106. 2012年5月05日 02:58:56
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原発から放出された放射性物質には、わずかながらストロンチウムなどもあります。しかし健康に影響を与えるほどの量ではないため、問題になってくるのは事実上、ヨウ素とセシウムだと言えます。そして、半減期が8日のヨウ素は今となってはすでに消滅しましたから、いま問題となっているのはセシウムです。 このセシウムが国の規制値を超えて検出された牛肉や静岡のお茶など、食品への不安が高まっています。原発から出た放射性物質が首都圏を飛び越え、静岡に到着したのも、やはり風の影響です。 原発事故で放出された放射性セシウム137は、半減期が30年という長さを持つ物質です。体内に入るとほぼ100%が胃腸から吸収されます。ただし、身体の細胞は常に入れ替わっていますから、セシウムの場合は、大人ではだいたい2か月から3カ月で半分が排泄されます。乳児の場合は10日で半分になります。 チェルノブイリの経験から考えてみます。 原子炉の爆発でヨウ素とセシウムは広範囲に飛散しました。その結果、牛乳の摂取を通じてヨウ素による小児甲状腺がんの増加は確認されました。 チェルノブイリでは、食品の規制が行われませんでしたから、セシウムによる内部被ばくも起きてしかりです。現地入りした科学者たちが、子供を中心に約20万人の体内セシウムを調べたところ、事故を境にセシウム137が数百ベクレルから数万ベクレルに増えています。 しかし、何らかの病変があったかというと、セシウムが原因と考えられる発がんは確認されていません。ヨウ素による小児甲状腺がんがわかったのみで、セシウムによる影響は認められていないのです。 なお、セシウムは同じアルカリ金属のカリウムと似た物質です。福島で検出された放射性セシウムよりはるかに多い放射性カリウムが私たちの身体に存在します。セシウムによる内部被ばくを過剰に心配する必要はないと思います。 チェルノブイリ原発事故で亡くなったのは、事故直後、直ちに原発へ駆けつけ、鎮火作業などに当たった所員や消防士です。 決死隊として飛び込んだ彼ら134人は1000〜8000ミリシーベルトの大量の放射線を被ばくし、うち28人が急性放射線障害によって事故から3カ月以内の間に死亡しています。 残りの22人が事故から25年の間に死亡しています。発がんが原因と推定される人もいれば、心臓疾患で亡くなった人もいて、原因はさまざまですが、各人詳細に特定されています。この50人を除いた残りの人たちは存命です。 つまり、134人中、原発事故によって亡くなった人の人数は50人ということです。 ロシアの原子力専門の科学者によると、事故処理の作業者(決死隊134人とは別。原発から30km圏内で働いた作業者)、一般市民を含めて今でも記録を取られている人が50万にいて、このうち198人が事故から25年経つ間に白血病で亡くなっています。 198人全員が事故の影響によるがんかというと、そうではありません。血液のがんと言われる白血病は、普通に暮らしていている人でも発症します。 198人のうち、事故の被ばくによるものと推定される白血病の死亡者は80人です。これは一般市民ではなく、原発から30km圏内の事故処理作業者です。 では、一般市民への影響はどうだったのでしょうか。 さまざまながんが増えるのではないかと危惧されましたが、増加が報告されているのは唯一、小児甲状腺がんだけです。 甲状腺がんはヨウ素が原因です。チェルノブイリは黒鉛式の原子炉ですから、爆発によりたくさんの黒鉛が燃えました。黒鉛を含む煙の柱は上空1.5kmまで到達しています。煙はヨウ素など放射性物質を含んでいます。風に乗って飛散し、原発から250kmも離れた場所でも、高濃度のヨウ素が検出されています。ヨウ素は揮発性があり、大気中に放出されると風に乗って遠い場所まで運ばれます。雨が降る空を漂えば、水滴に溶けて地上まで到達します。福島の原発事故でも原発から離れた首都圏でヨウ素が検出されたのはそのためです。 チェルノブイリ原発事故により広範囲に飛び散ったヨウ素による被ばくで、甲状腺がんを発症した子供は5000人に上り(2006年時点)、このうち9人が死亡しました。 事故から25年を数える2011年では、約6000人ががんの手術を受け、うち15人が亡くなっています。 甲状腺がんは治療から5年後の生存率が95%以上と高く、「治るがん」の代表と言えるものです。 チェルノブイリと福島はよく比較されますが、大きな違いがあります。 チェルノブイリは運転中の原子炉自体が爆発し、ありとあらゆる放射性物質が外部に飛び出しました。福島は原子炉とそれを取り囲む格納容器は残っており、格納容器を覆う原子炉建屋が水素爆発によって破損しました。 少し工学的になりますが、日本の原発は、核分裂してエネルギーを生む燃料を原子炉の中に閉じ込め、それを格納容器が取り囲み、さらに外側を原子炉建屋で覆うという構造になっています。チェルノブイリは格納容器がなく、爆発した原子炉を閉じ込める機能の一つがなかったのです。 チェルノブイリでは、牛乳などに対する規制が遅れ、多くの子供たちが10シーベルト(10,000ミリシーベルト)以上といった莫大な線量を甲状腺に浴びてしまいました。 当初、事故そのもが隠され、計画的な避難や、放射性物質に汚染された食品や牛乳の摂取制限も実際には行われなかったのです。避難するべき場所でも、住民は日頃と変わらぬ生活を続けていました。事故は1986年4月26日に起きましたが、1986年5月1日のメーデーでは放射性物質が出ているのに、多くの人が街頭行進をしています。政府は食の安全を確保したと言いながらも、村々では日頃と同じものを食べる暮らしが続いていたのです。 一方、福島では、事故直後から、避難や牛乳などの食品に対する規制が行われました。そのため、半減期が8日と短く、’初動’対応が大事なヨウ素についても、被害は最小限に食い止められました。実際、福島の1,000名を超える子供たちを対象に甲状腺の被ばく量を測定した結果、最大でも35ミリシーベルトに留まることがわかっています。チェルノブイリの被ばく量とはケタが3つ違いますし、甲状腺の被ばく量として、50ミリシーベルト以下ではがんは増えていません。 放射性ヨウ素はほぼ甲状腺だけに被ばくを与えますが、チェルノブイリでのセシウムみよる全身の被ばく量は、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は10〜20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されています。 しかし、セシウムによる発がんは、25年以上経過した現在まで確認されていません。福島では、セシウムによる被ばくもはるかに少なくなっていますから、どんながんも増えることはないでしょう。 ロシアではチェルノブイリ原発事故が起きた1986年頃、平均寿命は65歳だったのですが、これが1994年頃には58歳と、7年も短くなりました。ウクライナやベラルーシでも同じように大幅に低下しています。ウクライナ国立科学アカデミーは「特に高齢者の死亡率が高まった」と分析しています。 チェルノブイリ原発事故で、被ばくが原因と考えられる死亡者は、事故処理の決死隊として原発に飛び込んだ所員や消防士など50人と、事故処理作業に携わり、白血病で死亡した80人、一般市民で甲状腺がんを発症した6000人のうち15人です。甲状腺がんのほか、被ばくが原因と考えられる病変は一般の市民で確認されていません。これらの死亡者数では、国の平均寿命を下げるには至りません。 寿命が短くなった原因のひとつは、事故によって多くの人が悲嘆に暮れ、生きることへの気持ちが弱くなってしまったことだと考えられれます。チェルノブイリの人たちも広島、長崎の知識から放射線の怖さを知っていたはずですから、住民はさぞ不安や恐怖にさいなまれたことでしょう。欧米から現地入りした専門家や医師でさえ、食料や飲料水を持参し、地元の食品には手をつけないほどの状況でした。 人々は不自由な避難先で発がんの恐怖に怯えながら暮らし、職を失う人も相次ぎました。農作物は売れず、雇用は減って人は流出する一方となりました。頼るべきソ連政府も5年後に崩壊するのですから、手厚い支援など期待できる状況ではなかったはずです。 人々は生き甲斐や誇りを失い、経済的にも追い込まれました。自棄になってアルコールに依存する人や、うつ状態になる人、それが高じて自殺する人が出てきたことでしょう。ウクライナでは高齢男性の死亡率が高かったのですが、それはとりわけ男性が、こうした精神的ダメージに弱いからと考えられます。 原爆の後、広島市民は長寿になりましたが、原発事故の後、チェルノブイリでは平均寿命が大きく下がりました。広島では被爆者手帳などによる手厚い医療の力が、大きな効果を発揮しましたが、チェルノブイリでは広島では行われなかった’避難’が、残念なことにマイナスにも働いてしまいました。 チェルノブイリでは、年間の被ばく線量が5ミリシーベルト以上となる地域の住民に強制避難が行われました。これは、福島の計画的避難区域の年間20ミリシーベルトより4倍も厳しい基準です。 しかし、ロシア政府が2011年に公表した政府報告書「チェルノブイリ事故25年・ロシアにおけるその影響と後遺症の克服についての総括および展望1986〜2011」には、’過剰な避難’について、次のような’反省’が記載されています。 「チェルノブイリ原発事故が及ぼした社会的、経済的、精神的な影響を何倍も大きくさせてしまったのは、’汚染区域’を必要以上に厳格に規定した法律によるところが大きい」 また、この報告書では、避難に伴う代償の大きさにも触れています。 「精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限といった事故に伴う副次的な影響の方が、放射線被ばくより遥かに大きな損害をもたらしたことが明らかになった」 チェルノブイリでは、牛乳などの規制がなされなかったため、小児甲状腺がんが増えましたが、それ以外のがんの増加は確認されていません。一方、避難民を中心に、ウクライナ、ベラルーシの平均寿命は、原発事故後に約7年も短くなりました。報告書はこう結んでいます。 「チェルノブイリ原発事故の主な教訓の一つは、社会的・精神的要因の重要性が十分に評価されていなかったことである」 避難によって放射線被ばくは減ったとしても、避難そのものが寿命を短縮させます。見知らぬ土地での孤独、仕事も見つからない経済的な不安、放射線による発がんの恐怖・・・・・ストレスを抱えた、こんな生活が身体に良い訳がありません。 実際、ロシア政府報告書が言及する「社会的・精神的要因」によって、寿命は大きく変わることが科学的に明らかになってきました。 例えば、職業によっても寿命は大きく上下します。英国男性のデータですが、単純労働者の場合、専門職に就く人に比べて、平均で7年以上も短命です。日本のデータでも、所得が低い男性は、高所得者よりも2倍もがん死亡が多いことがわかっています。ちなみに、低所得者層が多い大阪の西成区の平均寿命は全国でも最下位です。 一方、被ばくによってどのくらい寿命が短くなるか考えてみましょう。 チェルノブイリの’汚染区域’の住民640万人の平均被ばく量は10ミリシーベルト程度でした。100ミリシーベルト以下の被ばくでがんが増えるというデータはありませんが、安全を見越して’念のため’わずかな被ばくでもがんが増えると仮定した「直線閾値なし」モデルが放射線防護の基本的な考え方となっています。 このモデルをベースに現代の日本国民を対象にして計算すると、10ミリシーベルトの被ばくによる平均余命の短縮は、約4〜5日となります。これとチェルノブイリの事故後、ウクライナやベラルーシで平均寿命が著しく短くなったことと照らし合わせると、避難のあり方について考えさせられます。 直線閾値なしモデルを提唱する国際放射線防護委員会(ICRP)も、その報告書の中で、「10ミリシーベルトではがんは増えない」と明言しています。また、旧ソ連諸国では、日本ほど長生きではなかったことも考え合わせると、被ばくによる住民の余命の短縮は、ほとんどなかったのではないかと考えられます。 2011年11月15日、低線量被ばくの影響と対策に関する政府の作業部会の第2回会合が開かれ、チェルノブイリ原発事故の健康に与える影響について、専門家と国会議員の間で議論が交わされました。 科学的見地から、チェルノブイリでは、小児甲状腺がんの増加以外には、直接的な健康被害が確認されていないという専門家の発言に対して、議員側からは、「科学的に証明できないからといって、影響がないとは言い切れない」、「科学はもっと謙虚になるべき」などの意見が出されました。また、「避難の基準を厳格化して、年間5ミリシーベルトにする」という提案もなされました。 ただ、この「年間5ミリシーベルト」は、チェルノブイリ周辺で実際採用された避難の基準で、ロシア政府は、報告書の中で、この厳格な基準が’政治的に’導入されたことで、結果的には、住民の平均寿命が大きく下がったことを’反省’しています。健康や寿命に与えるさまざまなリスクを大きな視野で考えることが必要だと言えます。 原発事故という大きな惨事を乗り越えて、私たちは3・11後の日本を生きていかねばなりません。そこで重要なのが情報の格差で、これは健康と寿命の格差につながります。政府とメディアの責任は極めて重大だと言えるでしょう。 「放射能」「被ばく」と聞くだけで、怖いと思ってしまう。それはよくわかります。原発事故の後、西日本へ家族を避難させる人もいました。母国に帰る外国人も相次ぎました。 福島原発から少しでも離れれば安全、という気持ちが働いたのでしょう。しかし、原発事故由来以外の、そして大気圏核実験によるもの以外の放射線が、さらに地球上には存在しており、私たちは日常「被ばくしている」ということをご存知でしょうか。 宇宙からの宇宙線(放射線)は、地球誕生以来、いつも地球に降り注いでいます。大地(岩盤)や鉱物から出る放射線もありますし、大気中のラドンから出る放射線や食べ物に含まれる放射性物質が出す放射線もあります。人はこれらの放射線を毎日被ばくしながら暮らしています。こうした自然放射線によって日本人は年間で平均1.5ミリシーベルトを被ばく(自然被ばく)しています。 この年間1.5ミリシーベルトは、国際的には低い数字です。これは、日本は資源が少ない国であり、放射性物質を出す鉱物もあまりないからです。ただし、地域差があります。西日本は放射性物質を多く含む花崗岩が多いため、平均して東日本の1.5倍と高くなります。自然放射線に限った話なら、西日本へ逃れた人たちは、わざわざ放射線が高い地域に避難したということになります。関東平野は、富士山の噴火によって積もった火山灰地(関東ローム層)が地表にあり、深い地下の岩盤からくる放射線を遮る効果がありますから、神奈川・東京が、日本でもっとも自然被ばくが少ない地域です。 富士山の山頂では大気は薄くなります。大気は地球に降り注ぐ宇宙線の防護膜ですから、山頂では防護の効果が弱くなり、放射線量は平地の5倍にも達します。さらに宇宙空間になると、はるかに多くの放射線が飛び交っています。宇宙に1日いるだけで、地上(日本)にで1年間に受ける自然被ばくの3分の2を受けてしまいます。宇宙飛行士が半年ほどで帰還するのは、被ばく量が限度を超えて、健康への影響が問題になるからです。 自然被ばくを最も避けるためには、海の上で生活することです。宇宙から一番離れていますし、足元に大地がないからです。しかし、船乗りにがんが少ないわけではありません。 日本での自然被ばくは年間1.5ミリシーベルトですが、世界の平均値はもう少し高く、2.4ミリシーベルトとなります。ブラジルのガラパリという場所では年間10ミリシーベルトに達します。南インドのケララ州では年間平均4ミリシーベルトですが、高い地域では実に70ミリシーベルトを超えるのです。放射性物質のトリウムを含む鉱石(モナザイト)が多いためですが、鹿児島大学が行った調査でも、この地域でがんの増加は確認されていません。ラムサール条約で有名な、イランの温泉地ラムサールでは、年間の自然被ばくが200ミリシーベルトを超える場所もありますが、がんが増えたという報告はありません。ちなみに、温泉地は自然被ばくが高くなります。名湯として知られる有馬温泉も「放射能泉」です。 アメリカの自然被ばく量は、年間日本の倍の約3ミリシーベルトです。そして、成田-ニューヨーク間の飛行機での往復で0.2ミリシーベルトの被ばくになります。たとえばアメリカ駐在の商社マンが日本とアメリカを15回往復すれば、日本での年間自然被ばくの2倍にも達します。しかし商社マンやパイロットにがんが多いというデータはありません。 人類に限らず、地球上の生物はすべて放射線を受けながら生きています。生命が地球に誕生した38億年前から、生物はずっと放射線を浴び続けてきました。そして放射性物質は、年々半減しているわけですから、以前は現在よりも自然放射線は高かったはずです。放射線によって細胞が破壊されては、それを修復する生命の営みがずっと続いてきたのです。
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