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(2012年5月6日午前9時08分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/34564.html
1970年3月14日、福井から大阪万博会場に「原子の火」が送られ新時代が開けた。あれから42年。北海道電力の泊原発3号機が定期検査に入り、日本の電力を支えてきた原発が全停止。異常な事態である。東京電力福島第1原発事故の収束に向けた対応や国内原発をめぐる混乱から見えてくるのは、安全装置のコントロール機能不全、「政治的人災」ともいうべき国のお粗末な状況だ。
国際社会に安全をアピールしてきた日本の原子力政策が破綻し、克服できない現実を示す象徴的な日である。政府は電力需給が厳しい関西圏へ向け、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に必死だが、ますます強まる政府への不信感が安全対策の信頼性を低下させ、地元同意を一層困難にしている。今後のエネルギー政策が定まらない中で原発の暗闇は広がるばかりである。
■地元は真剣に議論■
全電力消費の3割を担う基幹電源の原発が全停止するのは、一時的なのか。枝野幸男経済産業相は先月の講演で「5月6日から一瞬ゼロになる」と発言し、物議を醸した。
本県や地元おおい町は福島事故発生直後から緊急対策や安全基準を示すよう国に再三要請。一定の対策が示されると、県原子力安全専門委員会などで検証を重ねてきた。地元説明会では経済面と安全面の板挟みで苦悩しながらも率直な意見を述べる住民の姿があった。隣接の小浜市でも真剣な議論を行っている。
経産相の「一瞬」発言は原発再稼働を安易に考えたものか。政府の描くスケジュールに乗せようとするなら、勘違いも甚だしい。「停止は集団自殺」と言い放った民主党の仙谷由人政調会長代行は枝野氏とともに本県を訪れ、民主党県議らにプレッシャーを掛けた。暮らしや経済への影響があるとはいえ、一度「脱原発依存」を明言した民主党政権が再稼働へ政治力を駆使する状況に、国民の戸惑いや反発は強い。
■得られない安心感■
脱原発を明確に掲げ、過激な発言を繰り返すのは橋下徹大阪市長だけではない。隣県からは「もし福井県で事故が起きれば琵琶湖が汚染される」、名古屋からも「水源の木曽川上流が汚染される」と不安感を増幅させる政治的発言が相次ぐ。福島のような事故が起きれば真っ先に深刻な被害に遭うのは地元である。多様な意見があって当然だが、地元が丁寧な安全検証と議論を重ねる環境づくりも必要なのではないか。
事故の再発防止へ向けた専門的論議は、当初の暫定対策論から過酷事故の絶対防止へ格段にステップアップ。関電が「福島のような事故は起きない」と強調しても、重要な対策が中長期対策になっている限り、安心感を与えられなくなっているのも事実だ。地元町会や県会は近く本格協議に入るが、課題置き去りの拙速な結論ならば県民の納得を得られないだろう。よほど覚悟が必要だ。
■ウミを出し尽くせ■
「起こるはずのない」「起きてはいけない」事故の発生は、原子力安全規制のずさんさが露呈した瞬間でもあった。場当たり的な政府の初期対応、遅れた情報開示、事故責任が問われる経産省原子力安全・保安院が政府と一体化し、再稼働へ向けた新安全基準を自前でつくる矛盾、ダブルチェックの役割を放棄した原子力安全委員会、それに代わる原子力規制庁設置の大幅な遅れ、40年以上たっても漂流する核廃棄物。
再稼働に影響を与える福島事故検証は政府や国会、民間でも多角的に実施しているが、結論は出そろっていない。耐震安全性の見直しや津波対応、国の防災指針も明確でなく、地域防災計画も進まない。
安全の根拠と責任の所在はどこにあるのだろうか。原発リスクを地方に押しつけてきた消費構造を見直し、再生可能エネルギーへシフトする努力は不可欠だ。しかし、議論の短絡的な飛躍は現実を見失う。
原子力政策のウミを出し尽くし、安全の再構築が可能かを冷静に見極める英知と技術力が必要だ。重大な転換点に立ち、問われているのは、なすべきことをやり抜くごく当たり前の力ではないか。(北島 三男)
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