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原発再開の最低条件(5) 国民の合意
http://takedanet.com/2012/05/post_05b3.html
平成24年5月24日 武田邦彦(中部大学)
【301】 原発再開の最低条件 (5) 国民の合意 / 武田邦彦
体調管理に失敗し、皆様にご心配をおかけしました。まだ本格的ではありませんが、今日から助走に入りたいと思っています。ところで、臥している間に北九州で瓦礫の焼却がはじまりました。日本人にとってこの事件は深い傷になるでしょう。
事故の前、少し乱暴な言い方ですが、「安全な原発を目指そう」という人はほとんど見られず、「どうしても原発を運転する」という人たちと、「どうしても原発を阻止する」という人たちのいがみ合いでした。事故の後も同じような感じです。
私は「原発は安全でなければダメになってしまうから、推進派も反対派も同じはずだ」という立場でしたが、事故前も少数派、今でも少数派です。
なぜ、同じ日本列島に住んでいるのですから、他人の意見を尊重して話し合いのテーブルに着かないのでしょうか? かつての推進派の考えは「どうせ、反対派と話しても意味が無い。なんでも反対だし、もともと科学のことなどわからないのだから。原発が安全だということがわからないし、日本の国際競争力がどんなものかもわかっていない」ということで、政府要人、東大教授、原発関係者などがこのような考えでした。
でも、この考えの中で、1)原発が安全だ、ということと、2)もともと国際的には日本の電力は高いので考え直さなければならない、という点について、今回の事件で主張出来なくなったのです。ですから、推進派の人は「反対派は科学がわからない」という考えを少し後退させて話し合いのテーブルに着く必要があるでしょう。
一方、反対派の中で「原発が安全かどうか考える必要は無い。もともと核エネルギーを人類が利用する自体が誤りだ」というということを強く言う人がいますが、それは少し後退できないでしょうか?
人間は原始人から見ると「やってはいけない」ことを次々とやってきました。空を飛ぶヒコーキ、人間が箱の中で歌うテレビ、どこでも人の声が聞こえる携帯電話、人間の体に若干の影響を及ぼす電子レンジ、自然の水ではなく塩素を入れて殺菌する水道、食料の6割を輸入してそのうちの半分を捨てる日本人・・・一つ一つを採ってみると「そんなことしないほうが良いのに」と思うものでも、全体として必要なものとして受け入れてきました。
もちろん、これらのものは人間の文明を破壊する可能性もありますが、大きくは日本人が合意して日常生活に取り入れているものです。反対もありますが、民主主義ですから全体で合意して、部分的には手当をするという感じです。
ところが原発については、「最初に結論ありき」で対立するものですから、有意義な対話ができません。でも、民主主義というのは、お互いの「違い」について「同意する」のではなく「違いがあることを認める」ことから始めて、「どこが違うのか」を確認し、「それが克服できるものか」を議論し、「克服できなければ多数派の意見を取り入れるが、少数派にも配慮する」というプロセスを守ることです。
2010年だったと思いますが、私は原子力委員会の研究開発部会で「原子力関係者は原発が安全だと思っているが、国民の多くが危険だと思っているのだから、「危険だ」という立場で研究費を出したらどうか」と発言したことがあります。この発言は採用されませんでした。
日本にはまだ「自分と違う考えがある」ということ自体を認める習慣がないように思います。原子力委員会は原発推進(原子力利用)の立場ですが、原発が危険であれば推進できず、国民の不安を取り除くことが大切だからです。
私の提案に対して、委員長が「広報活動をやります」とお答えになったので、私は「広報活動ではありません。私たちが原発は危険だという前提に立つのです」と説明しましたが、理解されることはありませんでした。「原発は危険だ」というのは「科学」ではなく「思想」の問題とされたのです。
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いろいろな反論があると思いますが、今回の原発事故は私たち大人が「我を張っている」間に原発が爆発し、その被曝は子ども達が受けています。今回の北九州における瓦礫(低レベル廃棄物)の焼却は、その狂気が続いていることを示しています。
素直に考えれば、放射性物質で汚染されている瓦礫を東北から遙か九州に運び、そこで焼却するなどということは考えられません。私の知っている東北の人は震災の被害でも他の地域や国から多くの援助をいただいたことに感謝しています。原発も自分たちが受け入れたことは間違いないので、それについての判断に責任を持とうとされています。
決して、東北の人が他の地域に被害を与えようとしているのではないと私は思うのです。この際、東北の人から「他の地域の人がいやがっているのだから、自分たちで処理する」と言ってください。
九州に瓦礫を運んだ第一の理由は、政府のメンツ、第二の理由は九州にお金が行ったということと思います。この二つははたして日本の将来を明るくするものなのでしょうか? 私は瓦礫を運搬するのに携わった「瓦礫運搬派」の人にもう一度、考えてもらい、九州にも汚染を心配している人がいて、その人達は「考えが足りない人たちではない」と思ってもらいたいと願います。
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