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東電社長への手紙
2012.05.14 Monday
原発から3キロほどのところに住む農家の方から手紙をいただきました。
この手紙は僕に宛てたものではなく、東電の社長宛てに出したものだそうです。
「これまで4回出しました。でも一度も返事はもらっていません。私の気持ちを書いただけで、変なことを書いているつもりはないのですが、なぜ返事をいただけないのでしょうか」
ご本人から、「ぜひ公表してください」といわれましたので、
今回、その4回目の手紙を転載させていただくことにしました。
<東京電力社長西澤俊夫殿
私が社長に手紙を書くのが之で4回mです。被害者である私の手紙など一度も見たこのないのでしょう。被害者を人間としてみているのでしょうか?少しは私たちの気持ちを考えてください。
東日本大震災・東京電路区福島台地原発事故から一年が過ぎようとしています。私たちは原発事故により避難させられ賠償問題、補償も進まず長いとんねんるを抜け出せずに避難生活を送っているのです
。日増しにストレスが高まっていくばかりです。
振り返ってみると原発建設の話が持ち上がったのは50年位前だったと思います。そのころ私はまだ中学生でした。大熊町、二葉町の町民は誰もが原発という知識もなくこんな事故が起こるとは夢にも思わなかったと思います。
これといった産業もなく農家の働き手は農閑期になると出稼ぎにいき、残る主婦が田んぼの手入れをして収入を得ていました。原発建設により働く場所ができ収入が増えると思い誰も反対しなかったと思います。用地も塩田、飛行場跡地でほとんどが西武鉄道の所有地であり個人所有地もある一部分を除き「高く買ってもらえる、働く場ができる」ということでスムーズに用地買収が進んだと思います。また東電の社員として雇用してもらうことを条件に買収に応じた人もいたと聞いています。反対して買収に応じなかった土地は建設の支障がないと買わない土地もあったようです。
当時の大熊町、二葉町の両町長も東京電力に対して「原発を作ってください」」と積極的に誘致をしていた記憶があります。実際、大熊町は当時人口が6000人ほどでしたがその後11500人まで膨れ上がりました。駅前通も夜はほとんど人通りがなかったのが原発ができたことにより、飲食店は夜遅くまでにぎわうようになりました。また脳かも働く場ができ、出稼ぎをすることもなくなりました。町も東電による税収が増え潤ってきたのです。私も高校を卒業して何年経ってzる企業の下請けに就職にして原発建設に携わるようになりました。原発建設に携わった私でも原発は安全であると思い込まされ、これほどの事故が起こるとは思いませんでした。
東電社員として採用された地元の人も東電社員になれたということで鼻高々にしていた人もいます。またよそから赴任してきた東電社員も若くして土地を買い求め家を建てた人が多かったようです。「われわれの会社が大熊町の財政を支えているのだ」という考え方で地元町民を見憂く出したような東伝社員も多々いたように思われます。
大熊町も電源三法交付金、東電の寄付によるいどんどんとハコモノを建ててきました。東電からの税収により地方交付税交付金の交付もなくなるくらい裕福な町になっていったのです。近隣する町も競ってハコモノを建てました。元双葉町長は県議会議員時代、社会党に属し原発反対を訴え続けてきたのですが次回県議選からは落選を繰り返し、あることをきっかけに社会党を脱退、当時双葉町長が不正疑惑で任期半ばで辞職した際、地元住民からの後押しを受けて立候補し当選しました。原発反対が一転し原発との共生を打ち出したのです。隣町に負けずと公共設備、ハコモノ建設に突き進んだのです。結果として財政困難に陥り原発税収、補助金に頼らざるを得なくなり、7,8号機の増設推進をして収入を得るしかなくなったのだと思います。
「原発は五十の壁により守られていますので絶対放射能漏れはありません。安全です」と宣伝をして安全神話を作りあげていきました。定期点検時のデータ改ざんがあっても危機感をまったく感じなかったのです。またトラ物があっても必ず最後には「放射能漏れはありません」という報道で締めくくられ安全であるということをアピールしていたのです。それを信じていた私たちが悪かったのでしょうか?
ある時期、原発反対運動で「福島第一のあるばしょは双葉断層があるから危険である」という意見が出ていたと思います。そのときも「地質調査おこなっても断層はないので安全である」といっていたと思われます。また「文科省の地震調査委員会が東北地方巨大津波についての報告書の『いつおきてもおかしくない』という調査結果についても東電など3社により『切迫殿より高い東海地震と同じ表現を使うのは不適切』といい表現を直させました。そして報告書には宮城県などを襲った貞観地震津波の新見地を反映させた地震の長期評価についてで事務局が津波などへの警戒を促す表現について後退ともとれる修正を加えた」という報道もありました
またある新聞報道によると「最悪の原子力災害を起こした東電は当初『想定外』としていたが実は2002年7月にまとめられた政府の地震調査研究推進本部の報告に基づき10メートル超の津波がお塩寄せる可能性を試算していたことを明らかにした。報告書つくりに携わった地震予知連会長は『東電は最低限の安全対策すら採らなかった』と厳しく糾弾する」とありました。また2008年8月にも10メートル超の津波を試算していながら保安員に報告したのは大震災の起こる直前だったというではありませんか。これを報告して対策を採ればこの事故は起こらなかったでしょう。
今回の事故に関しても東電より「福島第一5号機6号機は壊れませんでした。もし地震だけで津波がなかったら1〜4号機も被害がなかったでしょう」などと言う発言がありましたが1号機の件背tから5、6号機の建設まで何年経っているのですか?経年劣化もありまた当時の技術的な違い作業員の技量の違い、検査の仕方など、いろいろ違いがあったと思います>
地元の方だけにいろいろな示唆にとぶ手紙だと思います。
この続きはまた次回へ。
(* 明らかに入力ミスと思われる個所がありますが、直さずに貼り付けました)
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- 東電社長への手紙A(つぶやきいわぢろう) gataro 2012/5/15 16:34:33
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