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放射線教育に苦悩する福島県の教員たち(東京新聞)
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5月3日 東京新聞「こちら特報部」:「日々担々」資料ブログ
東京電力福島原発事故から一年余、福島県の教員たちは前代未聞の事態を前に、懸命に教育を守ろうと闘ってきた。国主導の放射線教育が全国的に実施される中、それをどう教えるのかという一点でも、日常的に被ばくの危険を抱える現場では悩みが尽きない。同じ県内でも、地域ごとに抱える問題は異なるという。
「当たり前」が失われた福島の教育現場で、暗中模索する教員たちの声を報告する。 (中山洋子)
「学校再開といっても、すべて現場任せ。教材も警戒区域の学校に取りに行くしかなかった」
福島県教職員組合が先月二十九日に郡山市で開いた教育研究分科会で、浪江中(浪江町)の坂本貴光教諭(37)は「授業以前」の状況に言及した。
震災時は浪江東中(同)で三年生を担任。車で寝泊まりしながら避難所を回り、生徒の安否を確認した。二人の生徒が自宅で津波に流された。しかし、原発から十キロ圏内にあり、避難指示で救助に行けなかった。
昨年四月中旬に形見の品もない遺族のため、教員仲間とともに学校に遺品を探しに戻った。「習字などの掲示物を泣きながらはがした」
夏休み中に、二本松市の廃校で学校は再開されたが「何もないところから、学校をつくらなければならなかった。必要な教材はなく、お金もない。除染さえされていなかった」と振り返る。
結局、同僚と計七回、警戒区域にワゴン車で入り、浪江、浪江東両中学校に残っていたピアノやテレビモニターのほか、清掃用具まで運んだ。
警戒区域内は手持ちの線量計で、一時間あたり八〇マイクロシーベルトを超えていた。その数値を見て「何のための学校再開か。私たちには人権がないのか」と情けなくもなった。
そんな被災地でも、放射線教育が始まる。
「原発城下町」ゆえ、生徒たちの家族が東電社員や下請け業者というケースも少なくない。事故収束にあたる親と離れて暮らす子や親が失職してしまった子もいる。
「浪江の子どもたちに原発の賛否は問えない。今後、地元に帰る機会すらないかもしれない子どもたちが、故郷を思って『事故を片付けなければ、日本が終わる』と張り詰めたままでいる。この子たちにとっての放射線教育とは、まず生きる力を付けさせることだ」
県内の教育現場が直面している課題は、被災の中身や程度が異なる地域ごとに違うという。
ただ、違いは地域差だけではない。郡山市の石川晃民教諭(52)は「子どもを屋外に出してほしくない親もいれば、積極的に外で遊ばせてほしい親もいる。牛乳を飲ませるか否かも家庭によって異なる」と、混乱した状況を吐露する。
それでも郡山市内の学校では三月末まで、屋外活動が制限されていただけに「『土手には触らない』といった安全教育はきちんと指導しなければならない」と話した。
「いたずらに、子どもたちに恐怖を与えたいわけではない。しかし、安全な生活だけはさせなければならない」
事故はいまだ収束していないが、県内各地では昨年度から、子どもを守るための放射線教育が試行されている。
県教委も昨年十一月に文部科学省の副読本に基づいた指導資料(授業計画)を作成した。だが、副読本、指導資料ともに原発事故には触れていなかったため、「福島の実情には合わない」といった批判が殺到した。
県教委義務教育課の担当者は「子どもの健康管理に絞って放射線教育の指導案を急いでまとめたが、改訂する。原発事故の影響に触れないでもいいとは考えていない」と話す。改訂版は今年九月をめどに、県内の実情に合わせてまとめる予定という。これとは別に、福島市も独自の指導案を検討しているという。
県教組も、文科省の「放射線教育」の内容が、事故前と同じ原発推進の理念に基づいていると批判。県教組内に昨年十一月、放射線教育対策委員会を十六人の教員らで発足させ、独自の指導案を検討している。
同委員会の国分俊樹事務局長(49)は「文科省は昨春、福島の子どもに年間二〇ミリシーベルトもの被ばくを許す判断をした。そのときの不信感は今も消えていない」と指摘する。
同委員会の分析によると、県内では放射線管理区域に相当する毎時〇・六マイクロシーベルトを超える地域に、県民の約八割にあたる百六十万人が暮らしているという。
「事故後、避難できる人たちはとっくに逃げている。当然、できなかった人たちの悩みは尽きない。教員の疲弊も限界。どこかで感覚を鈍らせないと生活が成り立たないという現実がある」と語りつつ、福島の放射線教育をこう描く。
「原発の是非は、事実を伝えて子どもたちの判断に委ねるしかない。それより、子どもたちが将来、直面しかねない就職や結婚などの差別に立ち向かう心と技術を身に付けてほしい。福島の放射線教育とは、人権教育にほかならない」
<デスクメモ> 現実を直視するのはつらい。福島に暮らし続ける住民は被ばくの過小評価を求めがちだという。その気持ちは責められない。ただ、ある教員は組合機関紙に「加害者と被害者の『利害の一致』が恐ろしい」と記した。政府の意図的ともみえる住民への無策はそうした結果を織り込んでいるのではないか。 (牧)
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