60. 2012年5月03日 09:31:00
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神戸市立工業高専の一瀬昌嗣准教授(理論核物理学)「核実験の時代にも日本には放射性物質が降ってきており、それによる健康被害は疫学的に確認されていないことも、知っておくべきだと思います」そう話す一瀬准教授によるレポートとは、冷戦時代に米ソなどが繰り返した核実験によって日本に降下した放射性物質と、今回の事故による被曝とを比べたもの。 要は、原爆を除いても、日本人が広範囲にわたり放射性物質による被曝を受けるのは、今回が初めてではないというのだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fimg5.blogs.yahoo.co.jp%2Fybi%2F1%2Fe1%2F8e%2Fddogs38%2Ffolder%2F373448%2Fimg_373448_34772537_1%3F1331226237 一瀬准教授が続ける。「米ソの大気圏内核実験からの放射性降下物は、1949年から日本にも届き始めました。63年に米英ソの間で部分的核実験禁止条約が締結されると、地下を除く核実験が禁止されましたが、中国やフランスはそれに加わらず、70年代にかけても両国の核実験から放射性物質が降りました。が、やはり凄かったのは60年代前半で、日本人の体内セシウム137の量が大幅に増えたことも確認されています。今回の福島の事故で、関東地方でも放射性物質が雨とともに降下しましたが.必要な警戒さえすれば、核実験の際と比べ、内部被曝も健康への影響がない範囲で抑えられると思います」 具体的な数値には少しずつ触れるとして、実は、こうした研究は一瀬氏のオリジナルではない。基礎になるデータを収集していたのは、気象庁気象研究所で、「米ソの核実験が盛んになった1950年代から、塵や雨に混じって地表に落ちてくる放射性降下物を、2m×1.2mの水盤で採取し、その量をーカ月ごとに計測してきました。計測地は東京の高円寺、80年代からは茨城県つくぱ市で、観測してきた降下物はセシウム、ストロンチウム、そしてプルトニウム。観測記録は世界最長です」と、同企画室の広報担当者は胸を張る。 ちなみに今回、各所で多く検出されている放射性ヨウ素は、半減期が8日と短いため、月単位のデータ収集には馴染まないそうだ。 話を続けると、「米ソが大気圏内の核実験を繰り返していた60年代までは、たしかに東京における放射性セシウムの降下量は、今回、福島の事故が起こる前までの1OOO倍以上の数値でした」それどころか、たとえば63年8月に東京都中野区で計測されたセシウム137は、1平方メートル当たり548ベクレルだったが、90年代には50ミリベクレルに満たない月がある。 ちなみに、ベクレルは放射性物質が1秒間に出す放射線の量。そこに”ミリ”が付くと数値は1000分の1になるので、両者の間には1万倍もの開きがある。つまり、高度経済成長真っ只中の東京であなたもまた、平時の1万倍にも上る放射能を浴びていたのである。 しかも、これらのデータを集めるに当たって、なんら作為はなかったようで、「放射能の危険性ではなく、大気や潮の流れを調べるために始まった調査で、特殊な物質をトレーサー(追跡子)にし、その動きを追って大気の流れや混ざり具合を調べていたのです。だから、身体への影響については、放射線医学総合研究所に聞いたほうがいいと思います。ただ、心配になって問い含わせて来られる方には"でも、あなたは癌になっていないでしょう"とお答えしています」(同) 奨められた通りに、放医研規制科学研究プログラムリーダーの米原英典氏にも語を聞いてみた。 「気象研究所のデータにおける、60年から65年頃のセシウムとストロンチウムの降下量を大雑把に捉えると、年間1000ベクレル/平方メートルといったところでしょう。すると、60-70年代における外部被曝は数十マイクロシーベルトに収まると考えられます」 補足すると、シーベルトは放射線が人体に及ぼす影響を表す。話を続けると、「内部被曝については、牛が食べた牧草から牛乳を通じての被曝や、穀物を通じての被曝など、さまざまな経路が考えられるため、すぐに計算するのは難しい。 ただ、それを含めて健康に影響が出る放射線量ではありません。また、当時と比較して今回の事故を見ると.セシウムに関しては数倍にのぼる線量が検出された場所もありますが、健康被害が及ぶほど高い数値ではないと思います」 そして、多くの場所で60年代のほうが、セシウムの線量は多かったのである。 10年以上も高い被曝量が ところで、気象研究所によるこのデータを見たことがある研究者は、なぜか少ない。大阪大学の宮崎慶次名誉教授(原子力工学)も、「そういうものが存在するのは知っていましたが」と、こう続ける。 「改めて聞き、たびたびの核実験で日本に放射性物質が降下していた記憶が蘇りました。私が住んでいる大阪では当時、浄水場の放射線レベルが許容範囲をはるかに超えたことが何度かあったのに、発表されなかった。ずいぶん後で、住民に不安感を与えないように発表を控えたと知らされました。当時、許容範囲を超えた放射線が降る下で暮らしていたのです。でも、今までに際立った被害はなかったと言える。今回の事故は反省すべきですが、放射線 を怖れているだけでは、正しい判断はできません」 東京工業大学原子炉工学研究所の松本義久准教授も、初めて、データの数値を精査し、そのうえで、「気象研究所のデータを見ると、60年代のピーク時と今回の震災が起きる前では、放射怪降下物の量に1OOO〜1万倍もの開きがあることがわかりますね」と、こう解説する。 「ただし今回の事故後、3月20日9時から翌日9時までの間に、茨城県ひたちなか市でセシウム137が1万3000ベクレル/平方メートルも記録されました。これは気象研究所のデータにある、核実験時に計測された最大値の20倍を超えるので、私も最初は驚きました。が、翌々日には数百ベクレルに下がっていますから、降雨などによる一過性の数字でしょう」 では、60年代と原発事故が起きた現在の、それぞれの線量を、ベクレルから人体への影響を表すシーベルトに換算し、健康へのリスクを測ることはできるだろうか。松本准教授が統ける、「UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国違科学委員会)の資料にある、セシウム137の経口摂取のデータが手がかりになります。核実験による放射性物質の降下量が最も多かった63年、世界の平均積算降下量は1560ベクレル/平方メートルがとあります。このとき外部被曝、内部被曝の合計は0.025ミリシーベルト程度。すべての核種を考慮すると0.14ミリシーベルト程度になります」 この年、東京でのセシウム137の積算値は1935ベクレル平方メートル。したがって健康へのリスクも、世界平均よりやや高かったようだ。 「一方、今回のセシウム137の3月19日から31日までの積算値をシーベルトに換算すると、ひたちなか市が0.43ミリシーベルト、東京がO.11ミリシーベルトになります。人体に影響が及ぶひとつの基準とされる100ミリシーベルトにはるかに及びません」 とはいえ、今回の数値は核実験が行われていた63年に比べても大きい。しかし、「今回の事故が収束に向かうと仮定して、ひたちなかなどで検出された高い値は、降雨などによる局所的なものです。一方、核実験が頻繁に行われていた半世紀前は、10年以上にわたって高い水準の被曝量でした。それでも、多くの人はその時代を健康に過ごしてきたわけで、注意は必要ですが、過度に心配する必要はないと思います」(同) 同様に、北海道大学大学院の奈良林直教授(原子炉工学)も言う。 「60年代は今と状況が似ていますが、みな放射能の怖さを知らなかった。でも当時少年だった私も、未だに癌にもかかっていません」 黄砂に乗って ところで気象研究所のデータでは、近年も春には、放射性降下物がほかの季節より多く計測されていた。 「かつての核実験などで放出された微量の放射性物質が、中国の土壌中に含まれていて、春になると再浮遊し、黄砂に乗って飛んでくるのです」(企画室) 今や中国は、日本製品が”汚染”されているとボイコットを企む国である一方、福島産などを避けたいわが外食産業にとって、”安全”を旗印にした野菜の仕入先にもなっている。だが、「私がこれまで原水爆実験国を調査してきた結果、日本に最も悪影響を及ぼしたのは、東京オリンビックから文化大革命にかけて中国で行われた核実験です」と、札幌医科大学の高田純教授(放射線防護学)。放射能に汚染された土壊が、黄砂として日本まで飛んでくるわけだ。 また、3月末まで中国を訪れていた京都大の吉川榮和名誉教授(原子炉安全工学)が言うには、「一方で、中国人は日本の原発事故に驚き、我先に帰国しています。中国では国内の放射能のことを知らされていないからです。中国のテレビでは”日本の食品は心配要らない”と強調しているのですが、一般の中国人は日本のことばかり怖れてしまうのです」 今、日本人が中国野菜を喜んで食べるのも、中国人が日本の産物を避けるのも、謂われなき風評による国際的な"誤解"のなせるわざ、と言えそうだ。 「米中などの核保有国は核実験の際に、自国民を時には意図的に被曝させながら、それを忘れたかのように日本を危険視し、汚染の危険性が少ない工業製品の輸入までを止めようという。アレルギー反応に近いものがあるように思います。旧ソ連はセミパラチンスクで、中国は新彊の砂漠地帯で、周囲の住民を避難させずに低高度での核実験を行い、悲惨な結果を生んでいるのです」(一瀬准教授) 結果、アメリカにもヨーロッパにも多くの放射性物質が降ったわけだが、その時、欧米人たちは、今回の事故後に日本から一目散に逃げたように、自国から逃げ出しただろうか。 「これまで100ミリシーベルト以下の被曝量で、遺伝的影響が観測されたことはなく、今回避難されている方で、その線量まで被曝された方はいないはず。そういう科学的知見を少しでも持ってもらうことが大事です。誰もが普段から環境放射線を受けつつ生きていて、今回避難されている方々が受けたのは、それを少し上回る程度にすぎません」むろん、今回の事故で放射線の影響が「ない」とは言えないし、半世紀前に降り注いだ放射性降下物によって、健康に影響をきたした人がいなか。ったとも言えない。(放医研の米原氏) 事実、放射線による影響とは、前出の金沢大の山本教授が言うとおり、「すぐに出ないからわかりづらい。個人差もあり、10年後、30年後にどうなるのか、軽々しくは言えない」そういうものだろう。だが、少なくとも、「人体に緊急の影響を及ぼすような事態ではない」と、山本教授は言う。 それに、今、風評に踊らされている人たち自身、かつて被曝しているのである。 そう思えば、少しは冷静になれるのではないか。「放射能は侮ってはいけないが、怖がりすぎてもいけない。注意が必要なことは間違いないが、放射線を過度に怖がることで、大きなものを失うこともある」とは松本准教授の弁だが、福島に対する暴力的なまでの風評をはじめ、我々の無知が時に、放射能を超える被害をもたらすことを肝に銘ずるベきだろう。 当記事について、調べているうちに下記リンクの動画を発見。 環境計測技術と放射線〜国立環境研究所/気象庁気象研究所〜 2006年製作のサイエンスチャンネルの動画(9:30〜注目)である。当にこの週刊新潮の記事そのものである。本文グラフは動画に登場するグラフを転記した。 文科省製作ではあるが、新潮の記事を裏づけている。 今回の原発事故で福島に降り注いだ放射能よりはるかに多い放射能を30〜50年前日本中で浴びていたのである。 当時、野菜や魚、牛乳から畜産物まで皆気にせず食べていたのである。 この記事が正しければ、現在日本で進行中の過剰な放射能アレルギーは空騒ぎに思えてくる。ネットやマスコミが垂れ流す過剰な放射能に対する無知でヒステリックな記事は風評被害を引き起こす元凶にしかならない。 デマではないにしても、ネット上にヒステリックに書き込まれる原発恐怖症の記事の数々に私は違和感を感じ続けていた。 が、新潮の記事とサイエンスチャンネルが突きつける衝撃の事実! 実に痛快である。原発事故からの放射能が安全というわけではないが、過剰な不安は無用である。
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