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2012年5月25日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012052502000129.html
東京電力福島第一原発事故で、小佐古敏荘(こさことしそう)内閣官房参与(当時)らの「助言チーム」が昨年三月末、高い放射線量が計測された福島県飯舘村への立ち入り制限を政府に提言したにもかかわらず、政府が避難の対象区域とするまで三週間以上を要したことが分かった。その間も多くの村民が村にとどまり、無用の被ばくをした可能性がある。
助言チームは、官邸の信頼を失った原子力安全委員会に代わる提言機関として昨年三月十六日、当時の菅直人首相の要請で発足。小佐古氏や近藤駿介原子力委員長、原子力に詳しい民主党の空本誠喜(そらもとせいき)衆院議員らが提言づくりに参加した。
三月中旬以降、原発から二十〜三十キロ圏の屋内退避の対象区域より遠くでも高線量が計測されたが、安全委事務局は二十二日に「区域の変更は不要」との考えを国の原子力災害対策本部に示した。
これに対し助言チームは二十四日、避難区域見直しの検討を官邸に提言。三十一日には「(三十キロ以遠の)立ち入り制限措置を至急決定すべきであり、強く提言する」と、異例の表現で訴えた。特に飯舘村の名を挙げ「立ち入り制限を検討すべきことは、文部科学省の土壌モニタリングの結果から明らか」だと指摘している。
文科省の計測で、実際に原発から北西に三十三キロ離れた飯舘村長泥(ながどろ)などで線量が高くなっていた。だが、災害対策本部が避難区域見直しの助言を安全委に要請するのは、四月十日になってから。政府は翌日、安全委の助言に基づき、五月までに避難するよう求める計画的避難区域などの設定を発表したが、対象区域の発表は四月二十二日にずれこんだ。
飯舘村は事故後、希望する村民の自主避難を支援したが、三月三十一日時点で、三分の二が村内にとどまっていた。門馬伸市副村長は「すべてにおいて情報が遅かった。もう元には戻れないのだから、今さらどうしようもない」と話した。
助言チームから立ち入り制限が提言されたことは、知らなかったという。村の一部は年間線量が五〇ミリシーベルトを超え「帰還困難区域」となる可能性が高い。
災害対策本部の事務局を務める経済産業省原子力安全・保安院の担当者は「提言を受けて検討を始めたが、検討に時間がかかった」と釈明している。
助言チームの座長だった空本氏は「縦割り行政で責任の所在があいまいだった。官邸がしっかり対応すべきだった」と、提言が迅速に生かされなかったことに苦言を呈した。
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