところで、福島原発事故で、法律が1年1ミリ以下となっているのに、1年100ミリでも良いと言った医師がいます。この医師は医師を廃業するべきとブログに書きましたが、まず第一に医師は「命」の命令に反さない限りにおいて「医に関する法律」を守る必要があります。その上で、法律が不十分なら法律に反しても「できるだけ被曝しない方が良い」と言うべきです。でもこれも日本の法律では「被曝は可能な限り減らすこと」という法律がありますから、問題はありません。
さらに、「被曝を心配するより、気楽に思った方が良い」というのは医の倫理には当てはまりません。医というのは「直接的な治療を優先する」という原理があるからです。医師が安楽死をさせるのが認められないのは「その人がいつ死ぬのが幸福か」という判断を医師がするのは不適切であると考えられるからです。
医師から見ると、苦痛の中で生きるより注射一本で楽に死ねると思うけれど、医師は「直接的治療」が第一だから禁止されています。つまり「被曝を避けさせる」のが医師の役目で、「被曝を心配するより、気楽に構えていた方が病気にならない」というような論理を持ってくると、医師の専門性を放棄することになり、その結果、アドバイスも出来ないということになります。
インフルエンザが流行している時に「学校に行かないと友達関係が悪くなるので、インフルエンザにかかっても良いから学校に行かせなさい」というのは医師のアドバイスではありません。このようなことは教師にも常にあって「この学生にこのことを教えて何になるのか」と言うことではなく「この学生にこの知を教える」ということに徹する必要があるからです。
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今回「医の倫理」として、正義を命令者とする裁判官(法を守る)と命を命令者とする医師の倫理が相反した場合(ナチスの殺人命令、あるいは福島の被曝を勧める医師の行動)について、倫理が相反した場合、専門家は自らの命令者に従うべきであり、それによって違法性を追求されないことを示しました。
日本の医師会が「法に従う」ことを宣言しているのは、日本がナチスのような歴史を経験していないことによります。でも、戦争前には日本軍部による人体実験命令などがあり、今回の福島原発による被曝は日本としては第2回目になります。日本の専門職の制度を正常に保つために、日本医師会がさらに研鑽されることを期待します。
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